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date :2013年11月

  • 2013.11.03(日)
  • 2013.11.03(日)
  • 2013.11.04(月)
  • 2013.11.08(金)
  • 2013.11.15(金)
  • 2013.11.15(金)
  • 2013.11.18(月)

侏儒

目だけが

ぐりぐりとおおきくて

こどものさるのような大きさで

いやしい

とってもいやしい気配がする

いつどこでみかけても

あいつはもののかげから

こちらを見てる

目のほかは

印象がぼやけてる

めがねざるのような

中年の男のような

目だけが異様に

ぎらぎらしてる

職場で

家で

公園で

酒席で

図書館で

寝床でさえ

そいつを見かける

じっと

こちらを見ている

「お前にやるものなどない」

というと

けたけた、わらう

わらうといっても、声はきこえない

わらってる気配がするだけだ


きっと、ぼくが転ぶのを待ってるのだ

いまに転ぶぞ

転んだらとびかかって

脳髄、はらわた、ひきずりだして

生きながらに喰ってやる

そういって、わらう、気配


ぼくはそいつの顔をみるたびに

やわらかい、毛布のような絶望に

しずかにくるくる、くるまれて

頭がしびれてしまうのだ




心が枯れそうだ

水をあげなくてはいけない






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対話

地に足がつかないのは

想像の翼が、空をほっしているからだ


ははん、して、その想像の翼とやらは

結局のところ、言い換えるとなんなんだい?


言い換えられるものならば

たやすく人にも伝え得よう

言い換えられるものならば

これほどまでに傷つかぬ


なるほどなるほど、

つまり答えだなんだといいながら

君が探しているのはつまり

縦横無尽に駆けだせる、脚の生えた言葉なのだね



よしてくれ、言葉だなんて

あんなもの、ぼくは信用してないのだ

「人とおなじ言葉を喋りなさいな

人のわかるように語りなさいな」

ことあるごとにぼくは言われた

言葉は決して、ぼくという壁を超えないのだ


そんなはずはないね

それならどうしてここに書くのか

お気に入りのノートに書いて

ひとりため息をもらすがいい

あの詩人にあこがれて

君が引金をひかねばよいが!

ああ、あわれな男だ

いやしいやつだ

結局君は、大人になれないばかなのだ

病気のせいだとか

詩想がどうのという前に

現実を知れ、現実を見よ、現実に生きよ

それだけが君にあたえる処方䇳となるだろう


ああ、うるさい、ばかものめ

お前になにがわかるというのか

納骨のあとに飲みすぎた

ワインがうますぎたせいだろう

おまえなど、二日酔いほどのことにすぎない

消えてなくなれ、まやかしのピエロ

「現実」など、ひとつの空想にすぎない!


まあ、まあ、そうカッカとなるな

つまり君は、うん、そうだな

アイデンティティの喪失か

はたまた、理性の錯乱家

ひどく不出来なしろものだ

せいぜい詩人気取りだろう

いい加減、現実を見るがいい

生半可な言葉遊びをやめよ

簿記と英語を学ぶがいい

さあさ今日も稼ぎに出よ

急がなければ、日が暮れる


もうやめよう、こんな馬鹿騒ぎは終わりにしよう

おまえは現実につけられた傷を知らない

そこが膿んで、ぐずぐず汁をはきだして

しまいにゃウジが這い出てくる

その様を見たことがないのだろうか

なぜ書くか?

知れたこと

現実がぼくに傷を与えるからだ!

歴史の詩歌も文学も

戯れに書かれたはずがない

みな詩人の喀血によって

血のインクのみによって書かれてきたのだ

おまえにそれがわかるまい


さあ、いそげ、日が暮れる

しょせん、君の言辞にゃ脚がない

地に立たぬもの、影のないもの

あわれこの世の亡霊よ





ああ、言わなければよかった!

ぼくの孤独よ!

くちよペンよ、慎むがいい!

ピストルを一丁、ぼくにあたえよ!

それだけが、「希望」だ!




ああ、救えない、ばかものだ


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すんだ空を

どれだけの時間

ぼくは待ちわびているだろう

ほうけて、すべて忘れて!


小さくともひとつ

歩をすすめることを

どれだけ渇望しているだろう

自分を呪いながら!


泥沼に

沈んでいく

ずぶすぶと

ずぶすぶと


言葉もなく

ただ飲まれていく自分の姿を

蔑みながら、嘲笑いながら

見下ろしている


どうにもならない

ただ苛立たしい

時がすぎていくばかり

ぼくのすぐそばを


やがて終わるのなら

いま終われ!


叫ぶ気力もない

闘う余力がない

治る気がしない

どこへもいけない


時間の消費

不本意な浪費

不透明な視界

意識だけがとがる


ほそくほそく

とがる





無為。



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おわらない徒労

うつの波と

そうの波が

交互に押し寄せる

ビーチサイドで

砂を固めたお城をつくる

これがぼくの人生だ


何度作っても

お城は波にさらわれて

そのたびぼくは途方にくれる

これがぼくの人生だ


平坦な人生なんて望めない

いいもわるいも

脳みそ様のご機嫌次第だ

これがぼくの人生だ



ふたつの違う波に揉まれて

もうすっかりくたびれた

死の高波が待ち遠しい




しずかだ


薬がきいている


もっと眠りたい


この世の終わりまで

眠っていたい





まるでダメだ

こりゃあひどい

存在自体が誤謬なのだ




命くすぶる煙にまかれ

せきこむ

涙を流す

貧しい家にわれひとり






ああ、どこまで、苦しめばいいのだ

どうか、明日が来ないように、神様

この愚者の首をおとしてください

もうなにも考えずにすむように


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断続的な眠り

覚醒のたびに絶望をなめる


寝床にいてもつらい

頭がいたい


なにも考えられない

なにもできない


きづけば

あまりに大きなうつの波に

呑み込まれてしまっていた


49日すぎてもまだ

超えられないのか


薬のみすぎて体もくるしい

とにかく眠る

それしかできない





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ゆめとうつつのさかいを

ゆらゆらと

いったり、きたり

楽になりたい


しずみこむ

じぶんという、泥沼に

だれかロープをなげてくれ

ここからひきずりあげてくれ


いいや、こないでくれ

ほっておいてくれ

ぼくはへいきだ

ぼくはへいきだ


たいようのひかりが

こわくて、こわくて

あまどをしめる

やみは、ここちよく、ぼくをゆるす


なにもみなくてすむから

なにもきかなくてすむから

あまどをしめる

とけいの、いきのねをとめる


じぶんがふたりいる

やみとしじまのなかに

ぼくいがいの

ぼくがいる


そいつはさまざまな悪夢を

ぼくにみせる

白昼夢

薬はきいているのやら


にげだしたい

現実をとびこえて

シュールのビーチに

ねそべりたい


もう背中につばさはない

虚構、欺瞞、怠惰

きれいなものなどのこっていない

あした、むかえにきてほしい


てのひらに

なにもない




世界がみえない



ただしずみこむ



死なないだけ

生きてもいない



いたみも無視して

ただ眠る

眠る

眠る




疫病神に

ずいぶん気にいられてしまったようだ



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光太郎の詩

高村光太郎
「道程」


どこかに通じている大道を僕は歩いているのじゃない
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
道は僕のふみしだいて来た足あとだ
だから
道の最端にいつでも僕は立っている

