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date :2013年09月27日

忠節ということ。


ノブノブと国取りごっこ -皆様の読解力に支えられたブログ- 遊びだよ、遊び!(って昭和か!)



ノブノブさんのブログはおもしろい。

考え方、見方というのは千差万別。

いつも刺激的。


今日もその「国取りごっこ」の記事を読んでいた。

考えることをやめていた脳みそにはいい薬…

いや、ちがうか。

考えてはいたのだ。

でもそれを披瀝することを、やめていたんだ。

だけど、今日は久々にやってみようか。


(トラックバックを使ったのは、単にきかっけとなったノブノブさんのブログを

紹介したいからで、今回のノブノブさんの記事に賛成も反対もありません)



権力者と大衆

この図式がぼくは感情的に、きらい。

権力者、大衆、なんなんだろう、この言葉は。

それって、どちらも人間じゃないの。

ただ、立場の違いでしかないんじゃないの。

それとも、神と人ほど、ちがうものなの。

会社で権力に平身低頭、あたまをさげてまわり

家にかえって奥方にふんぞりかえって酌をさせる。

それって、どちらも人間じゃないの。



そもそも…

権力者は、どうして権力をもっているの。

みんながそれに賛成したからじゃないの。

大多数の人が、彼に賛同したからでしょう。

ならば、大衆も彼の味方でしょうに。

彼のステークホルダーなんでしょうに。

それならやはり、権力者とともに栄え、ともに滅びるのがスジじゃないの。

「人の生きるスジを踏みはずしてでも、自分を守る」って

それは大衆が声高にさけぶ「権力者の欲得」の図にうりふたつじゃないの。

だから、つまりは、どちらも人間なんでしょう。


「権力者はずるい」という人おおいけど、大衆の狡猾さだってある。

権力者がひとたび失脚したとする。

するといままでかれを支持していた人たちが

「実はあれは無理じいだった」とか「我々はやつに騙されていたんだ」とか

簡単に手のひらを返すじゃない。

それでも人なの? って思わずにいられない。

(いいえ、それこそが人なのかもしれない)


雑なたとえかもしれないけど…たとえば

戦中戦後の報道において、朝日新聞さんの論調がまったく違うという。

でも、当人たちは、あれは検閲のために仕方なくー、なんて言う。

そんなもの、言い訳にもならないんじゃない。

検閲あったって、どれほど追及厳しくたって

いいたいこといって、言い続けて、それで拷問されて死んでしまった人だっている。

そうしなかったのはなぜ?

社会正義より、家庭の幸福をとったんじゃないの。

それでいいじゃない。

でもそれって、世の中の権力者のしてるいわゆる「私腹を肥やす」の図と、

どこかちがうの?


米英を鬼畜と言ったその舌の根もかわかぬうちに

東条は戦犯、あいつもこいつもA級戦犯!って叩いたのはなぜ?

アメリカのひとがそういうのはわかるよ。

怨と自己弁護と利益がそうさせるのでしょ。

でも、東条ていどの権力なんて、たかが知れていたはずだよ。

その権力だって、もうとっくに米軍にはぎとられているんだから

それなのに、無体だよ、あんな裁判も報道も。

もしかしてさ、そのときあなたがたの「権力者」は

もうとっくに米英にとってかわってたのじゃない?

だから今度はそっちにおべっか、っていうことじゃないの。

だから石田三成を嗤うのかな。

時勢が読めない、とか言ってね。

ぼくは感情として、石田三成の方がすきだ。

判官贔屓ではないんだ。

ぼくは忠節の話をしているのだ。



大衆がまつりあげる権力者、という姿も歴史上に多くあるでしょう。

そしてその権力者を、また別の大衆が引きずりおろす場面もあったでしょう。

それじゃあまるでサクリファイスじゃないか。


ぼくが生まれてから見てきた世界では

マスコミとよばれるひとたちが、情報の上流をつかんでいると思う。

(ノブノブさんの言うとおり、情報で戦争できる世の中で)

なのに、かれらも大衆なんだって。

新聞記事やNEWS報道と、ツイッターやブログがおなじってこと?

ちがうんじゃないの。

とんでもない権力をもっているじゃない。


ようは、あれですか。

弱者ぶりたいのですか。

日本人は判官贔屓が多い、と未だに言われているし。

自分はか弱い大衆で、強権に虐げられていますと、いいたいのですか。

誰かのせいに、しておきたいのですか。

おセンチな、くさい小芝居じゃないの。


話それるけど、原発だってそうでしょ。

最初は科学の進歩だって、喜んだのでしょう。

有効利用だって。

湯川秀樹は「慎重に」と抗議してたけど、大衆の力でぐいぐい進めて

そしてみんなでそれを享受してきたんじゃないの。

豊かな電力を、甘受してきたんじゃないの。

いまになって、責任者でてこい、はないんじゃない。

地震であんなことになるまで、原発反対って言ってた人ってどれくらいいるの。

マスコミが連日報道するようになって、肩書のある人たちの意見にさらされて

蒲焼でもやくようにさっと手のひら返した人ってどれくらいいるの。

自分たちで決めたことじゃない。

自分たちで、けじめつけるしかないでしょう。



いたずらに長くなってしまったけれど…

要するにさ、

自分を大衆って言ったらダメじゃない。

それは責任の放棄じゃない。

個人主義が流行ってるっていうけれど

それなら個としての責任をしっかり背負わなければ、いけないんじゃない。

個として、意見を変えるなというんじゃないんだ。

意見は変わって当然。

大衆に流されて、まげるな、って言いたいのだ。

それなら、まげない独裁者のほうが、ぼくはいい。

その権力者を支持するかどうかは別の話だけど。



うーんと、つまり…

家族主義、個人主義のぼくとしては

個も公もぼやかしてしまう「大衆」という言葉が

またそれを隠れ蓑にしようとするひとたちが

きらいということ、でした。


なあんだ、一行で済んだじゃん。




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ダウン(9-27)

おっきいな。

この波は、なかなかおおきい。


昼過ぎまでは、あたまもピカピカに冴えていたのだけど。

旧友との再会もあったし、いろいろ書きたかったのだけど。

こりゃ、ダメだ。

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自己紹介

偕誠

Author:偕誠
a.k.a.破裂
1983年生まれ。
東京都在住。
双極性障害と苦闘しながら
詩作に励んでおります。


※拙文ではありますが著作権は当方にあります。
無断転載等はご遠慮くださいませ。

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