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石を積む

わたしの人生は
まるで賽の河原です

積んでは崩し
また積んでは崩される

鬼はやってきて崩すのではなく
鬼はすでにわたしの内にあるのです

ひとつひとつ
石を積み上げるのもわたし
もういいや、と
仕上がりつつある石塔を倒すのもわたし

はてしない徒労
繰りかえされる歔欷と緘黙

いつまでも彼岸に行かれない
お地蔵さまもまだ来ない

56億7000万年
待ってみよか
ここで、こう
またひとつ、石を積みつつ



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secret

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ご無沙汰しております。

 良いも悪いも自分の撒いた種。思い起こせば行き当たることなのですが、どうしても認めたくない自分がそこに関所を設けています。
 通ろうとするのも自分、立ち塞がるのも自分。その葛藤が苦しみを生み出していると思うのです。
 「地獄を作るのは自分自身。ひとりひとりの心の地獄が寄せ集まった時、現実に逃げ場のない地獄をつくる」と言われたことがあります。

 僕が高校に行かずふらふらしていた時、「賽の河原は果たせなかった亡者の悔恨を表したものである。悔いを持ち続ける魂の姿が無限の地獄を描き出す」とお聞きしたことがあります。幼少で死んだとなれば猶更のことでしょう。それが「家」の思想に基づいたものであるとしても、僕は「果たせなかったことへの悔恨」という言葉にひどく惹きつけられた記憶があります。

otosimonoさん

コメントありがとうございます。
お久しぶりで、嬉しいです!


>  良いも悪いも自分の撒いた種。思い起こせば行き当たることなのですが、どうしても認めたくない自分がそこに関所を設けています。
>  通ろうとするのも自分、立ち塞がるのも自分。その葛藤が苦しみを生み出していると思うのです。

ほんとうにそうだと思います。
ぼくの持病は一言でいえば徒労のループです。
どれだけ真剣に積み上げて、慎重に守っても
もうひとりのぼくがそれを簡単に蹴散らして
踏みにじってしまいます。
もうひとりの、と言ってしまいましたが
そえすると別の自分のように聞こえますね。
そいつもぼく自身なのですが…。

>  「地獄を作るのは自分自身。ひとりひとりの心の地獄が寄せ集まった時、現実に逃げ場のない地獄をつくる」と言われたことがあります。

地獄とはつまり、地下ふかくにあるものではなく
死んでから堕ちるところでもなく
とどのつまり、自分自身のこころの風景なのでしょうね。

>  僕が高校に行かずふらふらしていた時、「賽の河原は果たせなかった亡者の悔恨を表したものである。悔いを持ち続ける魂の姿が無限の地獄を描き出す」とお聞きしたことがあります。幼少で死んだとなれば猶更のことでしょう。それが「家」の思想に基づいたものであるとしても、僕は「果たせなかったことへの悔恨」という言葉にひどく惹きつけられた記憶があります。

果たせなかったことへの悔恨、
悔いを持ち続ける姿…。
悔恨を捨て去るとはつまり
もう石を積むのをやめるということかもしれません。
そう考えてみると、石をなぎ倒しにくる鬼は
ひょっとすると地蔵菩薩の化身なのかもしれませんね。
となると、ぼくのループから脱する機会も
その中にヒントが隠されているのかもしれません…。

とりとめない返信になってしまいました。
こうした話を延々と
珈琲でも飲みながら話したいものですね。
いつもありがとうございます。


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自己紹介

偕誠

Author:偕誠
a.k.a.破裂
1983年生まれ。
東京都在住。
双極性障害と苦闘しながら
詩作に励んでおります。


※拙文ではありますが著作権は当方にあります。
無断転載等はご遠慮くださいませ。

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