何という曲がりくねり
迷い まよった道だろう
自堕落に消え 滅びかけたあの道
絶望に閉じ込められたあの道
幼い苦悩に もみつぶされたあの道

ふり返ってみると
自分の道は 戦慄に値する
支離滅裂な
また むざんなこの光景を見て
誰がこれを
生命の道と信ずるだろう
それだのに
やっぱり これが生命に導く道だった

そして僕は ここまで来てしまった
このさんたんたる自分の道を見て
僕は 自然の広大ないつくしみに涙を流すのだ

あのやくざに見えた道の中から
生命の意味を はっきりと見せてくれたのは自然だ
僕をひき廻しては 目をはじき
もう此処と思うところで
さめよ、さめよと叫んだのは自然だ
これこそ厳格な父の愛だ

子供になり切ったありがたさを 僕はしみじみと思った
どんな時にも 自然の手を離さなかった僕は
とうとう自分をつかまえたのだ

丁度そのとき 事態は一変した
にわかに眼前にあるものは 光を放射し
空も地面も 沸く様に動き出した
そのまに
自然は微笑をのこして 僕の手から
永遠の地平線へ姿をかくした

そしてその気魄が 宇宙に充ちみちた
驚いている僕の魂は
いきなり「歩け」という声につらぬかれた

僕は 武者ぶるいをした
僕は 子供の使命を全身に感じた
子供の使命!

僕の肩は重くなった
そして 僕はもう たよる手が無くなった
無意識に たよっていた手が無くなった
ただ この宇宙に充ちている父を信じて
自分の全身をなげうつのだ

僕は はじめ一歩も歩けない事を経験した
かなり長い間
冷たい油の汗を流しながら
一つところに立ちつくして居た

僕は 心を集めて父の胸にふれた
すると
僕の足は ひとりでに動き出した
不思議に僕は ある自憑の境を得た
僕は どう行こうとも思わない
どの道をとろうとも思わない

僕の前には広漠とした 岩疊な一面の風景がひろがっている
その間に花が咲き 水が流れている
石があり 絶壁がある
それがみないきいきとしている
僕はただ あの不思議な自憑の督促のままに歩いてゆく

しかし 四方は気味の悪いほど静かだ
恐ろしい世界の果てへ 行ってしまうのかと思うときもある
寂しさは つんぼのように苦しいものだ
僕は その時また父にいのる
父はその風景の間に わずかながら勇ましく同じ方へ歩いてゆく人間を 僕に見せてくれる
同属を喜ぶ人間の性に 僕はふるえ立つ
声をあげて祝福を伝える
そして あの永遠の地平線を前にして 胸のすくほど深い呼吸をするのだ

僕の眼が開けるに従って
四方の風景は その部分を明らかに僕に示す
生育のいい草の陰に 小さい人間のうじゃうじゃ はいまわって居るのもみえる
彼等も僕も
大きな人類というものの一部分だ

しかし人類は 無駄なものを棄て腐らしても惜しまない
人間は 鮭の卵だ
千萬人の中で百人も残れば
人類は永遠に絶えやしない
棄て腐らすのを見越して
自然は人類のため 人間を沢山つくるのだ

腐るものは腐れ
自然に背いたものは みな腐る
僕はいまのところ 彼等にかまっていられない
もっと この風景に養われ 育まれて
自分を自分らしく 伸ばさねばならぬ
子供は 父のいつくしみに報いた気を 燃やしているのだ

ああ
人類の道程は遠い
そしてその大道はない
自然の子供等が 全身の力で拓いて行かねばならないのだ
歩け、歩け
どんなものが出てきても 乗り越して歩け
この光り輝やく風景の中に 踏み込んでゆけ

僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、父よ
僕を一人立ちさせた父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため



高村光太郎は、ぼくのゴッドファーザー。

ひさしぶりに、彼の詩集をひらいた。

魂が、哭いた。

よわい、よわい声で。

この道を、まだ拓いて進めるだろうか。

ぼくはどこへ、たどりつこうとしているのか。

夢はひとつ。

ルートは億千万。

捨てちまえ、くだらないこだわりも、なんもかも。


明日は新しい病院。

妻が調べてきてすすめてくれた。

だから行ってみる。

太宰がパビナール中毒で入院させられた病院だ。

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一歩ずつ

やっと日記がかける程度になった。

今日は早起き、通勤ラッシュのすこしあとの電車を

三本乗り継いで、病院へ。

今日は休みの妻がつきそい。


待合室で、なぜか心臓バクバク。

ぼく、緊張なんてあまりしないのだけど

「生まれて初めての面接」くらいドキドキしてた。


診断は「双極性障害」

やはり、単極性うつではない。

前医の処方にたいする不安も相談した。

薬がまたしてもがらっとかわった。

抗鬱薬から、抗精神病薬へ。

ジプレキサ。

高価な薬なので、自立支援医療制度への

申込の準備をした。

前医の診断は双極性障害かうつか、

微妙なところだったから

今日ハッキリして、それだけでもよかった。

大きな病院はこれまで敬遠してたけど、失敗だったかな。

一生薬を飲み続けなきゃいけない、という。

でも、それでコントロールきくなら、全然ましだ。


帰って早めの夕食をとり、薬を飲む。

コケのように眠る。

風呂のために起きて、日記を書く。

昨日より、だいぶ心が軽くなっている気がする。

標的がひとつに絞られたからだろう。


人生の設計図を、もう一度白紙に戻そう。

うんとサイズダウンさせよう。

それでもきっと、夢はみるだろう。


うつのなみはおそろしく

たまらないものだけど

必ず何かを残していく、気がする。

よくもわるくも。

つまり自分次第なんだろう。

今回の波はとってもおおきくて苦しかったけど

なんとか死なずに済んだから

せっかくだから、自分らしく生きよう。


色々な尺度をすてて

いちど「ぼく」に帰ろう。


肩の力がいい具合に抜けたのかもしれない。

無理してつま先立ちしても

遠くへは行けないよ。

かかとまで、しっかり踏みこんで

一歩ずつ。

そう、一歩ずつでいいんだ。


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あそび

車のハンドル

自転者のタイヤ

風船


ぼくに足りないのはあそび


ヴァイオリンの弦だって

はってばっかりじゃ切れちゃうよ

いい音を奏でるには

必要だよ、緩急が


毎日緊張してたら倒れてしまうし

毎日弛緩してたら起きあがれなくなってしまう

ハリとユルミ

簡単なことが真実なのだ

そしてとびきり、むずかしいのだ




今日も仕事は休んだ

トルストイの「イワンイリッチの死」を読んだり

ねこに遊んでもらったり

妻ちゃん帰ってくるとにわかに元気でる

リハビリのつもりで家事をすこしだけ手伝う


来週は仕事にもどりたい

働かないと、ぼくはダメになる



生きていこうと思えるのは

妻ちゃんとねこたちと

友達がいるからだ

笑交わしたり腕をくんだりした友だちよ

顔は知らないけれど励まし合ってきた友だちよ

君たちがいるからぼくは生きてる

ほんとにありがとう




ながくてくらい時間が過ぎた

ぶあつい雲がわずかにずれて

晴れ間がのぞいたような気がする

これはぼくの心象のはなし

外には一歩もでてません

でもこころにも

お天気はあるのだ





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DくんとIくんの会話

「ぼくはぼくなりにね、考えてはいるんだよ。

ぼくなりに、世界をよくしたいと願っているよ。

でも、その世界というのが肝心なのさ。

誰だって君のようにね、世界をクリアに見つめて

それをシンプルにかつ、的確に表現できるとは、限らないだろう?

