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date :2015年06月

日記6-1

両腕がヒリヒリしている。
エアコンをつけてみても体温はさがらない。
一日、陽にさらしながら、草刈りをしていた。
両腕と首が、ゆでたタコのような赤。

去年は別の会社で、この現場にきた。
ちょうど今くらいの時期だったと思う。
低木(サツキなど)の刈込につかう機械で
同僚が薬指を切りおとしてしまったのだ。
今日はちがう会社で、ちがうメンツで、ここにいる。
ぼくも去年のぼくとはあらゆる面でちがうようだ。
青空と、水平線は、かわらずにそこにあった。
ありつづけていたのか。
ぼくが戸惑ったり、うめいていたようなときも。

全身から吹きだす汗に、ぼくは言葉で答えた。
「ああ、生きてるよなあ」

凶暴な太陽の光と熱に抱きくるまれながら
道路の向こうに逃げてゆく水を追いかけてみたりもした。

昼はおおきなヤシの根元にすわりこんで
うなじをくすぐるさわやかな風にうすく目を閉じた。
心臓の鼓動が、聴こえた。





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日記6-7

仕事復帰、1週間が終わった。
昨夜は復活祝いにひさしぶりのビールを飲んだ。
格別の味がした。

青空のした
やけつく陽の針
雨のふきつけるなか
なつかしい仕事にもどった。
なまった体も元にもどってきた。
社長もぼくが会社にもどったことを
喜んでくれている。
まあ、なんとか楽しくやっている。

昼休みには芝生や草むらのうえに寝転んで
空をみたり、煙草をくゆらせたり
あらゆる音階を駆使する鳥のさえずりに
ああ音楽の源流ってこんなところか、とかなんとか思ったり
20羽ほどの鳩にかこまれてうたた寝したり
詩を書いたりして過ごしてる。
汗と煤煙と陽光のなかに光る宝物のような時間がこれ。

病気のほうもいまは静かにしてくれている。
顔色も良くなったと思う。

以前は、こうなったらこれを一生キープしようと考えた。
今はそれを無理なことだと思っている。
あきらめたわけじゃない。
仕方がないことだと観念しただけだ。
また鬱はくる。必ずといってもいいとおもう。
大きな躁がくるよりはよっぽどいいが
ぼくのいまの薬は躁をうまくふせげているが
鬱はふせぎようがない。
ならば、そうなったときの備えをどこまでできるか
というのが肝心なんだ。

明日死んでもいいように遺言を書いておこう。
そう思いながらもう数か月・・・
この数か月がダメなんだ。
生きているからいいけれど、その数か月が問題なんだ。
明日、突然おおきな鬱がくるかもしれない。
備えはできているか?
それを日々の生活の中で問い続けることが
ぼくの闘病のひとつの側面なのだと思う。

普通じゃない人生はきつい。
わかってもらえないことだらけだ。
でもそんなのにはもうなれたし
ぼくには表現するという手段があるから、なんてことない。
万人に理解されなくてもそのうちのひとりが
わかるよ、といってくれれば十分だからだ。
普通じゃない人生は、おもしろくもある。
いまは、そう思える。
ながいトンネルをやっとぬけた。
次のトンネルにいつ入るかはわからないけれど
そんな心配ばかりするのではなく
いまはこの明るさを精一杯楽しみたい。





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日記6-14

ながい一週間だった。
長かったのか、いや、長いと感じただけなんだけど。

復帰2週目。
10日で32歳になった。
誕生日には、毎年ではないけれど
なにかいやなことが起こることが多いので
その日もすこし身構えていた。
仕事もはかどり、事故もミスもなく終わって
やれやれ杞憂かと、事務所に戻ってみると
前の社長がそこで仁王立ちにぼくを待ち構えていた。
まあ、いろいろと、言いたい放題言ってくれた。
いちいちここに書かないし、日記にも書かない。
心のなかにも残さない。
帰って妻ちゃんに話して終わり。

