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date :2017年01月

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2017-1-1

あけましておめでとうございます。

今年は
徹底的に自分と向き合おうと思います。
仕事も
詩も
人生そのものも
ぼくはまだぼくを知り尽くしてはいないから。

庭を美しく飾り立て、手入れするのも大事だけれど
裏庭のかたく凝り固まった土を
掘り起こしてみるのも有意義なことだろう。
と思うのです。

のろのろ、亀のごとき歩みで参ります。
今年もよろしくお願いします。


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1/20通院

自分の年齢を聞かれて、即答できない。
それどころか、いまじっくり考えてみても
答えには自信がない。
妻に聞けば正答が得られるのだが
いまはひとり、病院の白い待ち合い室にいて
周りはわたしのことを
まったく知らない人ばかりで
そういうところにいると
自分というものの不確かさが
気味悪く感じられもする。

年齢を忘れるほど長く生きてもいまいが、
年齢を気にするほどの若さもない。
若者を蔑むこともしないし、擁護もしない。
好きにやればいい。
年寄りを邪魔に想うこともないし
別に敬わなくてはとも思わない。
好きに生きればいい。
どこの国の大統領選にも興味はないし
自分が社長にどう思われてるかも、どうでもよい。
人によく見られたいとも思わないし
よりよい人間になろうとも思わない。
一生治らない病気ならそれでもいいし
治るなら治ればいい。
明日雨が降ろうと雷が落ちようと
どちらでもいいし
今日の雪にも興味はない。

ただわたしはわたしでありたいし
わたしはわたしでしかない。

わたしという人間は
詩を読むより書くことをこのみ
わたしという人間は
社会的な栄光より自己満足をこのみ
わたしという人間は
明日も昨日もわすれて今にのみ生き
わたしという人間は
そのままそっと死んでゆくのだ。

昨日、詩賞入選の賞状がきた。
嬉しかったが、それだけのことで。
今日は寒い雪ちらつくなか
狂人の証明に通院しているが
やはりそれもそれだけのことだ。
明日には職にあぶれるかもしれない。
事故でなにかを失うかもしれない。
急に病を発して死ぬかもしれない。
それもやはり、それだけのこと。

冬が春のまえにあり、
また春のあとにあるように、
ぼくという人間も
芽吹き、育み、衰え、塵になる。

人よ。
これがわたしの声だ。
ふだん、社会で発することない
ほんとうのわたしの声だ。
聞きたければ聞くといい。
聞きたくなければ聞かぬがいい。
人よ。
わたしはいつでも
あなたがたに話すのではない。
宇宙に、季節に、己を刻みつけるために
わたしは空に話すのだ。
檻からわたしを放つのだ。



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吐き出す

煙突のように、無為に煙をはきだしている。
たばこの煙。
あいかわらずの片頭痛。
今日は一段とするどくささる。
けれど、昨日までの鈍重な鬱のかたびらは脱げ
朝日にすこしだけ穏やかなこころを映している。

日曜からずっと休んでいる。
今日で五日目。
今回の鬱の兆候は先々週ごろ。
完全に「破裂した」のは先週の土曜だった。

思考はほぼ停止。
ひとむかし前のパソコンの画面によく出てきた
砂時計の表示。
あれがずっと頭の入口に置いてあって
そこから先には進めなかった。

今日も、別段、調子がいいわけではない。
でもこの数週間の心境の変化や搖動を
書き記しておこうと思えるほどにはなった。
ので、稚拙も吃音も気にせずに、とにかく、書く。

昨日、社長に「原因は?」と聞かれた。
持病です、と答えると、予想通りの沈黙。
何度も経験した、この沈黙。
原因は病気だ。
ほかにはない。
食中毒でもインフルエンザでもない。
うがい手洗いは徹底していたし
毎日帰宅後のトレーニングだって続けてた。
「体が資本」とは肉体労働者の真理であって
まさに体で稼ぐのだから、その資本には
時間と注意を投資してきた。
でも原因は、そこではない。

ぼくの病気は「精神病」にカテゴライズされるが
まずはそこに異議がある。
精神は、メスで切り開いて取り出せるものか?
ぼくが毎日飲んでいる大量の薬は
どこに作用するものか?
脳だ。
これは脳の病気なのだ。
はっきりしている。
セロトニン、ノルアドレナリンなどの
情報伝達物質に異常があるのだ。
そのせいで、気分をコントロールできなくなったり
感情がときに凍りついたり、逆に爆発したりする。
昨日までは体も熱のときのような重さで
動かすたびに軋む音が聞こえるようだった。
土曜日には幻聴もあり、
それが被害妄想の一部だとわかっていても
どうにも振り払うことができなかった。
原因は脳なのだ。