そうじゃないか?」


「おれにはお前が何をいいたいのか、わからないな。

おれだって最初から世界が見えてた訳じゃないさ。

勉強したんだ。四苦八苦だよ。

おまえがいう苦しみってのは、おれの苦しみとは違うんだな。

何百冊と本を読んだ。何人もの人に会って話した。

そうしてすこしづつ見えてくるもんなんだ、世界とはさ。

おまえも、だから、世界を見ろよ」


「それがつまり、危ういんだよ。

それがぼくには厭なのだ。

君は勉強というが、その読んだ本が正しいか正しくないか、

それをどうやってきめるのだ」


「ある意見を読む。それに関わるセカンドオピニオンを探す。

それから反対意見も読む。じぶんで咀嚼する。それを繰り返すんだ。

そうやって切磋琢磨していくのだ。磨き上げていくのだ。

おまえは曇りガラスの眼鏡をはめているのだ。

その曇りを研磨しなくては、世界がみえないままだ」


「それだ。それが危ういというのだ。

世界は所詮、君の頭のなかさ。

ブロックをひとつずつ積み上げてるようなものだ。

知識や見聞というのは、世界をつくる材料だろう。

それをレンガのように使いやすいブロック状にして積み上げる。

そうして君が作り上げた君だけの構造物を、

世界とよんでいるに過ぎないじゃないか。

まだ知らないこともあるだろう。あるはずさ。

建物の裏側は一体どうなってる?

君の世界がハリボテじゃない証拠はあるのかい?」


「おい、見損なうなよ。

滅多なこというもんじゃない、友情にだってヒビが入るぞ。

おれは作ってなんかいない。これは科学だ。

観察と、検証と、比較と、結果さ。データなんだよ。

世界はハッキリとそこにある。裏側だってちゃんと見えるさ。

表面的な事象ばかりではなく、深奥のものをちゃんと感じる心はある」


「いいや、ハリボテにちがいない。

ぼくも君もね、ハリボテの世界で踊っているに過ぎないよ。

じゃあ、聞くが、君には精神病患者の世界が見えるか?

それとも、かれらも君と同じ世界を、同じように見ているのかね?」


「きっとそれをいうと思った。

病気もそうだし、個性や感性なんかも似たようなものだろうが

それはつまり角度の問題さ。位置の問題だ。観察者のね。

世界は、変わらないものがそこにあるのだ。

それをとりまく《見るもの》の姿勢がちがうだけのことさ」


「だから、それこそ、人の数だけ世界が存ずるということじゃないか。

いいかい、やめちまえ、そんなお勉強は。

こうして話してるお互いのこころだって、どうにもわかりはしないのだし

動かすことだって、本質的には無理なのだからさ。

なにが社会?なにが世界?なにが正解?

すべて投影さ。こうあるべき、こうあってほしい、

こんなもんだろう。な?ちがうかい。

ぼくの世界、これを、君はさっさと認めるべきだ。

いま君が見ているこのぼくも世界なんだからね。

世界なんだろう?

ならば認めろよ。世界はハリボテだってさ」





無益な押問答はつづく。

この対話は、過去のぼくか未来のぼくか

いずれにしてもぼくに関わる一場面だ。

いまのぼくは、その記録係。

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父に会いたい

もう会えないよ

会えるうちに会わないとね


高価な薬にかわって

仕事も休んで

家計の心配していたら

父から今日

最後の小遣いが振り込まれたよ

三十歳

なんとも頼りない息子だね


父さん

ぼくは、なんとか生きてますよ



ありがとう


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けっこう歩いたね

孤独の痛さに堪へ切った人間同志の
黙つてさし出す丈夫な手と手のつながりだ
孤独の鉄(かな)しきに堪へ切れない泣虫同志の
がやがや集まる烏合の勢に縁はない
孤独が何で珍しい
寂しい信頼に千里をつなぐ人間ものの
見通しのきいた眼と眼の力
そこから来るのが尽きない何かの熱風だ





今日はリハビリに費やした一日。

朝起きて、ネコのお世話をして

役所に書類をとりに歩いていって

あまりに陽光がきもちよかったので

調子にのって図書館まで遠出。

図書館、工事しててはいれなかった。

トボトボ帰っていく。

家についた頃にはフラフラ。

体力の低下っぷりが、まだ信じられない。

すこしずつ、戻していこう。


フラつくこと以外は、文句なしに、新しい薬はよくきいてる。

地獄の一週間、まとわりついた自殺への衝動が

ゆるやかに氷解していくのがわかる。

まあ、どうにかなる、そう思えてきている。


妻ちゃん帰ってきてから、また少し散歩。

雑踏への恐怖も、だいぶ薄らいだようだ。

外出、今日は楽しめた。

とはいえ、無理はまだきかない。

わずかな外出で、スネのあたりが筋肉痛だ。

食欲だけは旺盛で、よく食べる。

薬の副作用?

