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category :私の断片

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吐き出す 2

いま、この時
社長は現場で働いているだろう。
ぼくは休んだ。
休んで、台所の換気扇のした
たばこの煙をもくもく吐き出しながら
このブログに思いを吐いている。
それは一円にもならない仕事。
人から見れば「停滞」でしかないひととき。
これがぼくの最大の「格闘」なのだと思うとき
悔しくて涙が出そうになる。
ここで泣ければ、ストレス耐性もあがるのだろうが
ぼくは自分のことでは泣けない。
だから漫画を読む。そこで涙を流す。

日曜から休みつづけ
漫画も読み切ったし、ゲームも飽きた。
寝て過ごしていたから筋肉は落ちているし
体のあちこちが痛い。
これが「格闘」の一環だというのだから
自分自身、苦笑いがでてしまう。

しかし格闘である以上、
防戦しかできない場面もあるのだ。
いま攻勢にでれば必ずカウンターで沈められる。
ただの一撃で、積み上げてきたものが壊される。
そんな体験を何度も何度も何度も繰り返してきた。
だから胸を張って、会社を休む。
全部ゼロにもどってしまうよりは、格段にましだからだ。

自殺未遂から数年。
「数年」を詳しく調べる気にはなれないが
おそらく七年くらいだろうか。しかしそれは数字でしかない。
長い格闘を経てきた。
何度も地に這った。辛酸など、舐め続けてきた。
そうして、大事なことがなんなのかわかった。
病気を含めたぼくを、
理解するのではなく、抱擁してくれた妻の存在。
わからないままに赦し、抱きしめてくれた。
そして今では、ぼく以上にぼくの病気を知り、
そのうえで何も言わずに支えてくれる。
ぼくが迷ったときにだけ、そっと教えてくれる。
このかけがえのない人に出会えたことだ。
この人ととの暮らしを死ぬまで楽しみたい。
それが一番。

二番はものを書くということ。
売れなくていい。
評価されなくてもいい。
そのために書くのではないから。
歌うのが好きな人は鳥のように歌う。
曲を「売りたい」人は売れるように歌う。
ぼくは後者の歌はまったく聞かない。
聞いたところですぐに忘れる。
鳥の歌う歌は、いつでも聞いている。
ぼくもそうありたい。

だから、仕事はどうだっていい。
ほんとうにどうだっていい。
人に迷惑をかけない、という前提はあるけれど
いやになったら辞めればいいと思っている。
ぼくと妻、2匹の猫。四人が食えればそれでいい。
大金はいらない。
高級車も、ブランドの靴も、ロレックスもいらない。
この暮らしを明日に紡ぎたい。
ただそれだけを願っているから
だから、仕事はなんだっていいのだ。

こうした考えに至ったのは
刹那主義からくるものでも、投げやりな結論でもない。
ぼくがこれまでの人生のすべてをかけて
やっと描いた答えなのだ。
それを誰にどう説明すればわかってもらえる?
無理だ。
諦めでいうのではなく、これまでも無理だったし
もう一切それに期待などしない。
だから無理なのだ。

いまいる会社では、ぼくはまだ正規雇用ではない。
アルバイトに近い。
給料は普通の職人の額。過不足は感じない。
もともと同じ現場に入っていて仲良くなった人が
会社をつくり、そこに社員第一号になる予定で
いま一緒にやっている。
最初は友人の手伝いという感じで
のんきにやっていたが、それはさすがに
まずいということで、ちゃんづけで呼んでいたのも
社長と呼ぶようにしたし
仕事の関係に完全にスイッチすることにした。
つまり、友人を一人失った。
そしてよい社長に巡り合った。
そう思っていた。

有能な社長は、ぼくにも高いハードルを用意した。
数年前のぼくなら、喜んで、全力で突進したに違いない。
ずっとそういう上司を求めていたのだから。
いつでも上司には物足りなさを感じていたから。
けれど、この一、二年で、ぼくの考えは大きく変化していた。
仕事はなんだっていい。という考えに。
仕事において、妥協はしない。
成果をあげることにも、余念はない。
でも、つきつめれば、仕事はなんだっていいのだ。
そういう思いでいるぼくにたいして
社長はハッパをかけつづけた。
考えが一致したので、昨年末に資格試験も受けた。
その合否の発表が三月。
三月までは、次の試験の準備をゆっくりやるつもりだったし
実は勉強もはじめていた。
けれど、社長には物足りなかったようだ。
自分が三年かけてとった三つの国家資格を
ぼくに一年でとれ、と言ってきた。
ハッパ、だとは思ったが、そうやってモチベーションを
高めていこうという考えだともわかった。
でも、それを行うには、ぼくには準備するものが多すぎた。
その試験の性格上、車を買わなくては練習もできないし
その資金は貯蓄している途中でまだ無理だ。

(これはただのグチなのか?
せっかく読みに来てくれる人にグチをだらだらしゃべるのか?
読まれることを前提で書いているのではないのだから
仕方がないのか?
そもそもこれを書く必要があるのか?)