さらにそうなってしまった原因をたどる。
これはあんまり有意義なことではないが
仕事を休んでいるので時間はたっぷりあったから。
双極性障害、あるいは双極性感情障害。
むかしでいう躁鬱病。
発症の原因は8割が遺伝、2割が環境、
と言われているが、これは便宜上もうけた
「簡単にいうと」のための線引きだ。
当然、患者によって違う。

ぼくの父はすでに鬼籍に入っているが
生前の行動や性格を見る限り
ぼくと同じ病気を持っていた可能性は高い。
死後、遺品を整理しているときに
若いころの父のノートがでてきた。
つまらなそうな小説のテロップで
父にも青いころがあったのだと
くすくす笑いながら読んでいると
自分が躁鬱病なのではないかという
殴り書きを見つけて、心底驚いた。
母や姉妹にもそれを見せたが
彼女たちはそれを認めたくない風だった。
その後、何がきっかけだったかは思い出せないが
しばらくして、父は家族のだれにも内緒で
何度か精神科に通院していたことがわかった。
その時の診断はわからない。
父は若いころから糖尿病に罹っていて
その治療と抑制が彼の人生の大半を牛耳っていた。
家族から見てもそうだった。
完治の難しい病気と、奮闘する父の姿だった。
その裏で、自覚し通院するほどの
「精神病的な」なにかがあったのだろう。
いまのぼくにはありありと想像できる。

遺伝の8割。
父にもぼくにも同じような奇行の跡がある。
性格が似たのだと思っていた。
でもそこには共通した脆弱性があったのかもしれない。

環境の2割。
ぼくは子供のころ2度、後頭部を強打して
数針ずつ縫っている。
失神するほどのものだったから相当のダメージだ。
交通事故も何度も起こしているし
夏休みの半分以上を奪われて、入院もしている。
普通の人と比べて
(ぼくのこれまでの交友関係の中から
ぼくが調査した結果でしかないが)
頭に相当のダメージを受けている。
14歳でトルエン遊びにはまった頃には
いま思えば鬱状態から逃げるために
トルエンを吸っていたのだと、はっきりわかる。
そのトルエンもまた、脳に強烈にダメージをのこした。
いつでも、死にたい欲求があった。
誰にも心を開けなかった。
理解されることがなかった。
恋人はみんな、最後は死ぬほど泣いて
ぼくの前から去っていった。
ぼくのことを理解できなかったのだ。
彼女たちは何もわるくない。
それは「ぼく」ではなく「ぼくの病気」を
理解できなかったからなのだ。
ぼく自身、まったく病識がなく、ましてや自覚すらなかった
そんな状態で、誰かに理解されることなど
あり得ないということは、今ではすっきりとわかる。

20代、バイトで入った会社で
契約社員を経て、社員になり
初めて部下をもち、責任をもち、
バイトが仕事になった。
がむしゃらにやった。
勉強しながら眠り、起きてすぐ仕事をはじめた。
いま思ってみても、超人的だった。
奇行も多かったが、ぼくの生み出す成果は大きく
会社も「手綱さえうまく捌ければ」という
条件付きでぼくを高く買っていた。
その中で結婚もした。
望んだ相手ではなく、性的逸脱のすえに
芽吹いた命に対して、責任をとるための結婚だった。
そこからさらに拍車がかかった。
完全な「躁」状態だった。
なんでもできると思っていた。

それに急ブレーキがかかったのは
もっとも忙しく、ぼくの仲間の士気がもっとも高かった
いうなれば革命前夜とでもいうタイミングだった。
あと一歩で、無駄なストレスのすべてを排除できた。
「会社にとって負担にしかならない人たち」を
一斉に解雇しようという間際だった。
意識の高い仲間だけが残り
会社にテコ入れを始めようとしていた。

急ブレーキ。
性的逸脱、自殺念慮、過度の飲酒、被害妄想
身体的な症状も次から次へと出てきた。
四六時中、頭痛があった。
トイレにいけばかならず下痢だった。
そして、自殺。
完璧だった。

その自殺が未遂に終わったのは
今の妻である、そのときの恋人が
ぼくの部屋を訪ねてくれたからだ。
愛用のノートに汚い字の遺書
食べ散らかした落花生の殻のような睡眠薬の殻
からっぽのウィスキーのボトル
正装し、よこたわり、尋常ではないいびきをかいて
眠るぼく。
妻が後日おしえてくれた、その時の風景だ。