それもあるだろうが、生きることは食うこと、だ。


冒頭の詩は高村光太郎。

とくに意味もなく、今日の散歩中にふとおもいだして

口ずさんでいたので、のせてみた。

この人の詩は、男らしさに満ちていて

かっこいい。すき。


「イワンイリッチの死」読み終わった。

面白いし、読みやすかったな。

父の死後のいまだからかな、すうっと入ってきたなあ。

なんの違和感も疑問も浮かばなかった。

イワン・イリッチの死 (岩波文庫)イワン・イリッチの死 (岩波文庫)
(1973/01)
トルストイ

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死への恐怖が、つまり「死の苦しみ」の中身なわけで

それは死ぬ瞬間には、ひかりに包まれて消え失せる。

つまり、死ぬ瞬間に、死の苦しみから解放される。

そういう解釈をした。

もっともだ。

人生の苦しみの大半が杞憂なんだろう。

心配性の、いきものの、これはしゅくあだ。






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感情かえってきたかな

今日は忙しく、充実していた。

ああ、これをいまわのきわにも言えたらいいな。


早起きして、休日の妻ちゃんがゆっくりできるように

家中を掃除して、庭先も掃いて

ふたりでゆっくり朝ごはんを。

濃いめのみそ汁に納豆、いわしの…梅味のやつに。

ごはんが湯気をたてるのは、部屋が寒いから。

ねこに遊んでもらってから、おでかけ。

区役所いって、用事を済まし

妻ちゃんのお母さんの誕生日プレゼントかって

お隣さんのお庭の手入れでつかう道具をかって

とんかつ茶漬けを食って

ああ、一日歩き通したけど脚も元気だ。

明日は仕事に戻れそうだ。



人混みはやっぱり疲れるね。

いろんな声や音が入り乱れてるし

いろんな人が歩いているし

いろんな商品がどれも主張して目にうるさいね。

たまにはいいね、と言うけれど

ぼくは毎日山を眺めて育ったから

どうもね。

人が多くていいとおもうのは、

雑踏ではなく、そのなかで個人的なふれあいがあった時だね。



帰ってきてNeroさんのブログ読んで、こころ踊った。
人生という一冊の本

で、わくわくしながらいろんな人のブログにお邪魔して

ピピネラさんのブログでまたも、こころがはしゃぎだした。
小人さんとワルツを

とくに、そこでのそういちさんとの相乗効果をまのあたりにして

わくわくが、極まったな。

なんだか、今日は幸福を感じることができた。

久しぶりに、感情が躍動した。



むかし、知恵っていえば

塔のような、あるいは獅子や犀のような

あるいは伝言ゲームのような

そんなものじゃなかったかしら。

いまは、時間も空間も飛び越えて

知が知を刺激し合うことができる。

これって、すごく贅沢なことだね。

衣食住備わって、いろいろな恐怖から解放されてることも

それもぜいたくなことだけど、それ以上だと思うのだ。


誰がいったか忘れたけど

光よりはやいのは人の思念だって。

そりゃそうだね。たしかにそうだ。

思うと同時にアンドロメダにも手が届く。

でも、それって、ひとりごとなんだ。

ところがいまは、光の速度で人とつながり

場所のくさりをほどいて

さまざまに知を交歓しあうことができる。

これはやはり、すごいことなんだよね。

この波に、ぼくもおおいにうたをのせたい。

インターネットは表現者におおきな自由をもたらしたんだね。


いや、面白いことに気づかせていただきました。

ありがとう。
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一進一退の日

今日も早起き。

昨夜なかなか寝つけずにいたけど、起きれた。

先日お隣さんに声かけてもらってたので

お庭の手入れにうかがう。

芙蓉の花が終わってきたのでやってくれと。

本当は落葉をまってあげて、かつ落ち葉もはかずにおくのが

樹木にはベストなんだけど

狭い住宅街ではそうもいかないんだね。





でた。作業前の写真をとり忘れた。

これ現場でやったら親方にふっとばされますね。

いいんだー。今日のは趣味だからー。

さるすべりや芙蓉のような木は、こうして丸坊主になることが多い。

これは翌年おおきな花をつけるためなんだ。

光合成できなくて死んじゃうんじゃ?って聞かれるけど

樹木は人間の数十倍つよいんだ。

蓄えたエネルギーで春まで休眠する。

維持コストの高い葉っぱは冬に落として

根からその栄養を吸い上げるのだ。

冬の乾燥から根を守る役目もある。

樹木は「ゴミ」をひとつもださない。

見習いたい、といつも思うんだ。





発生材は、ぼくからみたら宝の山。

あらゆる使い道があるのだけど、都会ではコストをかけて廃棄する。

燃やせば火力だし、樹種によってはいい炭にもなるし

腐葉土作るには必須だし、単にマルチングにも使えるし

アートの素材にも使えるしね。

うちのネコ砂は松のチップだけど、

これはたぶんそういうリサイクルの流れでできる商品だね。




戦利品は、すこししなびた芙蓉の花と

帝○ホテルのチョコレート。

お代はいらねぇぜってな。


仕事に行くまでの間ネコと昼寝。

久しぶりに出勤するも、めまいひどく早退。

悔し涙がでちまった。ちくしょう。

でも、いまはこういう無理はしたくない。

ぐっとこらえて帰宅。


1mmでも、前に進めてれば、いいのだけど。


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トーマス・マン

どうしてぼくはこんなに風変わりで

みんなとそりがあわないのだろう。

先生とは喧嘩腰だし、

他の子達からは仲間はずれなんだもの

あいつらをみるがいい

あの善良な生徒たち

手堅く平凡な生徒たちを。

あの連中は先生を滑稽だとも思わなければ

詩も作らないし

誰でも考えるような

大きな声で口に出せるようなことばかり

考えている。

トーマス・マン
『トニオクレーゲル
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光があると影がさす

 社会では,ある人たちが民主主義や自由を享受するためには,別の人たちには一種の「奴隷」になることが強いられるのかもしれません。 少なくとも,古い時代の生産や技術の水準では,そうならざるを得ませんでした。 「民主主義」で有名な古代ギリシア(今から2400~2500年前)にも,奴隷がいました。 それは,一説には全人口の2~3割程度で,多数派ではなかったようです(「半分程度」ともいわれるが,いずれにせよ「奴隷のほ...
現代の民主主義における「奴隷」




そういちさんのブログ面白いですね。 ( 団地の書斎から )

とても聡明な方です。文章もとても綺麗だし。

トラバ了承いただけたので

追記にぼくの考えたことをのせました。

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ふう、やれやれ。

さて、なにから書こうかな。

今日は少し遅く起きた。

で、妻ちゃん休みだから、ふたりでゆっくりブランチ。

体調は中の下、くらいかな。


東京は急にふゆがきたような寒さで

古い戸建の我が家ではねこが凍えてしまうので

ねこのための「かまくら」を買いにいった。

なんせ、奴らにとっては初めてのふゆだ。

輪廻があるなら、別だけどね。すくなくとも今生では。


わが町、東京葛飾は、下町といわれてる。

ダウンタウンだね。

田舎ではない。でも都会じゃない。

住んでるひともそう。

古いひとは江戸っ子カタギが多いし

新しいひとは…まあ、細かいことはいいや。

葛飾で有名なのは柴又、帝釈天、とらさん。

亀有、こちかめ、両さん。

くらいのもので。

共通するのは人情だね。

これはほんとに映画や漫画のとおりで

その人情の中で幼少を過ごしたぼくには

やっぱりとても心地よい。

新しいひとたちは、そういうのを邪魔臭がるひとがたまにいるけど。


きょうはそんな葛飾のなかで

鶏と居酒屋とパチンコ屋に特化したの?な「立石」ってとこに行った。

まあ、近所です。


女性の買い物は慎重だ。

ぼくは優柔不断を自覚してるから、

買い物はできる限り時間をかけないようにしてる。

みればみるほど迷うからだ。

かまくら選びに時間を食って、すこし疲れた。

でもそのかいあって、ねこは気にいってくれたから、いいか。


で、つぎはぼくの用事。

先日行った工事中の図書館は「お花茶屋」というところ。
(いい名前だ!)
立石にも図書館はあるけど、行ったことなかったので

ふらっとたちよってみると、なんてこった。

いつも行くお花茶屋の2,3倍の充実っぷり。

もう興奮して、バッグに入りきらないほど持ってきちゃった。

これも読みたいこれも読みたいこれも読みたい。

で、持ち帰れる量にゲンセンして、5冊。

妻ちゃんがねこの本を2冊。

ぼくはフランスの詩を年代ごとに網羅した、たっかい本と

ランボーの全集と、ダリの画集。

気づいたら、普段なら買えないような高い本ばかり選んでた。

貧乏人には、まさに図書館さまさま、だね。


妻ちゃんが夕食におでんをつくってるあいだに

テーブル引っ込めて、こたつを登場させる。

食後はこたつでぬくぬくみかんを食べながら

ねこの本と、ランボーの詩集。

かみ合わない楽しい会話。

ああ、これで、病気じゃなかったらなあ!

