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断片、同根異株

物心ついたころから、と人は言いますが
ぼくはその物心というものがよくわかりません。
何も考えず、ぼーっと生きてきたせいでしょう。

小学校で「将来なりたいもの」という作文を書かされた時も
いったい何のことを言っているのか、
やはり見当もつきませんでした。
ぼくはぼくじゃない別の何かに
ならなくてはいけないのだと、うっすら恐怖を覚えました。
みな、野球選手とか、ケーキ屋さんとか
お医者さんとか、学校の先生とか、いろいろ書いていましたが
ぼくは何も書けませんでした。
なんでもいいから、と教員にうながされて、
ぼくは友人と同じ「野球選手」にしました。
なんの意味もない作文だと感じました。

将来なんて、考えもしなかったし
明日のことだって考えていなかった。
ただ言われるままに学校に行き
遊んだり騒いだりは、その日の気分で
勉強したりしなかったりもその日の気分でした。
成績はいつも優秀でした。
勉強は面白くもあり、無意味にも感じられました。
分数の割り算、掛け算で、
はじめて教員とけんかしたと思います。
こういうことだから、それを覚えなさい、といわれ
こういうことってつまり何ですか?
と聞き、答えられない教員に、叱られました。
そういうものだから、覚えなさい、テストに出るから、と。
まったく、意味が分かりませんでした。

友達は多かったと思います。
今では一年に一度会うか会わないかという頻度の
でも会えば楽しくてしようがない、という友人が2人と、
もう何年も会ってないけどたまに無事を確認しあう
15歳からの腐れ縁が1人、あるばかりです。
小学校のころは、いつも輪の中心にいました。
リーダーというつもりはなかったけれど
その輪の連中で悪さをしたとき
叱られるのはいつもぼくだったから
はた目にはそう見えていたのでしょう。

ぼくの記憶にはふたつのぼくがあります。
友達をひっぱって、中心になって、町内を遊びまわるぼくと、
おばあちゃんの部屋でひとり毛布をかぶって
毛布の中で洗濯バサミをつかって人形劇をしているぼく。
その人形劇はいつも最後は凄惨な殺人事件でおわり、
出演者全員死亡というケースが多かったの覚えています。
観客はぼくひとりであり、しかしぼくも出演者のひとりでした。

そのふたつの記憶、
どちらかが本当で、どちらかが嘘なのでしょうか?
あるいはその両方が、本当だったのかもしれませんし
どちらも嘘の記憶かもしれません。
記憶というのは、あまり信用できません。

父母をあまり好きではありませんでした。
父は酒に酔うと乱暴するし、読売ジャイアンツが負けると暴れます。
ぼくはいまだにジャイアンツが大嫌いです。
それでも、作文に「野球選手」になりたいと書いたころには
必死で好きなふりをしていました。
仕事にいく父の足にすがりついて「行かないでー」と
駄々をこねたことは、今でも家族の語り草で
ほんわかした印象の思い出話になっていますが
それをぼくは計算づくで行っていた可能性があります。
そうやってかわいい、と思わせれば、ぶたれないかもしれない。
そうやってかわいい、と思わせれば、夫婦げんかもなくなるかもしれない。
母は父と違って、社交的で、仕事が好きで、年中うちの外にいました。
ぼくは首から鍵をぶら下げているのが当たり前でした。
おばあちゃんは三人姉弟のうち、ぼくだけをかわいがりました。
姉も、妹も、おばあちゃんとはあまり仲良くありませんでした。
おばあちゃんと母は、とても仲が悪く
よく、ぼくごしにけんかをしていました。
夫婦げんかも多く、そのたびにぼくは
消えてなくなりたいとおもっていました。
父は急に怒り、暴れる人でした。
後年、ぼくもそういう性格になっている自分をみつけ
嘔吐するほど、自己嫌悪に陥りました。
ある日、けんかもクライマックスにはいり、
ついに母が家を出ることになりました。
追い出す父は、タンスから母に向けて物をなげました。
それはほとんどが母の下着でした。
母に対して性的な疑惑を父が持っていたのは明らかでした。
年の離れた妹が、その時うまれていたかどうか、覚えていません。
ただ姉が母に手をひかれ、家を出ていく姿を見ました。
ぼくは追いかけていき、駐車場で母を説得しましたが、母からは
ついてくるな、あなたは残りなさい、と言われました。
このときぼくは、母に見捨てられた、と感じました。
泣きながら家に戻ると、今度は父に
お前もでていけ、戻ってくるなと言われました。
ぼくはそのときから、孤独なのです。

父は糖尿病をわるくして、もう他界しました。
今では尊敬していますし、いまわの際には
きちんと愛していることを告げました。
母は今でも元気です。毎年母の日には感謝をこめて
贈り物をしています。
もちろん、父が死ぬまで母は添い遂げましたし
晩年の介護は大変だったと思います。
愛人の存在も発覚したりしましたけれど
それでも最後まで離婚はしませんでした。
だからぼくも、親なし子にはならなかったのです。
表面的には。