とまあ、いろいろあったのだ。
書き連ねようと思えば、キリの見えないほど。
結局、過度の期待をかけられることに嫌気がさしてきたころに
鬱がじわじわ忍び寄ってきた。先々週ごろだ。
その静かな足音に気づいてはいた。対策もうった。
けれど、日に日に悪くなっていった。
だから辞めようと思った。
それとなく、そういう話をした。
社長は態度を一変させ、休めばいい、といった。

(つまらないことを書いてる。
本当はこんなことが書きたいのじゃない)

昨日、社長から電話がかかってきた。
夕方にかける、と前もって言っていたので
夕方から携帯をマナーモードにした。
音がなると、パニックになる可能性があったから。

その電話で聞かれたのだ。
「体調のわるい原因ってなんなの?」
持病だといったじゃないか。
持病の話は、何年も前から話してるじゃないか。
そう思った。
でも彼にそれを求めるのはおかしい。
彼はぼくの主治医でも、妻でもない。
ぼくの病気を熟知する理由も義務もない。
でも持病だというよりほかない。
体が動かないし、頭も停まったままだ。
だから現場にでても、役に立たないよ。
経験上、あと一週間くらいはかかるよ。(短くてもね)
「それじゃあ困るよ。来週の作庭工事には
絶対に出てもらわないと。
それが終わったら○○さんとこの工事にも
手伝いに行くって言ってあるし…」
ぼくは社員ではない。
そのうえ病気を抱えてる。それがひどく悪い。
でも、会社のスケジュールがある。
だから出てこい。そう言ってるようだ。
実に沈黙の多い電話だった。
社長はストレスを感じているだろう。
それはぼくだってそうだ。
迷惑をかけずに辞めるためには
まだまだ、身を削らなければならないようだ。

昨日はその電話一本で精根尽きた。
今日、状態は芳しくないものの
昨日よりはいいようだ。
迷惑かけずに辞める、というベクトルが
定まったのかもしれない。
彼のところで働くメリットは多いが
それでも、仕事はしがみついてまでやることではない。
いま決まってしまっている工事を終えたら、別れよう。
それを前提に話をしよう。

人はなぜ働くのだろう。
うすっぺらい紙幣を眺めながらそう思う。
こんな紙切れのためではない。
与えられた頭と体を動かし
何かをなすため?
人のために?
社会に貢献するため?
自分の存在誇示のため?
ぼくはそのどれも必要としていないのに。
ただ、妻と猫とのんきに暮らしたい。
それだけのお金があればいいのに。
病気と仕事にはさまれてぶっ倒れてしまうなら
第一に大切にしている妻を悲しませる。
本末顛倒な話なのに、社会ではそんなことが日常茶飯事だ。
ぼくはそれをどう切り抜けるのだろう。
策はまだない。



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吐き出す

煙突のように、無為に煙をはきだしている。
たばこの煙。
あいかわらずの片頭痛。
今日は一段とするどくささる。
けれど、昨日までの鈍重な鬱のかたびらは脱げ
朝日にすこしだけ穏やかなこころを映している。

日曜からずっと休んでいる。
今日で五日目。
今回の鬱の兆候は先々週ごろ。
完全に「破裂した」のは先週の土曜だった。

思考はほぼ停止。
ひとむかし前のパソコンの画面によく出てきた
砂時計の表示。
あれがずっと頭の入口に置いてあって
そこから先には進めなかった。

今日も、別段、調子がいいわけではない。
でもこの数週間の心境の変化や搖動を
書き記しておこうと思えるほどにはなった。
ので、稚拙も吃音も気にせずに、とにかく、書く。

昨日、社長に「原因は?」と聞かれた。
持病です、と答えると、予想通りの沈黙。
何度も経験した、この沈黙。
原因は病気だ。
ほかにはない。
食中毒でもインフルエンザでもない。
うがい手洗いは徹底していたし
毎日帰宅後のトレーニングだって続けてた。
「体が資本」とは肉体労働者の真理であって
まさに体で稼ぐのだから、その資本には
時間と注意を投資してきた。
でも原因は、そこではない。

ぼくの病気は「精神病」にカテゴライズされるが
まずはそこに異議がある。
精神は、メスで切り開いて取り出せるものか?
ぼくが毎日飲んでいる大量の薬は
どこに作用するものか?
脳だ。
これは脳の病気なのだ。
はっきりしている。
セロトニン、ノルアドレナリンなどの
情報伝達物質に異常があるのだ。
そのせいで、気分をコントロールできなくなったり
感情がときに凍りついたり、逆に爆発したりする。
昨日までは体も熱のときのような重さで
動かすたびに軋む音が聞こえるようだった。
土曜日には幻聴もあり、
それが被害妄想の一部だとわかっていても
どうにも振り払うことができなかった。
原因は脳なのだ。

さらにそうなってしまった原因をたどる。
これはあんまり有意義なことではないが
仕事を休んでいるので時間はたっぷりあったから。
双極性障害、あるいは双極性感情障害。
むかしでいう躁鬱病。
発症の原因は8割が遺伝、2割が環境、
と言われているが、これは便宜上もうけた
「簡単にいうと」のための線引きだ。
当然、患者によって違う。