明々後日、病院にいくときのために

感情の動きや思考の流れを、簡単にまとめているのだが、

きょうはなかなか、振幅がおおきい。

それにきづくと、いつもそうだけど、胸がざわざわ

不安な感じになって、なんというか、ふわふわする。

これが、なんとも、かなしくて、やりきれないのだ。


布団に入って、ねこの寝息を聞いてると

安心するこころと

消えてなくなりたいさみしいこころと

ふたつながら握りしめている自分にきづいた。

幸福ってなんだろう、と呟くけど、これは一種のポーズ。

ぼくは十分、幸福なのだ。

幸福だから、おそれるのだ。

そうにちがいない。


それを書きたくなくて、無駄に長く書いてみたが

結局は書いてしまうのだからね。

「ふう、やれやれ。」

これはチャーリー・ブラウンのまね。

チャーリー「どうしてだろう、日が沈むのをみていると

いつもきまって、かなしくなるんだよ」

スヌーピー「クッキーの、最後のひとつを食べたみたいだね」


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本のタイトル

Neroさんのブログタイトルが、ぼくはすきだ。

たまらなくすきだ。

「人生と言う一冊の本」

うーん。いいね。

ぼくは本がすきだから。

別に、一枚のレコードでもいいんだろうし

一幕のお芝居でもいいだろうけど。

本がすきだからね。

まず、本にはタイトルがある。

これは人生に例えたらなんだろう。

名前かな。

装丁は豪華なものもあれば、どこにでもあるような

標準的なものもある。奇抜なものも、あるね。

これは容姿、外貌、地位や、立場などかしら。

豪華絢爛な装丁で、中身が貧弱な本もあれば

地味でつまらない装丁だけど、珠玉の言葉がたたまれていたり、ね。

さあ、開いてみよう。

人はどうか知らないけれど、

ぼくが「人生と言う一冊の本」を開いたのは

おそらく16歳のころだったと思う。

あまりに多い空白に、唖然とした。

これを埋めて行くのか、これから!

そういう絶望に似た驚きを感じたのだ。

ぼくにとって「人生と言う一冊の本」は

外からと内から、二つの方向から筆記することができるものだ。

外からの記述は、これは自分ではコントロールできない。

でも、本のなかではさして重要ではない。

挿絵ほどのものなのだ。

内からの記述は、ぼくにしかできないものだ。

どういう言葉を使うか、それらをどう組み替えるか。

てにをはも重要な時があるし、どこに句読点を求めるか、なんてこともね。

さて、めくってみようか。

白熱したアクション映画のようなページもあるし

なんともまったり漫然とアンダンテなページもあるだろうね。

書かれたページは、このさきどうなるだろう。

削除はできるか? 改竄したいときさえあるんだが。

でも、一度破った本のページは

しおたれ、日に焼け、くしゃくしゃになり

もう本に戻すこともままならぬ。

できればしないほうがよい。

ぼくの本にも、まっくろに墨でぬりつぶしたい箇所がある。

それは、いくつも、あるんだけど、

その隠したい部分が、このさきの伏線になるとしたら

作家はそれをけしたりするか?

一行として、おろそかにしてはならない。

否、一言さえも。

最後のページをみてみよう。

おや、白紙だね。

一枚の真っ白いページ。これが今日なんだろうね。

今日からさきは、まだ読めない。

書いていくのだ。

読者であり、筆者である

人生と言う名のこの一冊の本は

この世界にどれだけの数が存在するのか。

そしてぼくがぼくのこの本を閉じる時、

ふう、とひとつため息をついて

どんな感想をもらすのだろうか。

どれほどの、本と出会えるだろうか。

出会えたら、あなたはその新しい1ページを

ぼくに見せてくれるかしら。

ぼくはそこから、なにを読むのだろうか。

世界は図書館のようだ。

ただしこの膨大な本は閲覧が自由ではない。

まずは自分の本を開こう。

そしてあなたが開いてくれるのを

楽しみに待つとしよう。

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憂鬱の学徒

「憂鬱」の学徒である
私は書斎へと行ったけれど
現世の学を綴る文字を
たどたど読んでは
ひどくこころは乱れている
読み書きを知らずに
「心配」に鞭打たれる
わが生涯のおわりの日々

今は昔 青春の花ざかり
学ぶこころのさとかったとき
今より多くをいっときあまりで
学べたはずだが年老いて
巧言に負けたとこころに悟る
必要なのは追従ではなく
叱咤だったが今は丸裸
わが生涯のおわりの日々

なにを聞こうと申すのか
ロバひきに擬せられ
「良い仲間」には去られ
ただ「無関心」に留められて
仕える私 もうおわりだ
望むのならば代わりに学べ
悟ったのが遅すぎた
わが生涯のおわりの日々

なるほど時を浪費したが
それは「愚行」の声がさせたこと
わかっているのだ いまわかったのだ
わが生涯のおわりの日々

【Escollier de melencolie 】Charles d'Orleans

シャルル・ドルレアン「憂鬱の学徒」
狂王シャルル六世の甥。
父は暗殺され、自分はアザンクールの戦で捕虜になり、
イギリスで25年もの幽閉生活を送り
帰国してからは政治家として失敗、ついに居城にひきこもり
詩を書いて生涯をおえた。

壮絶な人生は、詩の中に息をひそめている。
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庭にいます

画像がアップできなくなった。容量がどうとか。

ちぇっ。


今日も早起き成功。

妻ちゃんを見送って、ねこたちと遊んでから

葛西の実家へ。

とにかく、外に出ないと、ダメだ。

カビがはえてしまう。

ということで、金もかからず、時間もそこそこかかる実家へ。

でも、ゆっくりはできない。

なぜなら、ねこに会いたくなるから。

あはは、ダメ人間だね。

母ときゃっきゃっ話して、里子のおかかと遊んで、帰宅。

またねこと遊んで、今度はお隣の庭の手入れ。

お隣さんはうちとちがって、たいそうお金持ち。

でも、お代はもらってない。いまはぼくも素人になったからね。

お金をもらってないけど、チョコとかビールとかくれるから

ありがたくいただく。

そしてなにより、好きな時に行って好きに庭をいじれる。

これが最高のお代ですね。

今日は樹木の消毒。

それと除草。

どちらもプロでやってた時から

あまり好きじゃない仕事。

虫を殺すのも草を殺すのもほんとはいや。

でも、庭というのはほんとうに色々な制約のある世界だから

やらなくちゃいけない。

でも、野草だって愛好家はいて

これもうまくつかえば庭に風情をよびこめる。

花壇のきれいなお花には出せない味がだせるのだ。

社会における人間だって、同じことだと思う。

プラクティカルなのは、花や果実なんだ、どうしたって。

樹木は姿がいい方がいいし、コブや奇形もないほうがいい。

でも、野草には野草の味がある。

薔薇にも、菖蒲にも、チューリップにも

それは出せない味なんだよ。

なんどでもいうけど、これ、社会における人間に似てないかい。

言いたいことわかる?



人よ、名もしらぬ草とあなどるなかれ。



「おれにはおれの役割といのちがある。」


アスファルトの割れ目からのぞく

こんにちは

ひとくくりに雑草とよばれてる

あなたの名前はカタバミ

人がこのむクローバーは三つ葉

あなたは乙女が憧れる四ツ葉だし

クローバーによく似てる

花はとても可憐だし

葉っぱはよく見りゃハート型

アスファルトの裂け目から

こんにちは

ぼくの名前はカタバミ

そうなの、ぼくだって似たようなものさ

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踏み固められた道を歩くのでさえ
なかなか骨が折れるのだもの
まして新しく道を切り拓いて進むなんてことは
こりゃ実に容易ならねぬわざだ。

トルストイ『光あるうち光のなかを歩め』

主人公ユリウス
未実現の理想(この物語ではキリスト教)を
偽善、欺瞞として否定する。
このきもち、ぼくにはよくわかる。
ぼくも一時期カトリックの教会に通っていた。
洗礼の前に、信仰をためす旅にでた。
そのとき、教義と信徒の嘘にでくわして、
ぼくは芽生えはじめた信仰を投擲した。
たとえば、優しさが大事と説くものがいたら
そのひとは、誰よりも優しくなければならない。
実際には、そうはいかず、
彼自信そのりそうをの求めて、かつ
よびかけるように

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いま、ぼくは絶頂にあるのか

おそらくそうだ

もう、上は望まなくていいじゃないか

もうお腹一杯なんだ

よろこびも、かなしみも


いい身分だ

ワーキングぷあーだかなんだか

しらないけど

自覚としては貧しくない

わるくないよ

家はあるし、ローンは返せてるし

ぼくを必要としてくれる職場もあるし

なにより、理解してくれる妻がいるし

友人もいるし、ねこもいる

本はただで読める国に生まれたし

ものを書いて発表する場もあるし

もう十分じゃない

多くの人がいう「人生」は

ぼくにおいてはもう完成してた

多くの人が言わぬ「人生」が始まったのだ

貧しくても

妻とふたり、それにねこが

食うだけ足りれば

自分を描ける!!

