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吐き出す

煙突のように、無為に煙をはきだしている。
たばこの煙。
あいかわらずの片頭痛。
今日は一段とするどくささる。
けれど、昨日までの鈍重な鬱のかたびらは脱げ
朝日にすこしだけ穏やかなこころを映している。

日曜からずっと休んでいる。
今日で五日目。
今回の鬱の兆候は先々週ごろ。
完全に「破裂した」のは先週の土曜だった。

思考はほぼ停止。
ひとむかし前のパソコンの画面によく出てきた
砂時計の表示。
あれがずっと頭の入口に置いてあって
そこから先には進めなかった。

今日も、別段、調子がいいわけではない。
でもこの数週間の心境の変化や搖動を
書き記しておこうと思えるほどにはなった。
ので、稚拙も吃音も気にせずに、とにかく、書く。

昨日、社長に「原因は?」と聞かれた。
持病です、と答えると、予想通りの沈黙。
何度も経験した、この沈黙。
原因は病気だ。
ほかにはない。
食中毒でもインフルエンザでもない。
うがい手洗いは徹底していたし
毎日帰宅後のトレーニングだって続けてた。
「体が資本」とは肉体労働者の真理であって
まさに体で稼ぐのだから、その資本には
時間と注意を投資してきた。
でも原因は、そこではない。

ぼくの病気は「精神病」にカテゴライズされるが
まずはそこに異議がある。
精神は、メスで切り開いて取り出せるものか?
ぼくが毎日飲んでいる大量の薬は
どこに作用するものか?
脳だ。
これは脳の病気なのだ。
はっきりしている。
セロトニン、ノルアドレナリンなどの
情報伝達物質に異常があるのだ。
そのせいで、気分をコントロールできなくなったり
感情がときに凍りついたり、逆に爆発したりする。
昨日までは体も熱のときのような重さで
動かすたびに軋む音が聞こえるようだった。
土曜日には幻聴もあり、
それが被害妄想の一部だとわかっていても
どうにも振り払うことができなかった。
原因は脳なのだ。

さらにそうなってしまった原因をたどる。
これはあんまり有意義なことではないが
仕事を休んでいるので時間はたっぷりあったから。
双極性障害、あるいは双極性感情障害。
むかしでいう躁鬱病。
発症の原因は8割が遺伝、2割が環境、
と言われているが、これは便宜上もうけた
「簡単にいうと」のための線引きだ。
当然、患者によって違う。

ぼくの父はすでに鬼籍に入っているが
生前の行動や性格を見る限り
ぼくと同じ病気を持っていた可能性は高い。
死後、遺品を整理しているときに
若いころの父のノートがでてきた。
つまらなそうな小説のテロップで
父にも青いころがあったのだと
くすくす笑いながら読んでいると
自分が躁鬱病なのではないかという
殴り書きを見つけて、心底驚いた。
母や姉妹にもそれを見せたが
彼女たちはそれを認めたくない風だった。
その後、何がきっかけだったかは思い出せないが
しばらくして、父は家族のだれにも内緒で
何度か精神科に通院していたことがわかった。
その時の診断はわからない。
父は若いころから糖尿病に罹っていて
その治療と抑制が彼の人生の大半を牛耳っていた。
家族から見てもそうだった。
完治の難しい病気と、奮闘する父の姿だった。
その裏で、自覚し通院するほどの
「精神病的な」なにかがあったのだろう。
いまのぼくにはありありと想像できる。

遺伝の8割。
父にもぼくにも同じような奇行の跡がある。
性格が似たのだと思っていた。
でもそこには共通した脆弱性があったのかもしれない。

環境の2割。
ぼくは子供のころ2度、後頭部を強打して
数針ずつ縫っている。
失神するほどのものだったから相当のダメージだ。
交通事故も何度も起こしているし
夏休みの半分以上を奪われて、入院もしている。
普通の人と比べて
(ぼくのこれまでの交友関係の中から
ぼくが調査した結果でしかないが)
頭に相当のダメージを受けている。
14歳でトルエン遊びにはまった頃には
いま思えば鬱状態から逃げるために
トルエンを吸っていたのだと、はっきりわかる。
そのトルエンもまた、脳に強烈にダメージをのこした。
いつでも、死にたい欲求があった。
誰にも心を開けなかった。
理解されることがなかった。
恋人はみんな、最後は死ぬほど泣いて
ぼくの前から去っていった。
ぼくのことを理解できなかったのだ。
彼女たちは何もわるくない。
それは「ぼく」ではなく「ぼくの病気」を
理解できなかったからなのだ。
ぼく自身、まったく病識がなく、ましてや自覚すらなかった
そんな状態で、誰かに理解されることなど
あり得ないということは、今ではすっきりとわかる。

20代、バイトで入った会社で
契約社員を経て、社員になり
初めて部下をもち、責任をもち、
バイトが仕事になった。
がむしゃらにやった。
勉強しながら眠り、起きてすぐ仕事をはじめた。
いま思ってみても、超人的だった。
奇行も多かったが、ぼくの生み出す成果は大きく
会社も「手綱さえうまく捌ければ」という
条件付きでぼくを高く買っていた。
その中で結婚もした。
望んだ相手ではなく、性的逸脱のすえに
芽吹いた命に対して、責任をとるための結婚だった。
そこからさらに拍車がかかった。
完全な「躁」状態だった。
なんでもできると思っていた。