ぼくの父はすでに鬼籍に入っているが
生前の行動や性格を見る限り
ぼくと同じ病気を持っていた可能性は高い。
死後、遺品を整理しているときに
若いころの父のノートがでてきた。
つまらなそうな小説のテロップで
父にも青いころがあったのだと
くすくす笑いながら読んでいると
自分が躁鬱病なのではないかという
殴り書きを見つけて、心底驚いた。
母や姉妹にもそれを見せたが
彼女たちはそれを認めたくない風だった。
その後、何がきっかけだったかは思い出せないが
しばらくして、父は家族のだれにも内緒で
何度か精神科に通院していたことがわかった。
その時の診断はわからない。
父は若いころから糖尿病に罹っていて
その治療と抑制が彼の人生の大半を牛耳っていた。
家族から見てもそうだった。
完治の難しい病気と、奮闘する父の姿だった。
その裏で、自覚し通院するほどの
「精神病的な」なにかがあったのだろう。
いまのぼくにはありありと想像できる。

遺伝の8割。
父にもぼくにも同じような奇行の跡がある。
性格が似たのだと思っていた。
でもそこには共通した脆弱性があったのかもしれない。

環境の2割。
ぼくは子供のころ2度、後頭部を強打して
数針ずつ縫っている。
失神するほどのものだったから相当のダメージだ。
交通事故も何度も起こしているし
夏休みの半分以上を奪われて、入院もしている。
普通の人と比べて
(ぼくのこれまでの交友関係の中から
ぼくが調査した結果でしかないが)
頭に相当のダメージを受けている。
14歳でトルエン遊びにはまった頃には
いま思えば鬱状態から逃げるために
トルエンを吸っていたのだと、はっきりわかる。
そのトルエンもまた、脳に強烈にダメージをのこした。
いつでも、死にたい欲求があった。
誰にも心を開けなかった。
理解されることがなかった。
恋人はみんな、最後は死ぬほど泣いて
ぼくの前から去っていった。
ぼくのことを理解できなかったのだ。
彼女たちは何もわるくない。
それは「ぼく」ではなく「ぼくの病気」を
理解できなかったからなのだ。
ぼく自身、まったく病識がなく、ましてや自覚すらなかった
そんな状態で、誰かに理解されることなど
あり得ないということは、今ではすっきりとわかる。

20代、バイトで入った会社で
契約社員を経て、社員になり
初めて部下をもち、責任をもち、
バイトが仕事になった。
がむしゃらにやった。
勉強しながら眠り、起きてすぐ仕事をはじめた。
いま思ってみても、超人的だった。
奇行も多かったが、ぼくの生み出す成果は大きく
会社も「手綱さえうまく捌ければ」という
条件付きでぼくを高く買っていた。
その中で結婚もした。
望んだ相手ではなく、性的逸脱のすえに
芽吹いた命に対して、責任をとるための結婚だった。
そこからさらに拍車がかかった。
完全な「躁」状態だった。
なんでもできると思っていた。

それに急ブレーキがかかったのは
もっとも忙しく、ぼくの仲間の士気がもっとも高かった
いうなれば革命前夜とでもいうタイミングだった。
あと一歩で、無駄なストレスのすべてを排除できた。
「会社にとって負担にしかならない人たち」を
一斉に解雇しようという間際だった。
意識の高い仲間だけが残り
会社にテコ入れを始めようとしていた。

急ブレーキ。
性的逸脱、自殺念慮、過度の飲酒、被害妄想
身体的な症状も次から次へと出てきた。
四六時中、頭痛があった。
トイレにいけばかならず下痢だった。
そして、自殺。
完璧だった。

その自殺が未遂に終わったのは
今の妻である、そのときの恋人が
ぼくの部屋を訪ねてくれたからだ。
愛用のノートに汚い字の遺書
食べ散らかした落花生の殻のような睡眠薬の殻
からっぽのウィスキーのボトル
正装し、よこたわり、尋常ではないいびきをかいて
眠るぼく。
妻が後日おしえてくれた、その時の風景だ。

そこから、新しい人生がはじまった。
だからそのときの自殺は
実は成功していたのだと、今はそう思う。




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おもひで その二

十五歳は地獄の一季
ちゃんちゃんばらばら
首が飛ぶ
そら、腕が飛ぶ

ふきあげる怒りの泉に
狂気の氾濫
怒涛の懊悩
万歩の譲歩にかわいた唇

十五歳は迷妄のとりこ
どこへいっても
ぶっつかるのは
鏡のむこうでむずかる畜生

少年法たてにむさぼる放縦
親の庇のしたでかいまみる世界
きりとられた世界だそれは
それを地獄と名づけるナンセンス




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おもひで

十五歳、心の中に悲鳴があった
彼はその悲鳴にとらわれまいともがくことが
まったく無意味だということをもう知っていた

十五歳、力に満ちた腕をふりあげた
その先に破壊の夢だけを求めていた
人を傷つけることはまったく無意味だった

十五歳、自分を傷つけることにも倦んでいた
夏の日の午後は酷薄だった
彼はいたたまれなさだけをポケットにしまっていた

十五歳、はみだした腕力がはね踊った
白く明るすぎる廊下で
彼は逃げ場をついに失った
突き刺すように
壁をなぐりつけた
皮がだらしなく剥け
そのいくらかを壁に残した
血がくすぐるように滴り
色のない廊下の床に散った

