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date :2017年09月18日

邂逅

ぼくは長い時間をかけて
ぼく自身の言葉をうしなっていった。

最初のきっかけは親に言われた言葉だった。
「どうして普通の子になれないの」
親以外の大人たちにも、それはたびたび言われたことだった。

ぼくは普通になる努力をした。
まず、だれが普通なのかを見定めることからはじめた。
そしてその人のどこが普通なのかを探した。
それを繰り返し、大体の普通というものをつかんだ。
あとはそれを模倣するだけだった。

けれど、どんなに普通的な人でも
(普通的、という言葉はないかもしれないが
ぼくには実際、普通的、というしか方法がないように思える)
普通ではない一面をもっていることに気づいた。
ゆがんだ性癖をもっていたり、変なところにこだわったり、
そういったものをじっと観察しているうちに、
普通などというものはどこにも存在しないということに気づいた。

ぼくは言葉の使い方が、人とはすこしちがった。
それが普通ではない。
言葉はちいさな檻にいれて飼えるものではないと思っていた。
言葉は辞書のなかより自由だと信じていた。
同じ言語を使わないなら、それは異邦人と同じだった。
ぼくはそれを矯正しなくてはいけなかった。

ぼくには吃音があった。
最初の一言が、口からすらすらすべり出ることはほとんどなかった。
人はそれを面倒くさがった。
普通的な人々は、それを変だと馬鹿にした。
ぼくは赤面症だった。
ぼくは内向的で、プレッシャーに対して脆弱で、しばしば逃げた。
人々の前に立つことがいやでいやで
発表会などは消えてなくなれと願っていた。
ぼくは吃音をなおすために、まず沈黙をおぼえた。
家で、ひとり、家族など誰もいないときに朗読をした。
シェイクスピアが特によかった。
(もちろん翻訳だが)
言葉をテンポよく配置したリズミカルな文章。
軽くて、たいして中身のつまっていない言葉。
漫画のセリフを暗記し、朗読したりした。
そうやってぼくは、他人の「声」を盗んでいった。

セリフならば、たいして詰まらずに言えた。
その言葉に、責任を負う必要もあまりなかった。
だって、それは、ぼくの声じゃなかったから。
そうしてぼくは、長い時間をかけて
普通的な外見を得るにいたった。

三島由紀夫が言っていた。
流行は(流行の服は)自らの思想を隠すための
最高の隠れ蓑である・・・というような意味の言葉。
その言葉の真意はともかく、隠れ蓑であるというところが
いつまでもぼくの頭にはぶら下がって消えなかった。

今は、ちがう。
今は、ぼくオリジナルだ。
そうは言えない。
いまでもぼくは、そういった忌まわしい普通の呪縛に
生活の何割かはおかされている。
しかし、それでもいいと、なかば諦めに似た気持ちでいる。
なぜかというと、ぼくの内面の言葉は自由だからだ。
詩を書くようになって、
いや、書くものを詩と呼ぶようになって
呼ばれるようになって、
いままで拘束されていた言葉らが
そこへ集まって、じわじわと、力強く堰を押しはじめた。
ちょろちょろと、流れはじめて、やがて堰は破れた。
ぼくの言葉は、その面でのみ、解放された。
そしてぼくにはそれでほとんど十分だった。

好きだけれど、普通的でないものには蓋をし続けてきた。
それでも、本当に好きなものを忘れることはなかった。
嫌いな振りもしなかった。ただ、蓋をし続けてきた。
たとえば、寺山修二の「田園に死す」の白塗りの演技が好きだ、と
告白する相手など、そもそもいなかった。
土方巽も、丸尾末広も、つげ義春も。
ぼくの周りには普通的な仮面をかぶった人間しかいなかった。
だから秋葉原などにいる、自分の好きなものを追いかけて
憚ることもない連中に嫉妬し、羨望し、そして見ないふりをした。
心の中では強烈なほどの称賛をおくっていた。

そうした生活に嫌気がさし、
しかしなおも執拗にそうした普通的な生活を送り続け
それを守ることまですすんでするようになった。
それがいまのぼくだ。
それでもなお、普通的であることへの嫌悪は
幼いころのままに燃えている。

曳舟のル・プチ・パリジャンという
特異な空間では、ぼくを普通的な枷からいっとき解放してくれる
何かがある。
エネルギーとか、そういうものではない気がする。
空気、とでもいおうか。なんとも言い難い、何かがある。

そこで、ブロ友のotosimonoさんと初対面をはたし、
生の肉声で生きた言葉を、浴びるように聞かせていただいて
何かが溶けた。
何かが、ほぐれていった。

普通的であろうとするぼくは、ぼくを偽っているか?
いや、ぼくはただ、
両親の最初の要望にこたえるために努力しただけだ。
「普通の、健康な子であれば、何も望みません」
その質素で、けなげな親の願いが、
子にとって、実はとてつもなく難解でおおきな障壁であることを
疑いもしなかった愛すべき両親のために。
ぼくは生きてきただけだ。

いまさら、普通だの、自分らしさだのを論じるつもりはないし
そうすることにまったく意味も見いだせない。
ぼくはぼくであればよいのだし、
そもそもぼく以外のなにものでもないのだ。

父は死んだ。
母は健康だが、すこし離れたところにいるし
ぼくがすっかり普通になったと安心しているだろう。
ぼくはそろそろ、この重たい漬物石のような「普通」を
自力で押し上げてみたい気になっているのだ。

それが、土曜の雨の夜に
曳舟で思ったことのひとつだった。



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自己紹介

偕誠

Author:偕誠
a.k.a.破裂
1983年生まれ。
東京都在住。
双極性障害と苦闘しながら
詩作に励んでおります。


※拙文ではありますが著作権は当方にあります。
無断転載等はご遠慮くださいませ。

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