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date :2016年10月

日記10-17

有朋自遠方来。不亦樂乎。
(朋、遠方より来る有り。また楽しからずや。)

日曜の上野はきらきらしていた。
晴れた午後は、長袖もすこしわずらわしい。
京成の改札を抜けて、JRの駅前へ。
圧倒されるほどの人間の数がそこにはあった。
何人の人が、どれだけの用事があって
いま同じ駅前で立ちどまり、赤信号を見つめているのか。
ぼーっとしている人、慌てている人、苛立っている人…。
拡声器からは軍歌がながれ、演説が叫ぶ。
足早に流れてゆく、着飾った人たちがならす、歩道のパーカッション。
公園の大樹の群れ、その下にはいつもどおりのルンペン。
それはぼくの知るいつも通りの上野。
大嫌いな、大量雑踏廃棄都市。
ぼくは旧友と再会するためにその信号を待っていた。
おそらく、あの交差点で交差した人々のなかで
もっともたのしい目的をもっていたのはぼくだっただろう。

数年ぶりにあうその友人は
10年前に出会ったころとかわらず
雑踏のなかでもすぐに見つけることができた。
たかだか一年、同じ場所で仕事をしただけの縁で
ぼくの「ふつう」ではそれはあまりにも弱い縁で
「ふつう」ならばとっくに過去の彩になっているはずだ。
そのころ同じように周りにいた連中が
今どうしているのかはまったく知らないし
つながりもとうに途絶えた。
それだけぼくもその友人も
怒涛の数年のなかに一度ならず埋もれたのだった。

それではぼくらを結んだ縁とはなんだったろうか?
ロックだろうか、文学だろうか?
それを定義してみることにはなんの意味もないし、
実際、興味もないので、すぐにやめた。
よい土に木はよく育つように、よい縁は深まる。
それだけのことなんだろう。

とまあ、いささかセンチメンタルになっているかもしれない
自分にうっすら気づいてみたりもするのだが
ほっておいて先にすすもう。
この年でまだセンチメンタルを欠片といえども
感じることができるのは、やはり旧友の持つ何かのおかげだろう。

彼はいま新潟で米農家をやっている。
そこに至るまでの紆余曲折のすべてを知るわけではないが
いかに戦い、いかに育んできたか
いまの彼の表情や背中や腕から察せられるようだった。
簡単に言えば「いろいろあったねえ」ということになる。
そんな彼が作ったお米を二合分、いただいた。

彼の今回の上京は(帰京といいたいところだが)
彼のいる市が行っている移住者向けのセミナーで
講師をするという仕事が目的だった。
そこで参加者におみやげとして
彼がつくったお米をプレゼントしていたそうで
そこからひとつ持ってきてくれたのだ。
ロック青年だったころから知っている彼が
泥汗にまみれて丹精、つくりあげたお米は、
とても重く感じられた。


ぼくらには過去がある。
もう一度見れるものではないし、
もう一度体験できるものではない。
おぼろげな、雲のように姿をかえる
思い出というものを、なんとなく背負っているに過ぎない。
過去が自分を作る、という言い方は
もっともな言い方だが、おもしろくない。
ぼくらには過去だけではない、今も、この先もあるからだ。
未来に目を向けることをやめれば、
いま目の前にある戦いから目を背ければ、
いまのぼくらは霧消するに違いないからだ。

会っても思い出話しかできない関係なら
こんなにも楽しむことはできなかったろう。
思い出話だけでおわる会合は好きじゃないから。
彼と会うと、ぼくはぼくの言語に近い言葉で話せる。
植木屋仲間はみんな気のいい奴らだが
奴らとあわせると言語がほとんど出てこない。
ぼくは口下手な無口な男として映る。
それがやはり彼とであれば、饒舌というほどに言葉がでる。
しかし普段口にしていない分、うまく舌が回らなかったが。