それに急ブレーキがかかったのは
もっとも忙しく、ぼくの仲間の士気がもっとも高かった
いうなれば革命前夜とでもいうタイミングだった。
あと一歩で、無駄なストレスのすべてを排除できた。
「会社にとって負担にしかならない人たち」を
一斉に解雇しようという間際だった。
意識の高い仲間だけが残り
会社にテコ入れを始めようとしていた。

急ブレーキ。
性的逸脱、自殺念慮、過度の飲酒、被害妄想
身体的な症状も次から次へと出てきた。
四六時中、頭痛があった。
トイレにいけばかならず下痢だった。
そして、自殺。
完璧だった。

その自殺が未遂に終わったのは
今の妻である、そのときの恋人が
ぼくの部屋を訪ねてくれたからだ。
愛用のノートに汚い字の遺書
食べ散らかした落花生の殻のような睡眠薬の殻
からっぽのウィスキーのボトル
正装し、よこたわり、尋常ではないいびきをかいて
眠るぼく。
妻が後日おしえてくれた、その時の風景だ。

そこから、新しい人生がはじまった。
だからそのときの自殺は
実は成功していたのだと、今はそう思う。




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1/20通院

自分の年齢を聞かれて、即答できない。
それどころか、いまじっくり考えてみても
答えには自信がない。
妻に聞けば正答が得られるのだが
いまはひとり、病院の白い待ち合い室にいて
周りはわたしのことを
まったく知らない人ばかりで
そういうところにいると
自分というものの不確かさが
気味悪く感じられもする。

年齢を忘れるほど長く生きてもいまいが、
年齢を気にするほどの若さもない。
若者を蔑むこともしないし、擁護もしない。
好きにやればいい。
年寄りを邪魔に想うこともないし
別に敬わなくてはとも思わない。
好きに生きればいい。
どこの国の大統領選にも興味はないし
自分が社長にどう思われてるかも、どうでもよい。
人によく見られたいとも思わないし
よりよい人間になろうとも思わない。
一生治らない病気ならそれでもいいし
治るなら治ればいい。
明日雨が降ろうと雷が落ちようと
どちらでもいいし
今日の雪にも興味はない。

ただわたしはわたしでありたいし
わたしはわたしでしかない。

わたしという人間は
詩を読むより書くことをこのみ
わたしという人間は
社会的な栄光より自己満足をこのみ
わたしという人間は
明日も昨日もわすれて今にのみ生き
わたしという人間は
そのままそっと死んでゆくのだ。

昨日、詩賞入選の賞状がきた。
嬉しかったが、それだけのことで。
今日は寒い雪ちらつくなか
狂人の証明に通院しているが
やはりそれもそれだけのことだ。
明日には職にあぶれるかもしれない。
事故でなにかを失うかもしれない。
急に病を発して死ぬかもしれない。
それもやはり、それだけのこと。

冬が春のまえにあり、
また春のあとにあるように、
ぼくという人間も
芽吹き、育み、衰え、塵になる。

人よ。
これがわたしの声だ。
ふだん、社会で発することない
ほんとうのわたしの声だ。
聞きたければ聞くといい。
聞きたくなければ聞かぬがいい。
人よ。
わたしはいつでも
あなたがたに話すのではない。
宇宙に、季節に、己を刻みつけるために
わたしは空に話すのだ。
檻からわたしを放つのだ。



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2017-1-1

あけましておめでとうございます。

今年は
徹底的に自分と向き合おうと思います。
仕事も
詩も
人生そのものも
ぼくはまだぼくを知り尽くしてはいないから。

庭を美しく飾り立て、手入れするのも大事だけれど
裏庭のかたく凝り固まった土を
掘り起こしてみるのも有意義なことだろう。
と思うのです。

のろのろ、亀のごとき歩みで参ります。
今年もよろしくお願いします。


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2016文芸思潮 現代詩賞

今年も入選しました。
昨年も入選でした。
欲がでてまいりました。

入選したのは
この記事の前の三篇です。

鬼火
風のなかを歩く
です。


試験勉強もとりあえず今年のは終わったので
(受かってれば来年はその上が待ってますが…)
また詩集をこそこそ作りはじめやうと思います。

とりあえずご報告でございました。



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風のなかを歩く

ぼくにひとつの
ポケットがある
かなしみを
いれておくための
おりにふれて
とりだして
さわってみるための
ポケットがある

そこに両手をつっこんで
ゆびさきでころころ
まさぐりながら
風のなかを歩いている
歯食いしばるうち
しめってしまったのどちんこ
空にむけて
乾かすために
言葉でないもの
叫んでみたり