時間が、
いろいろなことをうやむやにしています。
よく人が言う「時間が解決するさ」という表現は
ぼくからすると、うやむやにしているだけなのです。

小学校低学年で、両親から「向こうへいけ」といわれたぼくは
その時から、親なし子でした。
自分は必要とされていない、ということがわかったのです。
その時と、そのあと、都合二回、母は家出をしていますが
そのたび、ぼくだけは学校を休み
隣県の伯父のもとへあずけられました。
そこでもぼくは、ただ終日もの憂くだらだら過ごし
もうなにがどうなってもいい、と無関心になっていました。

父の仕事の都合で、2,3年に一度引っ越しをしました。
「転校生」というのは多くの人から見て
外からくる別種の刺激的ななにか、でしょうけれど
ぼくにとってはぼくのことであり
なんら刺激的ななにかではありませんでした。
友人との付き合いも、2,3年の短い賞味期限のようなものが
ちらほらと見えたので、どうせ別れるなら、と
親友というものを必要としなくなりました。
東京から、浦和へ、それから市原へ、そして甲府へ
小中学生にとっては、海外ほどの距離感のある引っ越しで
たまに遊びにもどっても、ぼくだけとまった時計を持っているようで
とても一緒に遊んでなどいられませんでした。

学校の教員は、ぼくが年を重ねるにつれ
とても醜く、怠惰な生き物に見えはじめ
嫌悪を募らせていきました。
だって、ぼくらはまだ肉の若さを保っていたから。
大人が醜く見えるのは仕方がありません。
反抗の芽が、12歳ごろには立派な花を咲かせました。

ぼくは常に怒り、人を寄せ付けず、
何かあればすぐに怒鳴り、わめきちらし
暴力をふるい、だれかれ構わずけんかを売りました。
とくに教員には、殺意さえもっていました。
「悪い仲間」が集まってきて、一緒に悪さをしても
ぼくは別に彼らを仲間とも思っていませんでした。
天気のようにころころ変わる、そんな子供だったのです。

早く死にたい。
そういう言葉をつかい始めたのも、このころでした。

常に何かに怒り、と同時に深く悲しみ
いや、怒りと悲しみは同根なのでしょうけれど
すきま風のふくやせた胸を抱きしめながら
触れる世界すべてに、威嚇しつづけました。
やがてそれにからめとられるとも知らずに
なんとも愚かで、滑稽で、世間知らずな子供でした。
どこの高校へ行くかとか、周囲がそんな話をしだしたころも
ぼくはその「未来」とか「将来」とかは信じられず
進路相談など一度も出ませんでした。
教員に相談する必要などありませんでした。

ぼくは、とびっきりの悪者になりたかった。
それはしかし、やくざでもなく、政治家でもなく、警察でもありません。
それらを意に介すことなく、平気で生きていくほどの
極めつけの大悪人です。

ぼくは大ウソつきになりたかった。




いや、もうとっくに、大ウソつきだった。
ぼくはずっと嘘ばかりついて生きてきたのです。






恥ばかりを重ね、どんどん汚れて
かつて罵倒した大人に、どんどん似てきて
早く死ななければ、といいながら
いけしゃあしゃあと生き延びて。

ぼくはほんと、大ウソつきです。





全部、なかったことにしてください。



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描かずにいられない衝動

心が揺さぶられました。
胸をかきむしられたような感じです

これほどまでに自分をさらけ出す文章を書くには
深く自分と向き合う作業が必要だったはずで

それは辛い記憶、辛い体験を追体験しているのと同じ
いや、私が想像もできないくらい痛い思いをして
血まみれになりながらこの詩は描かれたのだと思います

なんというか、うまく云えませんが
魂が震えるのを感じました

陽炎さん

コメントありがとうございます


> 心が揺さぶられました。
> 胸をかきむしられたような感じです
> これほどまでに自分をさらけ出す文章を書くには
> 深く自分と向き合う作業が必要だったはずで
> それは辛い記憶、辛い体験を追体験しているのと同じ
> いや、私が想像もできないくらい痛い思いをして
> 血まみれになりながらこの詩は描かれたのだと思います

そうですね。きっとおっしゃる通りだと思います。
幼いころから、こころのどこかしらに必ずかなしみがあります。
もってうまれたものなのか、体験からくるものなのか
人には普遍のものなのか、個人的な欠陥なのか…
わからないけど、こころに常にあるものなのです。
その波が高くなるとき、追体験にも似た思いをします。
子供のように泣くのです。こころが。
むかしは、そのかなしみを排除しようと奮闘していましたが
いまはこころのなかに、かなしみの居場所をつくってやりました。
奴はぼくの眷属なのです。


> なんというか、うまく云えませんが
> 魂が震えるのを感じました

共振ですね。Q値も高そうです。
さかのぼって読んでくださって、本当にうれしいです。
しかもコメントもわざわざ書いていただいて。
ありがとうございます。

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自己紹介

偕誠

Author:偕誠
a.k.a.破裂
1983年生まれ。
東京都在住。
双極性障害と苦闘しながら
詩作に励んでおります。


※拙文ではありますが著作権は当方にあります。
無断転載等はご遠慮くださいませ。

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