さて、ぼくらは
ここからどこへ向かって歩いていくのかな。
転がり続けて、さらに丸くなっていくのかな。
坂道はどこまで、続いているのかな。
どこまでも。
どこまでも。
転がり続ける石のように。





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ねむれ

何を書いてもしっくりこない夜がある
それでも書かずにはいられない夜もある

そんな夜には
いつもの何倍も頭を掻く
頭がかゆいのではなく
脳みそがかゆいためだろう

あまりにもおおくの感情と言葉をまえに
どれを選ぶかなどというのは
あるいは正気ではできないのかもしれない
それに納得することなどは

だからそんな夜はむしろ
ぼくは正気に近いのかもしれない

にじみだす狂気が
詩を書かせるのだ

かつてはセンチメンタルがインクになり
懺悔と後悔のなかに自己愛のペンがあった
自画像を描くつもりで
いつまでも偶像を追いかけていた

いまのぼくは
詩では酔わない
むしろ醒めていく
透明な狂気がそこにある

今夜はそれをつかめない
内心の欲求には
とてもこたえられそうにない
だから眠れ

つかれたたましいよ
あわれなてのひらよ
眠れ



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日記10-25

朝、いつもとたいして変わらぬ朝
ぼくは死を忘れていた
自分がいつか死ぬことも
自分の大事な人がいつか死ぬことも
そして
それを忘れていることが幸せであることも
忘れていた

朝、いつもの顔ぶれがそろう
笑顔やねぼけまなこが並んでそろう
挨拶をかわし、車に乗り込む
退屈な赤信号、仕事前の軽口
これもまた、いつものこと

先日からの引き続きの現場にはいる
一人の男性が小走りにかけよってくるまでは
「日常」のなかにぼくらは包まれていた

男性は言った
「どうも人が死んでいるようだ」
男性は取り乱していたので、わらにもすがる思いで
ぼくらに声をかけたのだろう
それもそうだ
曇りですこし寒いだけの、なんてことない朝だったのに

松の林の中に彼はいた
いや、彼の遺体が「あった」
男性はぼくをつれて、あれ、あれ、と指をさす
太く黒い松の幹はすなおに空へ伸び
そのたくましい幹に、堅固に何重にも巻かれたロープの
その痛いほどの白が目に刺さった

新しく買ったロープで、首をくくった
人知れず、公園の、松の林のかげで
理由もわからない
誰かも知らない
けれど彼は大きな声で
ぼくに死を語っていた
それはあまりにも大きな、透明な声だった

警察を呼んでから、仕事に戻る
2、3の聴取はすぐに終わった
かたがついて
警官も、発見者の男性も、同僚もみな笑っていた
笑って、日常を出迎えていた
そのこころの隅に、暗いしみを残して

仕事に戻ったぼくは
考えるでもなく、土や草にまみれて働きながら
歌っていた
口の中で、何度も、何度も、何度も、
繰り返し歌った

「Knock knock knockin' on heaven's door」

死を選ばざるを得なかった者の
かつて生き、意欲したその体をそのままに
天国へのドアは開いたんだ
そこへ彼は旅立っていったんだ
重たい、肉の体を残して

どうか、もうなにも心配のない世界であるように
苦しみ、一人で死んでいった男の魂が
どこかで安らかに眠れるように
ぼくは弱い自分自身をそこにかさね見て
そうして歌っていた

「Knock knock knockin' on heaven's door」

天国があるなら
どうかいいところであるように
ないならば
その眠りが安らかであるように

ぼくは明日も生きる
天国のドアが
あちらからノックされたとしても
自らそれを開けることはしない
そして歌う
生きているよろこびと
死んでいくかなしみを





R.I.P




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自己紹介

偕誠

Author:偕誠
a.k.a.破裂
1983年生まれ。
東京都在住。
双極性障害と苦闘しながら
詩作に励んでおります。


※拙文ではありますが著作権は当方にあります。
無断転載等はご遠慮くださいませ。

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