そこから、新しい人生がはじまった。
だからそのときの自殺は
実は成功していたのだと、今はそう思う。




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吐き出す 2

いま、この時
社長は現場で働いているだろう。
ぼくは休んだ。
休んで、台所の換気扇のした
たばこの煙をもくもく吐き出しながら
このブログに思いを吐いている。
それは一円にもならない仕事。
人から見れば「停滞」でしかないひととき。
これがぼくの最大の「格闘」なのだと思うとき
悔しくて涙が出そうになる。
ここで泣ければ、ストレス耐性もあがるのだろうが
ぼくは自分のことでは泣けない。
だから漫画を読む。そこで涙を流す。

日曜から休みつづけ
漫画も読み切ったし、ゲームも飽きた。
寝て過ごしていたから筋肉は落ちているし
体のあちこちが痛い。
これが「格闘」の一環だというのだから
自分自身、苦笑いがでてしまう。

しかし格闘である以上、
防戦しかできない場面もあるのだ。
いま攻勢にでれば必ずカウンターで沈められる。
ただの一撃で、積み上げてきたものが壊される。
そんな体験を何度も何度も何度も繰り返してきた。
だから胸を張って、会社を休む。
全部ゼロにもどってしまうよりは、格段にましだからだ。

自殺未遂から数年。
「数年」を詳しく調べる気にはなれないが
おそらく七年くらいだろうか。しかしそれは数字でしかない。
長い格闘を経てきた。
何度も地に這った。辛酸など、舐め続けてきた。
そうして、大事なことがなんなのかわかった。
病気を含めたぼくを、
理解するのではなく、抱擁してくれた妻の存在。
わからないままに赦し、抱きしめてくれた。
そして今では、ぼく以上にぼくの病気を知り、
そのうえで何も言わずに支えてくれる。
ぼくが迷ったときにだけ、そっと教えてくれる。
このかけがえのない人に出会えたことだ。
この人ととの暮らしを死ぬまで楽しみたい。
それが一番。

二番はものを書くということ。
売れなくていい。
評価されなくてもいい。
そのために書くのではないから。
歌うのが好きな人は鳥のように歌う。
曲を「売りたい」人は売れるように歌う。
ぼくは後者の歌はまったく聞かない。
聞いたところですぐに忘れる。
鳥の歌う歌は、いつでも聞いている。
ぼくもそうありたい。

だから、仕事はどうだっていい。
ほんとうにどうだっていい。
人に迷惑をかけない、という前提はあるけれど
いやになったら辞めればいいと思っている。
ぼくと妻、2匹の猫。四人が食えればそれでいい。
大金はいらない。
高級車も、ブランドの靴も、ロレックスもいらない。
この暮らしを明日に紡ぎたい。
ただそれだけを願っているから
だから、仕事はなんだっていいのだ。

こうした考えに至ったのは
刹那主義からくるものでも、投げやりな結論でもない。
ぼくがこれまでの人生のすべてをかけて
やっと描いた答えなのだ。
それを誰にどう説明すればわかってもらえる?
無理だ。
諦めでいうのではなく、これまでも無理だったし
もう一切それに期待などしない。
だから無理なのだ。

いまいる会社では、ぼくはまだ正規雇用ではない。
アルバイトに近い。
給料は普通の職人の額。過不足は感じない。
もともと同じ現場に入っていて仲良くなった人が
会社をつくり、そこに社員第一号になる予定で
いま一緒にやっている。
最初は友人の手伝いという感じで
のんきにやっていたが、それはさすがに
まずいということで、ちゃんづけで呼んでいたのも
社長と呼ぶようにしたし
仕事の関係に完全にスイッチすることにした。
つまり、友人を一人失った。
そしてよい社長に巡り合った。
そう思っていた。

有能な社長は、ぼくにも高いハードルを用意した。
数年前のぼくなら、喜んで、全力で突進したに違いない。
ずっとそういう上司を求めていたのだから。
いつでも上司には物足りなさを感じていたから。
けれど、この一、二年で、ぼくの考えは大きく変化していた。
仕事はなんだっていい。という考えに。
仕事において、妥協はしない。
成果をあげることにも、余念はない。
でも、つきつめれば、仕事はなんだっていいのだ。
そういう思いでいるぼくにたいして
社長はハッパをかけつづけた。
考えが一致したので、昨年末に資格試験も受けた。
その合否の発表が三月。
三月までは、次の試験の準備をゆっくりやるつもりだったし
実は勉強もはじめていた。
けれど、社長には物足りなかったようだ。
自分が三年かけてとった三つの国家資格を
ぼくに一年でとれ、と言ってきた。
ハッパ、だとは思ったが、そうやってモチベーションを
高めていこうという考えだともわかった。
でも、それを行うには、ぼくには準備するものが多すぎた。
その試験の性格上、車を買わなくては練習もできないし
その資金は貯蓄している途中でまだ無理だ。