十五歳、耳はまるで聴こえないように見えた
いくつかの教室から漏れていたいくつかの声が
一斉にとまり
それとほぼ同時に
いくつかの顔が
ぬらりと廊下にのびてでてきた
それらの顔をみて彼はつぶやいた
「まったく、さえねえ」

十五歳、もう一度ありったけの呪いをこめて
壁をなぐった
もう一度
自分の内側にある爆発音に
まったく似ていないその音に
絶望を感じながら
もう一度
廊下の
明るすぎて色を失った床に
執拗に血がとび散った
女生徒たちの喚声
仲間からのあおり
好奇、侮蔑、怒り、羨望
ぐちゃぐちゃに織り交ざった視線が
彼の背中にちくちくささったものの
彼はまったく意に介すことないと演じ
もう一度壁をなぐった
すでに壁は血だらけだった

十五歳、そろそろ骨が見えやしないかと
期待しながらこぶしを見る
ガクガク震えている
「救えねえ」
つぶやく
教員があつまり彼を囲んだ
白い夏の陽は酷薄だった
彼にはなんの関係もないところで
太陽が燃えていたのだ
一人の教員が彼の肩をわしづかみ
強引にひきよせた
教員はそこに予想を裏切る表情をみた

十五歳、憎しみだけを原動力にして
怒りだけを方法としてあがいていた
それは狂った餓鬼の顔ではなく
迷子の、餓えた、泥まみれの、子犬のそれだった
教員がそう思ったことに、彼は気づいた
これ以上の侮辱はないと感じた

十五歳、頬にひとすじ、涙がこぼれた
体をからめとろうとするいくつもの腕を
おしのけ、すりぬけ、彼は逃げた
どこへいくんだ
教員の怒号に彼は答えた
「自らの静脈管の中へです」
それは声に出さなかった
声に出しても仕方がないと思ったからだ

十五歳
まばゆいばかりの生の輝きと
自殺への狂おしい衝動が
平気な顔して共棲していた
彼はまだ
自分を狂人だとは思わなかった
この世界が狂ってるのだと
信じて疑いもしなかった
血をたらしながら
廊下を歩く彼のあとを
追う友人のひとりとてもなかった






『瓦が一枚はぐれました
これから春の日の夕暮は
無言ながら前進します
自らの静脈管の中へです』 ――中原中也





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毛布【思い出し書き】

少年はナイフをもって立っていた
右腕は、あんまりナイフを強く握るから少々疲れてきていた
どっしりとした重みのある時間がもうだいぶ経っていた
少年は、自室の押し入れの前に立っていた
古ぼけた、みすぼらしい押入れのふすまの前、仁王立ち
大分汗をかいたのだ
両肩から蒸気がもうもうとわきあがり
月影の部屋に一種異様なまじない効果をもたらしていた

少年はかねてから計画をしていたあることを
この月夜に決行したのだ
それは大胆な犯罪で、そして苦労の末の表現のひとつだった
ナイフはドイツ製だった
殺傷以外のなにものも目的としていない
という雰囲気が好ましくて
少年はこれを買った
おかげで彼の貯金はまったく底をついたのだが
そのことさえ誇らしかった
ナイフを贖った苦労の分、そのナイフにいくばくかの価値が
さらに付加されたというわけで
それは大変喜ばしい誤算だったのだ

少年は勃起していた
押入れをぢっと凝視し続けながら
それを彼は恥と感じた
若さのたぎる隆起が
ジーンズのなかで死んだようにおとなしくなるまで
彼はいくらでも待つつもりだった
荒かった息もだいぶ落ち着きをとりもどし
股間の隆起もなんとかおさまった

彼は何度も逡巡を繰り返し
狭い部屋の中を右往左往していた
ぶつぶつと不明瞭な
言葉ですらないようなつぶやきをもらしながら

何時間、そうしていただろうか
開け放しの窓からの冷気に
彼の汗はすっかり冷えていた
はっとそれに気づいた彼は
押入れをサラサラと開けて
がっと毛布をひっつかんだ
そのとき、目があってしまった
押入れのなかの少女と

不覚!

彼は叫んだが、それは大気を振動させることはできなかった
のどの奥のほうで、猫のようにゴロゴロとなっただけだ
彼は左手に毛布をつかんだまま、右手に臨戦態勢を指令した
やつれたセーラー服をまとった憔悴の少女は
ぼんやりとうつろな目を半開き
彼を見るやら、その向こうを見るやらしていた
その対峙がまた数分の沈黙とともにあった

作戦の遂行
これはもう、まちがいなく絶たれてしまった
恐怖するでもなく、怒りをあらわにするでもなく
ただぼんやりとこちらの方を眺めている
この美しい少女に
ぼくは負けたのだ
彼はそう思った

六畳間の真ん中の畳に
その「愛用」の刀のようなナイフをどすりと突き刺し
少女に向けて毛布を投げた
彼女がそれを受け止めるのを見ると
彼は静かにふすまを閉じた

とりあえず朝まで休もう

通りまで走って行って
誰かに保護されるまで騒げば
すぐに少女は助かり
少年は逮捕されたに違いない
少年は莫迦ではないから
そのぐらいのことはわかるはずだった
それなのにうかつにも
彼はそのまま突き立てたナイフのすぐよこで
寝息を立てて眠りはじめてしまった

