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date :2017年09月

曳舟に小さな灯台がある

ブロ友の(というと恐れおおいのですが)otosimonoさんという方の
すてきなブログで紹介されていたお店に行ってきました。
東京曳舟 にある『ル・プチ・パリジャン』というお店です。
行きたい、と思ってから数か月も経って、やっと行けました。
お店のことをぼくなりに紹介しようとおもったのですが
otosimonoさんの記事の前ではまったく無意味なので
以下にトラックバックさせていただきました。


おしゃべりのあとさき 「ル・プチ・パリジャン」のこと



店主の石川さんは、想像していたより若く、ぼくと同世代でした。
けれど読んできた書籍の量は天と地ほど離れているだろうこと
お話してすぐにわかりました。
店主の本への愛情はとてつもなく、
いつもotosimonoさんのブログで感じる熱量と
同様のものが感じられ、うれしいきもちになりました。
ぼくはそこまで本や、装丁、蔵書票というものを知りません。
ただ昔から、本が友達だったし、師であったし、慰めであったし
どこへ行くにも一緒でした。
内容はもちろん、
その美しい表紙を眺めたり
その刺繍に指先でふれたり
古い紙とインクのにおいをきいたり
ときには恋をしてしまったり・・・。
そういうふうに、本と付き合ってきました。

だから『ル・プチ・パリジャン』の扉を開けた瞬間、
一冊、一冊のもつ本の圧倒的なちからを感じながらも
何かにくるまれるような、やさしい心持になれたのだと思います。
そこにならんだ本たちは、みな石川さんの蔵書ですが
それ以前は、いったい誰が持っていたのでしょう。
ぼくのように、その本を友のように感じたりしていたのでしょうか。

ぼくはその「オープンな書斎」の椅子にこしかけ
コーヒーを注文し、店主の話をうかがいました。
店主はぼくと同世代でした。
本当にいろいろなことをしっかり考えておられる方でした。
勉強になることばかりでした。

ぼくがへたくそな詩を書いているという話になったとき
お店のカウンターのほうから
「ぼくも書いています」と、別のお客さんから声をかけてもらい、
その方の詩を拝読させてもらいました。
またその日は、ある作家さんの絵の展示の初日でもあったようで
その作家さんとも話ができました。
(ちなみにぼくは躁うつ病なのですが、
このお二方もとある病気を治療中とのことで、
数年間、ずっと病院に通いながら闘病の仲間がほしいと
飢えていたぼくにとっては本当に驚いたし、うれしったです)
初めて行った日に、詩をかく人、絵をかく人に出会えたのです。
でも、なにかそこに「必然」というものも感じました。

ああ、まさにサロンぢゃないか。

十代のころ、熱烈に夢見ていた場所。
同志が集まって、本について語り合う。
時に文学や詩について、時に絵画について、
また、人生について。

造園業という現場仕事を生業に選んでからのこの数年間、
気立てはいいけれど乱暴で粗野な連中(愛をこめて言っていますよ)のなかで
本の話などする相手もなく、
そもそも自分がそれまで使っていた言語は通じず
自分を改造してゆく必要がありました。
ぼくは毎日、どんどんちいさくなっていったのです。
でも、あの「書斎」では、ぼくはぼくのサイズでいられる。
彼が知っていて私が知らないことを恥じる必要もないし
言葉の調子を、語彙を、合わせる必要もない。
話題や、話し方も。
そう思うと、泣きたくなるほど、うれしくなりました。

そして、昨日、今日と、仕事をしていて
なんだか「こっちのぼく」まで活力に満ちているような気さえしました。
あの書斎にいた数時間のうちに、予想もしなかったほどの
エネルギーをいただいていたのでしょう。

ああ、とりとめのない話・・・。
もっとちゃんとしたことを書きたかったのですが
もう時間もないので、この辺で終わります。
またあの書斎で新しい何かに出会えると思うので
その時はまたここに記します。

それから、あたらしい詩を。


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邂逅

ぼくは長い時間をかけて
ぼく自身の言葉をうしなっていった。

最初のきっかけは親に言われた言葉だった。
「どうして普通の子になれないの」
親以外の大人たちにも、それはたびたび言われたことだった。

ぼくは普通になる努力をした。
まず、だれが普通なのかを見定めることからはじめた。
そしてその人のどこが普通なのかを探した。
それを繰り返し、大体の普通というものをつかんだ。
あとはそれを模倣するだけだった。