(これはただのグチなのか?
せっかく読みに来てくれる人にグチをだらだらしゃべるのか?
読まれることを前提で書いているのではないのだから
仕方がないのか?
そもそもこれを書く必要があるのか?)

とまあ、いろいろあったのだ。
書き連ねようと思えば、キリの見えないほど。
結局、過度の期待をかけられることに嫌気がさしてきたころに
鬱がじわじわ忍び寄ってきた。先々週ごろだ。
その静かな足音に気づいてはいた。対策もうった。
けれど、日に日に悪くなっていった。
だから辞めようと思った。
それとなく、そういう話をした。
社長は態度を一変させ、休めばいい、といった。

(つまらないことを書いてる。
本当はこんなことが書きたいのじゃない)

昨日、社長から電話がかかってきた。
夕方にかける、と前もって言っていたので
夕方から携帯をマナーモードにした。
音がなると、パニックになる可能性があったから。

その電話で聞かれたのだ。
「体調のわるい原因ってなんなの?」
持病だといったじゃないか。
持病の話は、何年も前から話してるじゃないか。
そう思った。
でも彼にそれを求めるのはおかしい。
彼はぼくの主治医でも、妻でもない。
ぼくの病気を熟知する理由も義務もない。
でも持病だというよりほかない。
体が動かないし、頭も停まったままだ。
だから現場にでても、役に立たないよ。
経験上、あと一週間くらいはかかるよ。(短くてもね)
「それじゃあ困るよ。来週の作庭工事には
絶対に出てもらわないと。
それが終わったら○○さんとこの工事にも
手伝いに行くって言ってあるし…」
ぼくは社員ではない。
そのうえ病気を抱えてる。それがひどく悪い。
でも、会社のスケジュールがある。
だから出てこい。そう言ってるようだ。
実に沈黙の多い電話だった。
社長はストレスを感じているだろう。
それはぼくだってそうだ。
迷惑をかけずに辞めるためには
まだまだ、身を削らなければならないようだ。

昨日はその電話一本で精根尽きた。
今日、状態は芳しくないものの
昨日よりはいいようだ。
迷惑かけずに辞める、というベクトルが
定まったのかもしれない。
彼のところで働くメリットは多いが
それでも、仕事はしがみついてまでやることではない。
いま決まってしまっている工事を終えたら、別れよう。
それを前提に話をしよう。

人はなぜ働くのだろう。
うすっぺらい紙幣を眺めながらそう思う。
こんな紙切れのためではない。
与えられた頭と体を動かし
何かをなすため?
人のために?
社会に貢献するため?
自分の存在誇示のため?
ぼくはそのどれも必要としていないのに。
ただ、妻と猫とのんきに暮らしたい。
それだけのお金があればいいのに。
病気と仕事にはさまれてぶっ倒れてしまうなら
第一に大切にしている妻を悲しませる。
本末顛倒な話なのに、社会ではそんなことが日常茶飯事だ。
ぼくはそれをどう切り抜けるのだろう。
策はまだない。



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鳥かご

鳥かごの鳥
おまえはなぜそこにいる
翼もある
きっとまだ飛べる
もがけば
不格好でも
きっとまだ飛べる
それなのに
おまえはなぜそこにいる
いつまでそこでそうしてる
小さなくちばし
せわしくうごかし
叫んで鳴いてなにになる
水はあり
餌もある
おまえは知らぬふりをするが
そこには自由だってほんとうはある
おまえはそのかごからいま外へ
飛びだす自由をまだもっている
それなのに
みずからおりの内にこもり
守られ
与えられ
あたたかい惰眠を啄みながら
ちいちいちちち
不満をくちざすんでばかりいる
嘆きを
憤りを
悲しみ
孤独を
寂寥
不安を
後悔
懺悔を
ああ
鳥よ
おまえがそのかごにいるあいだは
そのくちばしで歌うそれらの歌は
みんな嘘だよ
みんな嘘だよ
鳥かごの鳥
飛べないのは
鳥かごのせいではない
空はあり
おまえを待っている
いまもおまえを待っているよ