やがてしじまに少年の寝息だけが存する世界となった

そろそろとふすまを開けた少女はつま先立ちになって
玄関へひたひた歩いていき
そっとドアを開け、あとは一目散に駆け抜けるだけだった
けれど少女は、自分のかけていた毛布を
少年の肩からひざまでかけてやり
その半分に、自分もくるまりにいった
背中あわせで、だいぶ暖かい寝床になった



なぜ、少女が逃げださなかったのか
筆者には納得できない。
だいたい思いだしてみるとこんな展開だったろうけれど
感性がまるで違うから、いけない。
これは十五歳の時に、初めて書いた短編の
「思い出し書き」なのだ。
当時のフロッピーも存在せず、原稿もない。
たしか、少年と少女の間に一往復だけの会話があり
それがこの物語に妙な納得感を与えていたし
これを呼んだ友人も、そこがいい、という者が数人いたが
そこが意味わからん、という者とがほとんどだった。
その会話が、どうしても思い出せない。
まるで別人の書いたものを思い出そうとしているようだ。
好きな作家のものなら思い出せそうなものだが。
あの会話がどうしても思い出せないのだ。


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断片、罪びとの伏す

シューベルトっていかれてるよね
ああ、AveMariaのことだね
そうそう
クレイジーだよね


あの夏。



鳥は狂うだろうか
山は狂うだろうか
月は狂うだろうか
恋人は狂うだろうか


ナイフのような風を知っているか
嗚咽のような雨を知っているか
その目は、その肩は
狂うほどの叫びを知っているか


ぼくのかかとがぱっくりと裂けました
裂けました
そこから黒い水があふれてながれ
ヤマナシ県コウフの
土手の水たまりの
つぶつぶのあつまりの
そのきめこまやかなあつまりの
あいだをぬうように
ぬうように
しみわたっていったのです

雷はぼくのかわりに叫び
雨はぼくのかわりに地をたたき続け
風はどこか知らぬ顔で
ぼくの顔面をなぐり、またなぐり
それでもたりず、なお、ぼくは
叫び、叫び、叫びつづけました
雷のように
ヤマナシ県コウフの
真っ黒い夜に

だれか
答えをくれ

この人生は、いったいなんなんだ
答えをくれ
ああ、AveMariaを聴かせてくれ
雷よ、雨よ
ぼくをここで殴り殺せ


靴はどこで脱げたかわかりません
きっとぼくを殴ったあいつらが
その辺のくさむらに蹴り飛ばしたのでしょう
なにも見えぬ右目をさわると
まるでちいさな赤ん坊のような
血だまりがぷくりとありました
冷たいような
熱いような
血がどくりどくりと
あちらこちらから流れています

誰に
何のために殴られたのか
いまはもう思い出せないけれど
かかとから流れる黒い血と
あの夜の嵐
あれは思い出すというのではなく
いつでも再び体験できる
ぼくだけのタイムマシン


AveMariaが聴こえていました

暴力の波に沈んだぼくは
土手の斜面にうちすてられました
いつ、嵐がきたのかはわかりません
気がつけば歩いていたのです

どこへ

家には帰れません
母はぼくの行いのために身を崩したのだし
父はぼくをみれば殴りとばすでしょう
それをみて、ちいさな妹は泣くでしょう

友人の家には行けません
そもそも、友人はもういません
友情を、ぼくはその日、捨てたのですから
いえ、ぼくが捨てられたのでしょう

では


いや


あはは
あはははは


これは、まいった
どくり、どくり、血が流れる
これが、孤独というものか
どくり、どくり、心が溶ける

ああすべてなくなれ
この雨も
すべて壊れろ
この心も


雨の煙幕のむこうに
光は見えない

ぼくは深海魚のような心地よさで
ヤマナシ県コウフの
雨にたたきつけられるこの土手で
膝をおり
背中からたおれ
まっすぐこの眼を射る雨をにらみ
ただ
ただ
泣きました


わーーーーーーーーーん


うわーーーーーーーーーーーーーんんんん




あの夏。

祈っても、祈っても
マリアは逝ってしまった
体にのこるドラッグのかけらか
マリアの幻は逝ってしまった

痛みはなく
寒さもなく
恐れもなく
かまわないと思ったのです
このまま死んでも

それでも
やはり
あんまり悲しすぎるので
泣いたのです
力の限りに泣いたのです


あの嵐。

ぼくは嵐の夜に生まれたと
母が言っていたのを思い出しました
ならば死ぬときもやはり嵐だろうと
幼いうちに空想したのを思い出しながら
それでも
暴力と幻覚と汚辱の日々に
埋もれるように死んでいくのは
ぼくにはあんまり悲しく思えたのでした


あの夜。


シューベルトの
AveMariaが
雨音にまじって
ずっと
ずっと
聴こえていたのです






Ave Maria! Jungfrau mild,
erhöre einer Jungfrau Flehen,
aus diesem Felsen starr und wild
soll mein Gebet zu dir hinwehen.
Wir schlafen sicher bis zum Morgen,
ob Menschen noch so grausam sind.
O Jungfrau, sieh der Jungfrau Sorgen,
o Mutter, hör ein bittend Kind!
Ave Maria