ふと
風が吹いたくらいのことで
ぼくらはたやすく
狂うのだろう

ポケットから
ひらりこぼれた
ひとつの言葉
「あんたにひかりなんてなければいいのに」
蹴とばして帰り道
そのときも
あのときも
風のなかを歩いてきたのだ

ぼくらは
この夏の
青い嵐のなかに
ひとりぽっち
さみしくなんてない
ひとりぽっち
祈るように
風に向かう

ふと
雲がしりぞいて
陽がさしたくらいのことで
ぼくらは
たやすく
狂うのだろう

ぼくにひとつのポケットがある
そこに両手をつっこんで
ぶっきらぼうな顔をして
風に涙を乾かすのだ
風のなかを歩くのだ





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鬼火

ぼくが死んだら
燃やすでしょう
腐ってゆく
すがたを
見られずにすむ
だれもそれを
見ずにすむ

そのとき
ぼくのぬけ殻を
塵にもどすために
ひとが
淡々と
事務的に
たきつけるかまのなかの炎と
この
一秒の渾身
命の炎と
どちらがはげしいものでしょう

ひとは生ごみ
燃やさなければ
腐ってゆくだけ
生きながら
腐ってゆくのは
いやだから
こうして こう
燃やしつづける
生きながら
腐ってゆくのは
いやだから
そうして祈る
死んだとき
ぼくを燃やす地獄の火より
いま生きるため
燃やしつづける
この魂の
この炎の
ちからがまさっているように
どうかまさっているようにと






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さくらの咲くころ
きまって憂鬱になるわたし
アスファルトの上を
音もなくすべりゆく
白いちいさな花びらさらり
それを見るたび胸にいたみ

どうしても
死にたくなる
まわりを見わたせば
ひとびとは
春のよそおい
わたしは帽子を目深にかぶる
なるべく春と
目をあわさぬよう
目をあわさぬよう

そうだ
百億枚の
さくらの花びらをあつめよう
あつめたら
東京の
高いビルの上から撒こう
きつとわたしと似たような
ひとびとが胸を両手でおさえ
その場に倒れこむだろう
その数を
わたしはビルの上から勘定しよう

やつた
これ
みな友達だ
わたしと同じ苦しみだ

きつと痛快な気分だろう
いつから咲いたかこの胸中に
ふるえているこの悪意の花を
うすももいろの花びらに似せ
世に撒くことができたらば
誰のものともしれぬこの悪意
天衣無縫の幼児のころから
かいこのようにわたしの胸を
さあさあ喰らって
きづけばほら
こんなに大きくなってしまった

花明かりの向こうがわに
今度こそわたしは
この悪意をつきかえす







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日記10-25

朝、いつもとたいして変わらぬ朝
ぼくは死を忘れていた
自分がいつか死ぬことも
自分の大事な人がいつか死ぬことも
そして
それを忘れていることが幸せであることも
忘れていた

朝、いつもの顔ぶれがそろう
笑顔やねぼけまなこが並んでそろう
挨拶をかわし、車に乗り込む
退屈な赤信号、仕事前の軽口
これもまた、いつものこと

先日からの引き続きの現場にはいる
一人の男性が小走りにかけよってくるまでは
「日常」のなかにぼくらは包まれていた

男性は言った
「どうも人が死んでいるようだ」
男性は取り乱していたので、わらにもすがる思いで
ぼくらに声をかけたのだろう
それもそうだ
曇りですこし寒いだけの、なんてことない朝だったのに

松の林の中に彼はいた
いや、彼の遺体が「あった」
男性はぼくをつれて、あれ、あれ、と指をさす
太く黒い松の幹はすなおに空へ伸び
そのたくましい幹に、堅固に何重にも巻かれたロープの
その痛いほどの白が目に刺さった

新しく買ったロープで、首をくくった
人知れず、公園の、松の林のかげで
理由もわからない
誰かも知らない
けれど彼は大きな声で
ぼくに死を語っていた
それはあまりにも大きな、透明な声だった

警察を呼んでから、仕事に戻る
2、3の聴取はすぐに終わった
かたがついて
警官も、発見者の男性も、同僚もみな笑っていた
笑って、日常を出迎えていた
そのこころの隅に、暗いしみを残して

仕事に戻ったぼくは
考えるでもなく、土や草にまみれて働きながら
歌っていた
口の中で、何度も、何度も、何度も、
繰り返し歌った

「Knock knock knockin' on heaven's door」

死を選ばざるを得なかった者の
かつて生き、意欲したその体をそのままに
天国へのドアは開いたんだ
そこへ彼は旅立っていったんだ
重たい、肉の体を残して

どうか、もうなにも心配のない世界であるように
苦しみ、一人で死んでいった男の魂が
どこかで安らかに眠れるように
ぼくは弱い自分自身をそこにかさね見て
そうして歌っていた

「Knock knock knockin' on heaven's door」

天国があるなら
どうかいいところであるように
ないならば
その眠りが安らかであるように

ぼくは明日も生きる
天国のドアが
あちらからノックされたとしても
自らそれを開けることはしない
そして歌う
生きているよろこびと
死んでいくかなしみを





R.I.P




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自己紹介

偕誠

Author:偕誠
a.k.a.破裂
1983年生まれ。
東京都在住。
双極性障害と苦闘しながら
詩作に励んでおります。


※拙文ではありますが著作権は当方にあります。
無断転載等はご遠慮くださいませ。

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