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なぞなぞ(正答なし)

犬の鎖は

「飼い犬」の領分を超えないため

荒野に駈けていってしめわないため

人の鎖も同様にして

そのなを理性という

さて、その鎖を

人間に嵌めたのは

だーれだ?
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secret

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NoTitle

はめたのが誰なのか、はたまた「誰」と名指しできるものなのか、わかりませんが、
自分には鎖がついている、と認識できるのが人間なんですよね。
そして、そのうちの一部が、自分の鎖をはずしにかかる。
おそらく、いったんは外せたとしても、気がつくと自分の首には鎖がついている。
その繰り返しではなかろうかと思うのです。
でも、だからどうにもならないんだ、ではなくて、
何とか鎖をはずそうと躍起になる、それがいいと思うのです。

いや、お釈迦様とかそういった「悟った」人々は、
おそらく鎖など無に等しいものと思っていたかもしれません。

ううん、なにが言いたいのかというと、
自分の鎖は、鎖と気づかなければそれは鎖でない。
しかし、いったん鎖と気づけばそれはぐいぐいと締め付ける。
その鎖は外そうとしなければ外れないし、
永劫外れないモノではないと思うのです。
あんがい、モノの見方一つで、ふっとしたことで、外れたりするのだと思うのです。

そんな鎖や、鎖と格闘している自分を少し離れたところから見て、
クスッと笑える日が50年後に来たらいいな、と思うのです。

NoTitle

misaさん、こんにちは。

透明の鎖が見えました。
その先は中空に消えて、だれが(あるいはなにが)
手綱をとっているかはわからないのですね。
もがくほど食い込む姿も
ふっとしたひょうしにはずれてとれるのも
頭の中で素直にイメージできます。
とってもおもしろいです。

NoTitle

素直な尻尾や優秀な鼻を持った生き物を犬と呼ぶように
理性や知性を持ってる人間と呼ぶんじゃないかなぁ。

常識とか世間の眼とかが理性とは思えません。
むしろ「群れる生き物の本能」ではないでしょうか。
犬を容易に飼いならせるのも、犬が人と同じような本能を持っているからこそ。

ウチの子犬はとても臆病で
一人では町をあるけない
首輪をつけると、とても自由だ
ぼくを神様と思っているんだろう By河島英五(天秤ばかり)

本能を抑えるものを理性と呼ぶならば、鎖を引きちぎる力こそ「理性」。
鎖から逃れようともがく姿こそが人間らしい人間の姿だと思います。

しっかし、「群れる生き物の本能」を利用して私達を飼いならしているのはだれでしょうね?

NoTitle

ピピネラ姫、こんばんはー。

さすがの慧眼、恐れ入ります。
鎖が、ではなく、それを超える力を理性、ですか。
ふう、なるほど…。
突き抜けた人々は、「理性によって」群衆を脱し
自分を全開で表現している。ということか。
そうなると、理性は社会的ではないですね。本当は。
社会は以外と本能にそってつくられていているのか…?
ちょっとずれてきましたかね。

ねー。一体何がぼくらを動かしているのか…。

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自己紹介

偕誠

Author:偕誠
a.k.a.破裂
1983年生まれ。
東京都在住。
双極性障害と苦闘しながら
詩作に励んでおります。


※拙文ではありますが著作権は当方にあります。
無断転載等はご遠慮くださいませ。

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