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いのり

わたしは見た
それは老婆だった
やせた体を車いすにあずけ
汚れたタオルを首からさげ
その片端を噛み
弱く噛み
乱れた白髪は
すべてうしろにながし
枯れかけた頭皮の脂が
それをゆるりとまとめ
えりあしは汚れたタオルに
静かにかかり
微動だにせず
うすくひらいた
まぶたの奥の
黒い
黒い瞳はそっと
ななめうえのほうを
見るでもなしに
見あげている
そうして
なぜかずっと合掌している
弱弱しく
しわだらけの
しみだらけの
骨を透視できるほどの
そのうすいてのひら
小刻みにふるえるてのひら
動かないまなこ
その瞳に何を映しているのか

車いすのハンドルを握る老爺
年輪をかさねたひとつの夫婦
しずかにまわりだす車いすの車輪
それを見ているわたし
老婆は合掌している
ななめにかたむいた首筋から
天人五衰のかおりがする
老婆のかなしみはわからない
苦しみはわからない
介添えする老爺の瞳には誇り
ひとつの夫婦としてあゆんできた軌跡
車輪はまわる
診察室へ
病院の
白く残酷な待合室で
わたしはひとつの神を見た




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東京

東京の街は
いつでもすえたにおいがする
人口が増えすぎて
はしのほうから腐りはじめている
むせかえるほどの
なみだのにおいがする

東京で生まれ
田舎で育ち
いままた東京で暮らしている
東京を呪いながら
東京を罵倒しながら
東京を軽蔑しながら

東京の街では
人はみな身をかざっている
虚しさを隠すためだけに
原色のけばけばしい街中に
するっと溶け込むカメレオンのように

同じ服を着
同じ靴を履き
同じ顔をし
同じことを話題にし

詩など読まず

東京の街では
毎日なにかを棄てている
弁当や服や家電よりも
もっと大事なものを
棄てている
毎日、毎時、毎分、毎秒
自分を少しづつ切り売りしている
ばかみたいに高い
家賃を払うためだけに

東京の街では
毎日そういうショウが見られる
ゆるやかに自殺していく人間のショウ
公園から子供の影はうせて
ビルの谷間には
泣きじゃくる大人の姿の子供がある

夕方の土手に遊んでいる子供たちは
みな幻の世界のもので
日没と一緒に眠りにつく
東京の
汚いアパートの一室に
ビルの谷間の牢獄に
公園のすみのあばらやに
子供たちの夢は眠る

東京の街はまるで
ひとつの大きな墓標のようだ
そこに眠る死体は
なぜか子供のものばかり
墓守たちのうたが聴こえる
時計のすすむ音が聴こえる




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さなぎ

わたしは芋虫のように
この数日間を過ごしてきました
家からもろくにでず
別段なにかを考えるでもなく
働かず
ただひっそりと生きていました

世に棲むおおくの人が
働いている時間に
わたしは芋虫のように
布団にくるまって
過ぎてゆく時間を見つめていました

ほかになにができましょう
芋虫は芋虫です
未来、蝶になるとしても
芋虫はいま芋虫でしょう

さなぎをはさみで切ったときに
どろりと流れたあれは
芋虫でしょうか
蝶でしょうか
そのどちらでもないのでしょうか
そのどちらでもあるのでしょうか

姿、さだまらず
自力で動けず
ただ風にもてあそばれるばかりの
どろどろとした
いまのわたしは
芋虫でしょうか
蝶でしょうか

外敵からわが身を守るため
いささか堅固に過ぎたこのさなぎは
内からはもう開かないのではないでしょうか
ただ窮屈に身をかがめ
丸まることを強いられて
折角できあがったその羽も
かたいさなぎの中で
そのかたちを醜くゆがめられ
その機能をうしない
その夢見ていた明日の蝶ではない
グロテスクな畸形のかたまりに
なってしまうのではないでしょうか

芋虫は蝶として生まれるのでしょうか
芋虫は芋虫として生まれるのでしょうか

芋虫は蝶を生み出すのでしょうか
もとより蝶であったのでしょうか

わたしは明日に
蝶となれるのでしょうか






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自己紹介

偕誠

Author:偕誠
a.k.a.破裂
1983年生まれ。
東京都在住。
双極性障害と苦闘しながら
詩作に励んでおります。


※拙文ではありますが著作権は当方にあります。
無断転載等はご遠慮くださいませ。

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