別に、誰にどう思われてもいい。
ぼくはそんな狭い世界に生きるのはいやだ。
言いたい人は言えばいいし
蔑みたければ蔑めばいい。
そんなもの、ぼくの人生にとってなんの価値ももたない。
怒りは、その人を小さくする。
それを呑みこんだぶんだけ、人を大きくすると思う。



昨日は妻の叔母の1周忌。
礼服じゃ暑い。
適度に刈られた芝生の上にぞろりと並ぶ墓石の列。
つやつやと日光を跳ね返す黒い石、鼠色の石。
刻まれた数々の墓名碑。
それらは生きた証などという言葉とは程遠く
言うならば死んだ証でしかないと思った。

正確なピッチで等間隔にならべられた墓石の下には
土工の汗とともに、石でできた四角い箱が埋められていて
そこに骨が放り込まれているに過ぎない。
墓地の工事をやった経験のせいでそう見えるのか、それとも・・・?

墓石の背中に刻まれた戒名は「釋」から始まるものが多かった。
うちの父もそうだ。夫妻そろって同じ宗派という偶然はありそうでなさそうだ。
聞きなれた般若心経。ぼくは暗唱できる。

子供のころ、あれは父が30代後半か、40代にはいったか
というくらいの頃、父は仕事から帰ってくると一人ひきこもった。
部屋に、ではなく、居間の隅で結跏趺坐を組み、自分のなかへひきこもった。
そして般若心経を唱えていた。何度も。
別に熱心な仏教徒ではない。父もぼくも。
だからそんなエピソードはすぐに忘れた。

それを思い出したのは、ぼくが自らの10代の終わりごろ
生きていく理由を尋ねまわり、「禅」にであったときだった。
深夜の部屋でひとり半跏趺坐、般若心経を唱えながら、思い出した。
あのときの父の重たい背中を、そこに再び見た。
いまでは禅のぜの字も思わない。すべて棄てたからだ。

そんなことを思い出しながら、昨日も
びかびか輝く陽光のしたで、坊主の読経にあわせて
ぼくも口のなかで静かにもごもご唱えていた。

若くして逝ってしまった叔母を思った。
短い付き合いだったが、最後に入院した病院が
我が家からも近かったので、妻に連れられしょっちゅうお見舞いにいった。
淑女というにふさわしい立派な女性で、気高いひとだった。
立派に生き、そのまま亡くなられた。
その生きざまを思った。

読経も、焼香も、坊主に払う金も、墓石も、
それらはすべて無駄な装飾でしかないとぼくは思うけれど
亡き人を思い、自分の生と死を思うための
舞台装置としての意味があるのだろう、などと思った。
礼服の下に、熱い汗がいくすじもこぼれた。
9月に三回忌をむかえる父のことを
思わずにはいれらなかった。

ぼくが死んだら。




ぼくが死んだら
お墓になんて入れないで
写真は燃やして
できれば戸籍もすててしまって
なにもなかったことにして
生まれて死んだ
それだけでじゅうぶんなのだから
ぼくという
ひとつの
孤独の
魂が
あちらからきて
あちらへいっただけなのだから
ぜんぶ
なにもなかったことにして
そのまま
青い
空に還して
星をつかみに
でかけてゆくから






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日記6-24

温めているのものがいくつかあるのだけど

帰ってきて
入浴、夕食、片づけ、雑務・・・
すっかりおわってPCをいじくろうと思うと
食後に飲んだ眠剤がもう効いてきている。
生活のリズムをくずしたくないので
22時には眠りたい。
そうなると
こうしてPCに向き合う時間がとれても
なかなか詩をまとめることができない。

今日ももう、睡魔がものすごい力で押してくる・・・。

金曜の通院後か
日曜の休みにはなんとか書きだしたいなあ。


そんな感じ。
毎日がんばって暮らしています。



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卍LINE

最近はレゲエばっかり聞いてる。
とくに卍LINE(マンジライン)
彼は窪塚洋介という名前で俳優もやってる。


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自己紹介

偕誠

Author:偕誠
a.k.a.破裂
1983年生まれ。
東京都在住。
双極性障害と苦闘しながら
詩作に励んでおります。


※拙文ではありますが著作権は当方にあります。
無断転載等はご遠慮くださいませ。

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