ああ、マリア

全部、なかったことにしてください。










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断片、同根異株

物心ついたころから、と人は言いますが
ぼくはその物心というものがよくわかりません。
何も考えず、ぼーっと生きてきたせいでしょう。

小学校で「将来なりたいもの」という作文を書かされた時も
いったい何のことを言っているのか、
やはり見当もつきませんでした。
ぼくはぼくじゃない別の何かに
ならなくてはいけないのだと、うっすら恐怖を覚えました。
みな、野球選手とか、ケーキ屋さんとか
お医者さんとか、学校の先生とか、いろいろ書いていましたが
ぼくは何も書けませんでした。
なんでもいいから、と教員にうながされて、
ぼくは友人と同じ「野球選手」にしました。
なんの意味もない作文だと感じました。

将来なんて、考えもしなかったし
明日のことだって考えていなかった。
ただ言われるままに学校に行き
遊んだり騒いだりは、その日の気分で
勉強したりしなかったりもその日の気分でした。
成績はいつも優秀でした。
勉強は面白くもあり、無意味にも感じられました。
分数の割り算、掛け算で、
はじめて教員とけんかしたと思います。
こういうことだから、それを覚えなさい、といわれ
こういうことってつまり何ですか?
と聞き、答えられない教員に、叱られました。
そういうものだから、覚えなさい、テストに出るから、と。
まったく、意味が分かりませんでした。

友達は多かったと思います。
今では一年に一度会うか会わないかという頻度の
でも会えば楽しくてしようがない、という友人が2人と、
もう何年も会ってないけどたまに無事を確認しあう
15歳からの腐れ縁が1人、あるばかりです。
小学校のころは、いつも輪の中心にいました。
リーダーというつもりはなかったけれど
その輪の連中で悪さをしたとき
叱られるのはいつもぼくだったから
はた目にはそう見えていたのでしょう。

ぼくの記憶にはふたつのぼくがあります。
友達をひっぱって、中心になって、町内を遊びまわるぼくと、
おばあちゃんの部屋でひとり毛布をかぶって
毛布の中で洗濯バサミをつかって人形劇をしているぼく。
その人形劇はいつも最後は凄惨な殺人事件でおわり、
出演者全員死亡というケースが多かったの覚えています。
観客はぼくひとりであり、しかしぼくも出演者のひとりでした。

そのふたつの記憶、
どちらかが本当で、どちらかが嘘なのでしょうか?
あるいはその両方が、本当だったのかもしれませんし
どちらも嘘の記憶かもしれません。
記憶というのは、あまり信用できません。

父母をあまり好きではありませんでした。
父は酒に酔うと乱暴するし、読売ジャイアンツが負けると暴れます。
ぼくはいまだにジャイアンツが大嫌いです。
それでも、作文に「野球選手」になりたいと書いたころには
必死で好きなふりをしていました。
仕事にいく父の足にすがりついて「行かないでー」と
駄々をこねたことは、今でも家族の語り草で
ほんわかした印象の思い出話になっていますが
それをぼくは計算づくで行っていた可能性があります。
そうやってかわいい、と思わせれば、ぶたれないかもしれない。
そうやってかわいい、と思わせれば、夫婦げんかもなくなるかもしれない。
母は父と違って、社交的で、仕事が好きで、年中うちの外にいました。
ぼくは首から鍵をぶら下げているのが当たり前でした。
おばあちゃんは三人姉弟のうち、ぼくだけをかわいがりました。
姉も、妹も、おばあちゃんとはあまり仲良くありませんでした。
おばあちゃんと母は、とても仲が悪く
よく、ぼくごしにけんかをしていました。
夫婦げんかも多く、そのたびにぼくは
消えてなくなりたいとおもっていました。
父は急に怒り、暴れる人でした。
後年、ぼくもそういう性格になっている自分をみつけ
嘔吐するほど、自己嫌悪に陥りました。
ある日、けんかもクライマックスにはいり、
ついに母が家を出ることになりました。
追い出す父は、タンスから母に向けて物をなげました。
それはほとんどが母の下着でした。
母に対して性的な疑惑を父が持っていたのは明らかでした。
年の離れた妹が、その時うまれていたかどうか、覚えていません。
ただ姉が母に手をひかれ、家を出ていく姿を見ました。
ぼくは追いかけていき、駐車場で母を説得しましたが、母からは
ついてくるな、あなたは残りなさい、と言われました。
このときぼくは、母に見捨てられた、と感じました。
泣きながら家に戻ると、今度は父に
お前もでていけ、戻ってくるなと言われました。
ぼくはそのときから、孤独なのです。

父は糖尿病をわるくして、もう他界しました。
今では尊敬していますし、いまわの際には
きちんと愛していることを告げました。
母は今でも元気です。毎年母の日には感謝をこめて
贈り物をしています。
もちろん、父が死ぬまで母は添い遂げましたし
晩年の介護は大変だったと思います。
愛人の存在も発覚したりしましたけれど
それでも最後まで離婚はしませんでした。
だからぼくも、親なし子にはならなかったのです。
表面的には。