けれど、どんなに普通的な人でも
(普通的、という言葉はないかもしれないが
ぼくには実際、普通的、というしか方法がないように思える)
普通ではない一面をもっていることに気づいた。
ゆがんだ性癖をもっていたり、変なところにこだわったり、
そういったものをじっと観察しているうちに、
普通などというものはどこにも存在しないということに気づいた。

ぼくは言葉の使い方が、人とはすこしちがった。
それが普通ではない。
言葉はちいさな檻にいれて飼えるものではないと思っていた。
言葉は辞書のなかより自由だと信じていた。
同じ言語を使わないなら、それは異邦人と同じだった。
ぼくはそれを矯正しなくてはいけなかった。

ぼくには吃音があった。
最初の一言が、口からすらすらすべり出ることはほとんどなかった。
人はそれを面倒くさがった。
普通的な人々は、それを変だと馬鹿にした。
ぼくは赤面症だった。
ぼくは内向的で、プレッシャーに対して脆弱で、しばしば逃げた。
人々の前に立つことがいやでいやで
発表会などは消えてなくなれと願っていた。
ぼくは吃音をなおすために、まず沈黙をおぼえた。
家で、ひとり、家族など誰もいないときに朗読をした。
シェイクスピアが特によかった。
(もちろん翻訳だが)
言葉をテンポよく配置したリズミカルな文章。
軽くて、たいして中身のつまっていない言葉。
漫画のセリフを暗記し、朗読したりした。
そうやってぼくは、他人の「声」を盗んでいった。

セリフならば、たいして詰まらずに言えた。
その言葉に、責任を負う必要もあまりなかった。
だって、それは、ぼくの声じゃなかったから。
そうしてぼくは、長い時間をかけて
普通的な外見を得るにいたった。

三島由紀夫が言っていた。
流行は(流行の服は)自らの思想を隠すための
最高の隠れ蓑である・・・というような意味の言葉。
その言葉の真意はともかく、隠れ蓑であるというところが
いつまでもぼくの頭にはぶら下がって消えなかった。

今は、ちがう。
今は、ぼくオリジナルだ。
そうは言えない。
いまでもぼくは、そういった忌まわしい普通の呪縛に
生活の何割かはおかされている。
しかし、それでもいいと、なかば諦めに似た気持ちでいる。
なぜかというと、ぼくの内面の言葉は自由だからだ。
詩を書くようになって、
いや、書くものを詩と呼ぶようになって
呼ばれるようになって、
いままで拘束されていた言葉らが
そこへ集まって、じわじわと、力強く堰を押しはじめた。
ちょろちょろと、流れはじめて、やがて堰は破れた。
ぼくの言葉は、その面でのみ、解放された。
そしてぼくにはそれでほとんど十分だった。

好きだけれど、普通的でないものには蓋をし続けてきた。
それでも、本当に好きなものを忘れることはなかった。
嫌いな振りもしなかった。ただ、蓋をし続けてきた。
たとえば、寺山修二の「田園に死す」の白塗りの演技が好きだ、と
告白する相手など、そもそもいなかった。
土方巽も、丸尾末広も、つげ義春も。
ぼくの周りには普通的な仮面をかぶった人間しかいなかった。
だから秋葉原などにいる、自分の好きなものを追いかけて
憚ることもない連中に嫉妬し、羨望し、そして見ないふりをした。
心の中では強烈なほどの称賛をおくっていた。

そうした生活に嫌気がさし、
しかしなおも執拗にそうした普通的な生活を送り続け
それを守ることまですすんでするようになった。
それがいまのぼくだ。
それでもなお、普通的であることへの嫌悪は
幼いころのままに燃えている。

曳舟のル・プチ・パリジャンという
特異な空間では、ぼくを普通的な枷からいっとき解放してくれる
何かがある。
エネルギーとか、そういうものではない気がする。
空気、とでもいおうか。なんとも言い難い、何かがある。