だから、もう、ごちそうさまだ

そして、ここから、はじまるんだ

「疑えない自分」との戦いか

いや、戦いじゃない

それは和解だ

和解のための闘争か

はたまたみくだり半か


さてとにほんブログ村 ポエムブログ 散文詩へ
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脳内散歩「間取り」

真ん中に一つ、大きな柱があって

奥から、その柱まで壁で仕切られている。

手前は、仕切りがないので

左の部屋と右の部屋を行き来できる。

が、これは自分の意思で行き来するのではない。

あるとき、不意に、強制的に、有無をいわさず

左から右へ、あるいは右から左へ、移される。

それについて、ぼくはなにも言えない。

患者が病気を選べないように、ぼくは部屋を選べない。

左の部屋は、大きな窓があり、天井が高く天窓からは

過剰なほどの光がこぼれている。

空気はめぐり、つねに新鮮で、よい香りがする。

とりの囀りや、虫の羽音もよく聞こえ、それらをみな祝福のように思う。

右の部屋は、窓がなく、そのために空気は淀み、それなのに

部屋はひどく乾燥している。潤いがない。

まるで砂漠を部屋に持ってきたかのようだ。

分厚い壁は、わずかな音さえ漏らさないから

寂寞として、寂寥として、無為である。



左の部屋にあるとき、ぼくは

あたたかい温度を肌に感じ、陽気な音楽を耳に聞き、

翼のあるステップで、どこへでもいける、なんでもできると思うのだ。

まるで、神のようだ。

肯定をし、催促をし、激励し、挑戦する。

過剰な光を恩恵と感ずるところもなく

まったく裕福なのだ!


右の部屋にあるとき、ぼくは

あの過剰な光の百分の一ほどでもいいから、と光を求める。

自分が行き来するのだから光も多少ははいりそうなものだが

それがまったくないからだ。

否定し、懊悩し、虚無に謀られ、死を急ぐ。

このとき、ぼくは、地獄をみるのだ。

連行され、投獄されたときに、わずかに残り香のように

体にまとわりついていたひかりを

壊さぬように、そっと摘みとりあつめ

暗闇のなかの機織り機にかけて

すこしずつ、すこしずつ、闇に光を織り込んでいくのだが

これがまったくの徒労なのだ!

わずかなひかりでは、この闇を照らせない!



左の部屋にいたときに、ぼくはいまの妻とであった。

ひかりの満ちた世界でわからなかったことが、

右の部屋に入ったとたん、目を焼くような輝きをもってぼくに教えられた。

彼女がぼくのベアトリーチェだと。

右の部屋に、小さな窓がひとつできた。

月の柔らかいひかりがこぼれる獄舎で、ぼくは喜びに哭いたのだ。

窓の外には彼女がいたのだ!



脳内に地獄と天国をもつおとこ。

おかしなおとこ、ばかなピエロ。

左の頬には神を宿し

右の頬には硫黄のにおい。

笑いながら泣き、泣きながらうたう!

おろかなピエロ、みじめなおとこ。

今日も今日とて一喜一憂、己が境涯に嘆息と満足。

「わが脳内に世界はあり、世界はつねに

左へ右へと揺動している。

ああ、ぼくは、どっちへ転んでもへまをする!」


明るく見えたって、地獄は地獄さ。

そこにひとつ救いがあれば、それがためにそれで生きよ。

ひかりの量に惑わされるな。

過剰なひかりは、闇よりよほどたちがわるい。

明るき部屋では目をつぶり

闇の部屋でのみ目をひらけ。

そして機織り機にはみずからをかけよ

耳を、目を、手をはらわたを、

みずからのすべてを世界におりこめ!

猜疑も、反証も、役にはたたない!






光りあるうちは、黙せ!

とざしてのち、語れ!


君が見ている地獄とやらをさ。


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実況散歩

べつに、口論はしてないんだ。

ただ、何気ない妻のひとことが

ぼくをふるえあがらせて

睡眠薬と安定剤をのみすぎた

おきても、ねこのせわがやっとのこと

ゆうべ、くすりで押さえ込んだのは

正解

外へ飛び出していきたい 衝動があったけれど

それを抑え込んで正解

まえはそれで、血だらけになって

ホームレスと肩くんで

そのホームレスのために買ってきたウィスキーを

二人でからにして

警察の職務質問にあった



ダメなときは

無理に手綱を引き絞ってもいけない

といって、あの『じゃじゃ馬』にまかせて

手綱を手放してもいけない

馬もろとも

大量の薬でねむらせてしまうのがいい


今日は起きて

ねこの世話して

ひとり、家を出た

老人のような足どりで

とにかく一歩ずつあるく

転ばないように

人の顔を見ないように

ポッケにナッツをつめてきた

ポリポリ食べては進む

亀のような鈍足で

ナッツがなくなったのに

まだ、土手にはつかない

土手の

洪水のようなひかりを、浴びて

眠りたいのに

まだつかない

ナッツのかわりにタバコをすう

うまくもなんともない

ナッツのあまいこうばしい香りは

一服のタバコの煙に駆逐され

あたまは、よけいに、渋滞する

土手につくには、かならず勾配がある

きつい

といいいながらもタバコを吸ってる

帰る、余力は残るまい

いいんだ

かえるとこなんて、あるわけじゃなし

土手で草をしいてねむろう

ぼくがしんだら、

からだは、火葬なんかにしないでほしい

鳥やネズミや、おけらなんかにくわしてやってくれ

とお願いしたこと、つまは、まだ覚えているかしら

鳥になったららくだろうに

「なにいってんだい、鳥には鳥の苦労があるぜ」

そうだろうな

だけどきみに説教をされることもなくなるし

バカな理由で同属の殺しあいをみずにすむし

お金に振り回されなくてすむじゃないか

なんとか教とかなんとか主義だって

とりの、つばさは、縛れないよ


あ、光の量が増えてきた

まぶしいなぁ

もうすぐ、どてだ


それにしたって、この脚の重さはなんだ

「ほら、見ろ

おまえのすきなくさが

一面に命をひろげているよ

恥ずかしげもなく、独占欲もなく、

年に二回は区役所に

ねっこのギリギリまで刈られることを除いたら

なんて、じゆうに生きてることか

みろ、きみのすきな景色だろう?」

ああ、やっとついた、こののろまめ

ぼくはもう

つかれてしまったから

このオヒシバとクローバーとエノコロクサの

ベットにねよう

ほら、たくさんのむしたちが

添い寝をしてくれているのだから

ふまないように、きをつけてにほんブログ村 ポエムブログ 散文詩へ
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どうして人間?