時間が、
いろいろなことをうやむやにしています。
よく人が言う「時間が解決するさ」という表現は
ぼくからすると、うやむやにしているだけなのです。

小学校低学年で、両親から「向こうへいけ」といわれたぼくは
その時から、親なし子でした。
自分は必要とされていない、ということがわかったのです。
その時と、そのあと、都合二回、母は家出をしていますが
そのたび、ぼくだけは学校を休み
隣県の伯父のもとへあずけられました。
そこでもぼくは、ただ終日もの憂くだらだら過ごし
もうなにがどうなってもいい、と無関心になっていました。

父の仕事の都合で、2,3年に一度引っ越しをしました。
「転校生」というのは多くの人から見て
外からくる別種の刺激的ななにか、でしょうけれど
ぼくにとってはぼくのことであり
なんら刺激的ななにかではありませんでした。
友人との付き合いも、2,3年の短い賞味期限のようなものが
ちらほらと見えたので、どうせ別れるなら、と
親友というものを必要としなくなりました。
東京から、浦和へ、それから市原へ、そして甲府へ
小中学生にとっては、海外ほどの距離感のある引っ越しで
たまに遊びにもどっても、ぼくだけとまった時計を持っているようで
とても一緒に遊んでなどいられませんでした。

学校の教員は、ぼくが年を重ねるにつれ
とても醜く、怠惰な生き物に見えはじめ
嫌悪を募らせていきました。
だって、ぼくらはまだ肉の若さを保っていたから。
大人が醜く見えるのは仕方がありません。
反抗の芽が、12歳ごろには立派な花を咲かせました。

ぼくは常に怒り、人を寄せ付けず、
何かあればすぐに怒鳴り、わめきちらし
暴力をふるい、だれかれ構わずけんかを売りました。
とくに教員には、殺意さえもっていました。
「悪い仲間」が集まってきて、一緒に悪さをしても
ぼくは別に彼らを仲間とも思っていませんでした。
天気のようにころころ変わる、そんな子供だったのです。

早く死にたい。
そういう言葉をつかい始めたのも、このころでした。

常に何かに怒り、と同時に深く悲しみ
いや、怒りと悲しみは同根なのでしょうけれど
すきま風のふくやせた胸を抱きしめながら
触れる世界すべてに、威嚇しつづけました。
やがてそれにからめとられるとも知らずに
なんとも愚かで、滑稽で、世間知らずな子供でした。
どこの高校へ行くかとか、周囲がそんな話をしだしたころも
ぼくはその「未来」とか「将来」とかは信じられず
進路相談など一度も出ませんでした。
教員に相談する必要などありませんでした。

ぼくは、とびっきりの悪者になりたかった。
それはしかし、やくざでもなく、政治家でもなく、警察でもありません。
それらを意に介すことなく、平気で生きていくほどの
極めつけの大悪人です。

ぼくは大ウソつきになりたかった。




いや、もうとっくに、大ウソつきだった。
ぼくはずっと嘘ばかりついて生きてきたのです。






恥ばかりを重ね、どんどん汚れて
かつて罵倒した大人に、どんどん似てきて
早く死ななければ、といいながら
いけしゃあしゃあと生き延びて。

ぼくはほんと、大ウソつきです。





全部、なかったことにしてください。



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断片、わらえれば

ぼくは全身が腐ってぐずぐずに溶けていくのを
なんとか阻止するべく
台所にほうりなげてあった果物ナイフで
ぼくを断片的にきりとって捨てていくことにしました。

あの夏、あの冬、あの春、あの秋
それから
あの雨天、あの晴天、あの曇天、あの嵐の日に
見た
ぼくの断片を
えぐりとり、たたきつけ、ふみにじり、
ここにさらして、びかびかに乾くまで放置し
眺めて笑ってやろうと思うのです。


活かす死、殺す生。


あの夏。

ぼくは植木屋でした。
彼もまた植木屋でしたが
彼はそれ以外に様々な顔を持っていました。
ブレイクダンスができるし
スケボーもスノボもできるし
ギターも弾けるし、幼少からピアノをやっていたから音感も冴えてるし
黒人ばかりのバーでプロ顔負けのダーツの腕も披露してくれました。
ぼくと同じ中卒で、年も2つくらいしか離れていないのに
あらゆる職種を経験し、各地を放浪して様々な体験を積んでいるのです。
バッグ一つでヨーロッパを縦横無尽に旅するなど
ぼくは考えたことすらありません。
そんな彼が、小笠原のちいさな島から、
生まれ故郷のU市に帰ってきて植木屋をはじめたのです。
それでぼくはいま、彼と一緒に働いているというわけなのです。

彼との最初の接点は「植木屋」
その次が「シュールな言葉遊び」
二人して、でたらめな言葉でもって無理やり
会話を成立させようと遊ぶのですが
これがほんとにおかしくて、おかしくて。
それでだいぶん、仲良くなったのです。
その次が「死生観」でした。
これは接点というより、逆ですが。