そこで、ブロ友のotosimonoさんと初対面をはたし、
生の肉声で生きた言葉を、浴びるように聞かせていただいて
何かが溶けた。
何かが、ほぐれていった。

普通的であろうとするぼくは、ぼくを偽っているか?
いや、ぼくはただ、
両親の最初の要望にこたえるために努力しただけだ。
「普通の、健康な子であれば、何も望みません」
その質素で、けなげな親の願いが、
子にとって、実はとてつもなく難解でおおきな障壁であることを
疑いもしなかった愛すべき両親のために。
ぼくは生きてきただけだ。

いまさら、普通だの、自分らしさだのを論じるつもりはないし
そうすることにまったく意味も見いだせない。
ぼくはぼくであればよいのだし、
そもそもぼく以外のなにものでもないのだ。

父は死んだ。
母は健康だが、すこし離れたところにいるし
ぼくがすっかり普通になったと安心しているだろう。
ぼくはそろそろ、この重たい漬物石のような「普通」を
自力で押し上げてみたい気になっているのだ。

それが、土曜の雨の夜に
曳舟で思ったことのひとつだった。



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詩人

それは莫迦げた考えだというだろう
現実的ではないと
嗤うだろう
後ろ指をさすことだろう
腹をかかえて
気の毒がる人もいるだろう
更生させようとするかもしれない
どうも、ご親切に!

でもぼくは決めたのだから
この暗くて
せまいのかどうかすらもわからないほど暗くて
寒いのか暑いのかもわからないほど暗くて
険しいかどうかもわからないほど暗い
この道をゆくだろう
己の言葉をたいまつに燃やして
一本のペンに命を吸いこませて
綴るだろう

君に語るだろう
君のかわりに語るだろう
そして死ぬまでそれをやめないだろう
駄作でいい
愚かでもいい
恥じるものはない
これはぼくとぼくの勝負なのだ
ぼくはもう宣戦布告をしたのだから
この、往く人の少ない道を選んだのだから

これは誓いではありません
自ら詩人と名乗るからには
なにがあっても、死んでも、
ペンを折ってはいけない
そういったあたりまえの
つまるところ覚悟の話なのです





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自画像

眉のうえに角がみえる
眉骨というふくらみが
ひとよりすこし
発達している
わたしの横顔は
ゴリラのそれに似ている
その横顔を見て
まるで角が生えてくるようだと
無邪気に怖れる妻にわたしは
「それはコンプレックスなのだから
あんまり触れてくれるなよ」
といい、苦笑だけしてみせる

ところが
それは別段、コンプレックスでもなんでもないのだ
それは顔に歴史が映っているだけなのだ
わたしの眉の上には事実、角が生えていたのだ
肉親を呪い
社会を呪い
運命を呪い
周囲の物事、人物、現象のことごとくを
疎ましくおもい
常に反撃にでられる体勢で
堅固にこぶしをにぎりこんで
人を憎み
己を憎んでいた、わたしの歴史

母が
「この子はいつもなにかを睨んでいる
眠っているときでさえ
眉間にしわが寄っている」
と嘆いていたことも過去にあったが
それもすこし違うのだ
眉間にしわが寄っていたのではなく
それは刻まれたもので
さらに言えば、それはしわではなく怒りだ
その刻まれた怒りが
ゆるやかに歳月をたくわえて
眉骨をすこしづつ
すこしづつ隆起させていっただけのことなのだ

そういったわけで
わたしの顔には
わたしの歴史が刻み込まれている
鏡をみるたび、思い出すように
決して忘れることのないように




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美徳

昨夜からの熱をぶらさげて
草を刈る
一日に
一万二千円が
ほしいので
草を刈る
熊手をひっぱる

夏の最後っ屁のような今日の昼
やつらは半袖でやっているというのに
わたしはといえば
阿呆みたいに
長袖を二枚も着こんでまだ
27℃の晴天にこごえている

「なにがあっても仕事を休まない」
とか
「病なんてものは働いてふきとばす」
だの
彼ら植木屋の美徳はすばらしい
簡潔にして精悍だ
おお、すばらしい
けれど
それはわたしの美徳ではない
ただ
一日に
一万二千円がほしいだけ

めまいがしようと
骨が凍ろうと
草を刈る
熊手をひっぱる
一万二千円がほしいだけです



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自己紹介

偕誠

Author:偕誠
a.k.a.破裂
1983年生まれ。
東京都在住。
双極性障害と苦闘しながら
詩作に励んでおります。


※拙文ではありますが著作権は当方にあります。
無断転載等はご遠慮くださいませ。

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