ぼくのねどこ

ぽかぽかあったかくて

しあわせなきぶん

反対をみると

スカイツリー

だいきらい

バベルの塔みたい

高さなんて、どうでもいい

経済効果も

テナントの流行りのごはんも

どうでもいい

だってぼくは

『雑草』のベッドに、ね転がってるから。

空のたかさ知ってるから。

あのスカイツリー

作った人たちの度胸と、腕力と、知恵と、根性

だけがすばらしい。

あれでいくら儲かるとか、そんなやつ

ただのあほうだ。

経済なんてくそだ。

政治なんてくそだ。

文学?笑わせる。

すべて時のなかで風化するのに。

どうして草や樹のようにいきられないの?

どうして獅子や鷹のようにいきられないの?

どうしてぼくは人間なの?

アメンボのほうがよかった。

ひばりのほうがよかった。

秋のエノコロクサよほうがよかった。

あの美しい黒姫山の

りっぱな大樹のしたにある

石ころでも、ぼくはよかったのに。

なんだって、人間なの?

輪廻があるなら、ぼくはつぎは虫でいい。

野良猫に転がされて、車に踏み潰されて

簡単にしんでしまう、名もなき虫でいい。


「宇宙をみてごらん
きみはそれらの虫よりちいさい
人間を大きく考えすぎだ
百おくねんの彼方からみてごらん
人間なんて、かわいいバカばかりだよ」


町にたくさんいる。

自分が神様だと思ってるひとが。

ぼくは、涙がてる。

草のやさしさに、

そこを吹きわたる風の愛に

あたたかい、太陽の光に。

大地の強さに。


ああ、ぼくを産んだ父母よ。

父母を産んだ自然よ。

ぼくは一刻も早く

この人間稼業にけりをつけ

越えていきたい!

もうなにもほしくないんだ。




あちらへいこう。

父さんのいるところへいこう。


ぼくがしんだら、誰がかなしむ?

誰がわらう?

誰が怒る?

誰が呆れる?

誰が認める?

誰が赦す?

誰が責める?


なにも、いっさい、わからない。

ぼくには人間が、まったく、

まったく、わからない。


医者はうそつきだ。

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医師との対話

きみのように、めがわるいひとは

めがねをかけなさい

めがねがないと、黒板の字もみえないし

ビルも、横断歩道も、人の表情も見えないだろう

だから 、めがねをかけなさい



せんせい、ぼく平気です

空はみえるし、風もみえます

それに、めがねをかけたって

見えないものがあるじゃない?

素顔の自分が、みえなくなるじゃない?にほんブログ村 ポエムブログ 散文詩へ
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なにもしない日




今日はなにもしていないんだ。

昨夜、混乱したあたまを黙らせるために

すこしクスリを飲みすぎたんだ。


あたまがぼんやりして、いけないので

猫の世話して、散歩へ。

ゆっくり歩いて土手でねころび

夕焼け小焼けまでそこにいた。

風、陽光、草のベッド、土のにおいに

すっかり穏やかになって帰宅。


と、日記を書いていると大きな地震。


いけない。

感情が麻痺し始めている。

地震には我が家で一番はやくぼくが察知するのに。


今日はなにも感じない。


こういう日は、はやく眠ろう。

明日ははやく起きて、簿記の試験にいかなくてはいけないし。

はたして、この体調でいけるのやら…。



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落ち葉

彼と散歩をするのは、たのしい。

街路樹を、ひとつひとつ、丁寧に説明する癖があるから、

樹木のすきなものなら、楽しいだろう。

わたしが、彼と散歩をすることがたのしいのは、

樹木ではない。彼のことがすきだからだ。

ほら、これが、ヤマモモの木だよ。

こいつの実を食ったことがあるかい

酸っぱいけど、なかなかいける。

野趣にとむ、ってんだろうな、こういうの。

おれは、このヤマモモが好きでさ。

登りやすいし、整えたあとの姿が、いいんだ。

なんというか、どっしりしたなかにも

軽妙さがあってさ!

おれは、このヤマモモがすきなんだよ。


彼は植木屋なのだ。

生涯、植木屋だ、と彼はいう。


おいみろよ、こりゃ南天だ。

のど飴のコマーシャル見たことねえか?

あのナンテンさ。ほんとだよ。

赤いキレイな実がなるんだよ。

でも。これは、ミショウだな。

「みしょう?」

ああ、実に生えるってかいて、ミショウだよ。

字い、読むと当たり前だけどな


かかっと笑う。


実から生えたってことなんだろな。

要するに苗を植えたんじゃないのさ。

だから、ふつう、こんな街路樹のわきにはえてりゃ、

草刈りのときにかられちまうんだけどな。

あれは、ひいらぎ

あれは、まてばしい

あれは、ねむ

あっちのは、やまぼうし


………



ふと、彼の目線がひとつのヤマモモにとまった。

「どうしたの?」

いや、このヤマモモよう

もう二、年は剪定されてねえよ、この様子じゃ。

「ふうん、わかるんだね」

みろよ、ふところに、小枝がびっしりはえてんだろ?