あの日は、空気を重く感じるほど暑かった。
毛布を何重にもくるんで肩からかけて歩くような
「暑い」を超えて「重い」のです。
ぼくと彼は、二人で軽トラに乗り
現場から次の現場へ、移動していました。
相変わらず馬鹿な話で、げらげら笑いながら。
丸太のような腕を褐色にもやして
シャツをまくり上げ、トラックのエアコンを最大にして
夏を謳歌するように。
その時、彼がぼくの病気について尋ねてきたのです。
ぼくはわかりやすく簡単に説明し、
自殺への衝動と、自殺未遂の話もしました。
彼はそれを否定しました。
彼は日本国内でも事例の四件しかない
難病にかかっていたのです。
それも10代の遊び盛りのころに。
そのころ、ぼくは自分が何をして暮らしていたか
思い出そうとしましたが、恥ずかしいのでやめました。
彼で5人目であるこの難病は生存率が極めて低いもので
4人中3人の方が亡くなっていたのです。
彼が生き残ったことで、生存率は変わりましたが
それだけではなく、彼のその後の生き方をも
変えたのではないかと、ぼくは思いました。

後日、とある駅前で朝までふたりで呑んだときに
その病気のとき彼の母親がどれだけのことをしてくれたのか
泣きながら教えてくれました。
いつでもふざけて笑っている彼が
親子丼のたまごの上に、ぽたりぽたりと
涙を落しながら、生きててよかった、
生きているのは母ちゃんのおかげだ、と泣いたのです。
結局その親子丼は、二人とも、夜が明ける前に
どこかの路地裏に吐いてしまったのですが
それでもあのときのことは忘れることができません。

だから、死ぬなよ。
死のうとするなよ。
と彼は言いました。
その真心の、あたたかい人間の言葉を前に
ぼくはなんだかうれしくなり、そうだね、とは言いながらも
決して伝えきれぬものがこのぼくの病気にはある、と
心の中でうちひしがれていました。
彼は生を賛美し、適当を愛し、死を純粋に恐れています。
ぼくは違います。
生は、ぼくを苦しめる原因であり
死は恐怖ではない、ということです。
死ぬことは怖いが、生きるほうが苦しい、という日が
その逆の日を圧倒しているということなのです。

真夏の炎天下、どこまでも日焼けした腕やほほ、
流れ続ける大粒の汗に、きらきら輝く濡れた髪、
はてしなく突き抜けるような、馬鹿みたいな青空の下で
ぼくらは本当に神の子の兄弟のように、笑った。
30歳にして、無垢が帰ってきた。
15歳の時、山梨の、山奥深くに捨ててきたあの無垢が
帰ってきたのです。
ぼくは無垢を抱きしめ、撫でてやり、そいつに顔をうずめて
大声で泣き出したくなるほど、うれしかった。

でも、わかりあうなんてことは
結局は幻想のようなものなのです。
こと、このぼくの病気に関しては
誰にも伝えられぬし、わかってもらえないのでしょう。
彼と過ごす時だけ、ぼくはぼくの病気を忘れますが
結局はいつもと同じ時間に薬を飲むし
無理をすればすぐに鬱に呑みこまれる。
その時も彼はあの生命賛美の楽園にいるけれども
ぼくは一人、失楽園に鳴くのですから。

彼の生への賛美が
美しい旋律でぼくの胸に迫ることは事実です。
そうあれたら、と思ったことも白状します。
挑戦もしました。
でもやはり、ぼくには生を賛美するなど、できないのでしょう。
この一刻、懸命にいきることだけで必死です。
障害物競走のように次々襲ってくる段差を
正確に見抜き、飛び越えたり、くぐったりするのです。
失敗すれば転ぶだけではなく
スタートラインまでひきずり戻されます。
ならば、走り出すことも、もしかしたら無駄なのかもしれません。
じっと、スタート付近でじっと、待っていればいいのかもしれません。
この生の終わりだけを、ただ、じっと。

それは、ゆるやかな自殺。
生きる苛烈に、身を焼き焦がして
煩悶する日々の何がいいのでしょう。
何をするにも、ぼくは人よりうまくできない。
ぼくは、生を賛美するだけの根拠をもたない。

それでも
それでも
それでも、彼と出会ったことで
ぼくの人生観はかわり
笑うことが増えたのです。
それはそれだけで、よしとしようじゃないか
そう思うのです。


笑えるなら、それがどんな状況であれ幸せなのですから。
さあ、笑いましょう。
病気の渦のまんまんなかで
呵々、笑いましょう。
さあ、笑いましょう。
けなげで、みにくい、くさりかけの
自分を笑ってしまいましょう。



全部、なかったことにしてください。



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10年ぶりの掌編

ひさしぶりに書いてみました。

自分の感想としては、書くことが面白かった。

読んでみて、あまりいい出来ではない、と思った。

投げかけてくださったテーマからも、少しずれたかな。

双極性障害を、材料にした。

これはぼく自身のもつ病気でもある。


本文を短くしたいあまりに、急ぎすぎてる気もした。

もっとゆっくり、じっくり書いてもいいのかも。

でも、長いの、ブログ向きじゃない気がするから、いいか。


お暇なときにでも、どうぞ。



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自己紹介

偕誠

Author:偕誠
a.k.a.破裂
1983年生まれ。
東京都在住。
双極性障害と苦闘しながら
詩作に励んでおります。


※拙文ではありますが著作権は当方にあります。
無断転載等はご遠慮くださいませ。

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