懐というのは、樹の主な枝たちの内側をさすことを

わたしはいつもの彼の散歩講義のなかで学んでいた。

「うん、ほんとだ、びっしりだね」

こうなるとな、毛虫がたくさんうまれるんだよ。

鳥たちが見つけにくくなるからさ。


それきり、彼はすこし黙った。

わたしは彼が話し出すのをまちながら、

インターロッキングの舗装のうえを

からから舞い散るけやきの落ち葉を聞いていた。

剪定してすっきりさせると、

今度は鳥が集まってふんをする。

これ、鳥害っていわれるんだけど、

それで、何本、切らなくていい樹を切ったかな。

まだ、元気なのによ。

剪定じゃないぜ? 伐採だよ。

近所からの苦情だって。

「ふうん、それはひどいね」

でも、すっきりさせなきゃ、毛虫が多いって

この樹も、嫌われちまう。

街路樹は、丁寧に消毒もできねえし。

「風にのって、近所からクレームがくるんだっけ?」

ああ、そう、よく知ってるね。

うちの鯉が死んだざます!ってな。

でもよー。

森じゃあたりまえのことなんだよなぁ


彼の語尾は、あまりよく聞き取れなかった。

彼は都会に森を作るのが夢だった。

疲れたサラリーマンや

悩む学生や

恋人たちが

お金を使わずに誰でもはいれて

木々や草花にいやされて

またもとの生活に帰っていく

そんな森を作るのが夢なのだった。


おれにかかったら、このくらいのヤマモモ

ぱぱぱっと、きれいにしてやれるんだけどなあ。

見せてやりたいよ、お前にも

おれのハサミさばきをさ。

「うん、うん 」


散歩の、最後の決まり文句だ。

もう帰ろうか、そういう合図なのだ。

その言葉がでると、わたしは押してきた車イスを

まわれ右して、彼の家へと押しはじめるのだ。


秋の落ち葉を、カサカサ踏みながら

両足のあった頃の彼の姿を思い出すと

わたしは、満ち足りながら不足を感じる

自分自身の心魂に、ほとほと嫌気がさしてきて

ほろほろ、泣いてしまうのだった。
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不毛のひと

ねこが、絨毯で爪をといでも

しかりたくない。その元気がない。

タバコを吸ったあとの

換気扇がまわりっぱなしでも

とめにいきたくない。

ねこが台所に上がって

ぼくの薬をころころして遊んでても。

NEWSは、聞きたくないことばかり。

外には見たくない人ばかり。

ねこが台所のコーヒーカップを落として

割ってしまわないか

それだけがぼくの関心ごとで

世間がどうでも一向かまわない。

すきやればいいさ。みんな。

かまうものか。



昨夜は、いつぶりかな、人前で、号泣してしまった。

筆舌尽くし難い、なんて言ってないで

懸命に書いてみるから、読んで行ってくれるとありがたい。



ぼくは昨日、船橋まで

簿記の試験を受けに行った。

自己採点では不合格、次の試験は来年二月。

落ち込む要素はない。

ここ数ヶ月まったく勉強から離れていたのだから

仕方ない。

これを機に、もう一度腰を据えて…。

そう考えながら帰路についた。

途中、父さんがあのタイミングで死んでなければ、

とあたまのすみで声がしたから、げんこで殴る。

父さんのせいにしそうな自分がいや。

周囲の人は、驚いた好奇の目でぼくをみた。


帰ってきて、まずねこにご飯をあげた。

ふたりとも、ぼくのことがすきなのだ。

いい同居人だと思ってくれてるのだろう。



それからしばらく家にいて

気がついたらストレスの塊を両頬にぶらさげて

醜い顔でねこを叱っていた。

弱いやつは、さらに弱いやつに当り散らす。

ちいさな生き物へ、死んでしまった者へ。

自己嫌悪。

包丁を手に取り、喉に突き刺す。

死ねばいい、こんなばかなやつは。

ねこがかわいそうだ。



死ねない。

なぜなら、包丁はその先端を、喉の皮膚の表面に

ちょこっと触ったままなのだ。

笑えてきた。

ねこを叱りつけることはできても、自殺さえまともにできない。

臆病者め、身勝手な小心者め。

無価値感。

先日病院にいったとき、また薬が変わった。

体重増加を告げたら変わったのだ。

医者なんかきらいだ。

薬なんかで治るものか。

バカは死んでも治らないのだ。

当てにならない薬より、睡眠薬だ。

3粒ほどのみくだして

街へ出る。

「さあて、喧嘩でもしにいこうか」

かっこいいじゃないか、肩いからせてさ。

でも、こんなの、おきまりのポーズ。

できっこない。殴られる人がかわいそうだ。

とぼとぼ歩く先は土手しかない。

入水しようか。冷たい川で、すぐ逝ける。

いや、よすとしようよ。

結局あいつは太宰にかぶれたままだったなんて

葬式で言われちゃたまらないもの。

三十にもなって

はしかで死ぬようなものだって、笑われちゃ、母に悪い。


途中よった公園で木を眺めてた。

ヤマモモ、カエデの仲間、

ニレの仲間、大王松、

まっかなドウダンツツジ。

カサカサ音する、これはけやきの落ち葉。

公園をぐるぐる回る。

船橋に捨ててきた娘と同じ年頃の女の子が話しかける。

ぼくにではない。自分の母親にだ。


木を見てたら、

攻撃的な、なんというか、憤懣のようなものが

すっとこそげ落ちた気がしたので

踵を返して、帰路についた。

そこへ妻から連絡があって、もうつくというから

ふたりで花で遊ぼうと思って、

いきつけの花屋さんでツツジの仲間をひと鉢買った。

アザレア。白い斑のはいったやわらかい赤。

アザレアをもって、駅前で妻を待つ。

花見て妻が笑う。

ああ、生きていける、と思うのだ。



かえって、すこし寝て、

起きたらまた、先刻の攻撃的ななにかがむくむく湧いていて

妻に大声をあげた。

優しい妻に。

いつもせっせとぼくの世話を焼いて

ぼくの病気にぼくより詳しくなった

かわいい妻に、大声をあげた。

バカ、死んでしまえ。そう思った。

実家へいくといって、バイクで飛びだした。

死ぬつもりだった。今度こそ。

バイクでフラフラ走りながら思った。

ぼくを轢き殺したひとは

市原の刑務所に何年か入れられる。

そのひとに家族や恋人があったら、どうだろう。

じゃあ、壁にぶつけよう。

いや、無理だ。

昼間の包丁の件を思い出す。

きっと、バイクだけお釈迦にして、ぼくはけろっとしているだろう。

やめやめ、こんなことは。

帰って、妻に謝って眠ろう。

腹がすいてるからいけないんだ。

寝不足だからいけないんだ。


Uターンして家に帰ると

母が来ていた。妻の母は近所に住んでいるので

こうしてたまに買い物の帰りなどによってくれる。

最初は、ほっといてくれと部屋にひきこもったが

タバコを吸いに台所へ行ったときに

母が話しかけてきた。

ぼくはこの人を敬愛しているから、無視する訳にもいかず話した。



ぼくのあたまは狂っているんだ。

ー狂ってないよ、あんた、疲れてんだ。

だとしたら、今にも狂うんだ。

ーそんなわけない。

なんでそう言えるんだ、医者だって…

だれに、ぼくの脳みそのことがわかるんだ

死ねと言われるんだ、四六時中

あたまのなかに声があるんだ。

ーそんなやつのいうこと聞かなくていい!

ーそんなの、ぜんぶおっ母が消してやる!


消しちゃう!!

さ、ほれ、肉まんできたよ。食べる


妻は泣きながらぼくの背中をさする。

ぼくはほんとうにバカのように泣きじゃくる。

消してくれ!!

泣きながら、こころで叫ぶ。

この声を消してくれ!!




泣き疲れて、薬もきいて、ぐっすり眠る。

変わらない朝。

今日も朝から、声がする。

おまえは無価値

おまえは無意味

おまえは役ただず

おまえは木偶の坊

おまえの脳みそは腐っている

早く死ね

なぜ生きてる?

今日も人様に迷惑かけて

恥を晒して生きるのか



ぼくは今日も、朝からすでに途方にくれてしまっている。



世間がどうでもかまわないのだ。

ねこがいたずらしたっていいんだ。

この声を、消したいんだ。


死ねばいい。

死ねば消えるぞ。



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真っ黒い、球体

それが世界

鉛のように

にぶくて、どんくさくて、やたらにおもい

きんぞくのあつまり、無遠慮なかなもの

それが世界


ふわふわ浮いてる

彫れる人は彫るさ

その金属のかたまりをさ

届かない人は

いくらてをのばしたって

とびはねたって届かないよ


ふわふわ浮いてる

なまりのばけもの

彫れる人は彫るさ

さまざまなかたちをえがくのさ

白鳥?

太陽?

騎士?

王冠?

女神?

どんなかたちにも彫れるのさ


ぼくからみたら

真っ黒い

無遠慮でのろくさい

ただの鉄くれ



ふわふわ浮いてる

それが、思い出したようにずしんと

落ちてくる

と届かない人たちは

今が好機なんぞとぬかして

飛びついて彫るのさ

ぼくはぺしゃんこになるだけだ



それが、ぼくの世界


救いなんてない



断続的にやってくる

巨大な黒い塊に

おしつぶされる

それがいやで、今日も昼間から

睡眠薬をガブガブ飲むのさ

酒じゃ酔えない、シャブじゃ寝れない

しらふじゃ、あれにつぶされちまう



布団にこもって

やり過ごす

一秒でも長く寝られるように さ

オムツも買っとくべきだったかしら


せれがぼくの世界

真っ黒い、無遠慮な、硫黄のにおいする

球体の鉄屑





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自己紹介

偕誠

Author:偕誠
a.k.a.破裂
1983年生まれ。
東京都在住。
双極性障害と苦闘しながら
詩作に励んでおります。


※拙文ではありますが著作権は当方にあります。
無断転載等はご遠慮くださいませ。

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