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category :雑記

一期一会

Neroさん、どこ行っちゃったかな
もう帰ってはこないのかな

ピピネラさん、どうしているかな
もう帰ってはこないのかな

ノブさん、忙しいのかな
また革命の話をきけるかな

あたらしく会えた
ここでの友人
大いに語り合った
ここでの友人

ああ
さみしいけれど
仕方ないよね

噛みしめるひとつの言葉





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ブログのおもしろさ

あー
しくじった
そういう文章に
拍手がつくこと

おー
こりゃ好きだなー
という文章が
スルーされること

これは
どちらも
本当におもしろい



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降ってきた休日

朝五時に起きて
仕事の準備をしていると
社長から電話がはいった
たんが絡んだのどを無理やりこじあけて
電話をとる
今日は一日雨みたいだから休みにしよう と

コーヒーを飲みながら
突然やってきた休みをどう過ごそうか考えている
せっかく時間が空いたので
いろいろ書いてみようと思ったが
昨日から
何を書いてもしっくりこない
十分ほど書いては消し
それを繰り返しているうちにすっかり疲れて
萎れてしまっている

うまく書けない
しっくりこない
頭の中の辞書を
どこかの現場に落としてきたのかもしれない
それでも書くことに意味があるので
こうして書いている

今回のこの文章は
削除せずにおこう
たぶん大丈夫だろう
これ以上 よけいなことを書かなければ






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あーあだ

仕事さがし
食べるために
仕事さがし
ぼくを売り込む

なんのメリットも見いだせない
こんなポンコツ欠陥商品
誰が買うんだ
セールストークなんて考えもつかない
原発 売る 自民党を わらえない
こんな危険で怠惰な人間
面接じゃ嘘ばっかついてあざむく
虚実まじえてのらりくらりケムに巻く
ああ
もうわかってんだ ぼくは
現場仕事で食べていくしかないんだ
厚生 健康 雇用 労災
社保完はぼくには無理な高望み

仕事のことばっか
一日中 考えつづけてるから
頭がなんかもうスポンジ状態
なんにも考えられなくなって
その分 詩をかく余裕も失って
まさに一石二鳥
飛ぶ鳥おとされる勢い
ちがうか ぼくはまだ飛んでもいないんだ
飛ばぬうちにおとされるデキソコナイ






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叔父との会話

目をみればわかる
こうして話せばもっとわかる
おまえの文章見ればはっきりわかる
太宰にかぶれたんだろ
思春期の、にきびやはしかみたいなもんだ
誰もが一度はあいつにかぶれる

早稲田卒の叔父が言った
中卒のぼくは答えた
「毅然と」した態度になるように気をつけながら

おじさんはマルクスにかぶれたんだろ
太宰と似たようなものだねえ



ふと思い出した昔の話です。




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つつじの花

月のない夜 かんざしの
端にとまった揚羽蝶
揺れる黒髪 うばたまの
宵に酔いどれ夜光虫

宙をまさぐる 蚊柱を
なぎはらう手のその白さ
月もはじらう あらたまの
あづさゆみ射る薬指

うち寄せる波 しろたえの
ころもをといて紅さして
うちなびく春の 岩陰に
蜜ぬすみすてる躑躅花






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病院でおしゃべり

今日は通院の日なのでお休み。
ねこは朝から元気に走り回ってる。
バイクで環七をかけのぼって病院。
先生の安心した顔みると安心する。
自分というのは
常にひとという鏡に映されたものなんだ。

待ち時間に、ケータイで記事を書く。
みんな何かの病気をもって
ここに座っている。
座っていられず、歩き回ってるひともいる。
わけのわからねことをわめいてるひともいる。
その背中にぼくはひとつひとつの人生を幻視する。

ひとは平等ではない。
31歳になって、やっと15歳のころの疑問に答える。
別にだからといって、なんてことない。
ひとの暮らしや境遇をうらやましがる必要がない。
自分は自分でしかなく
他のなにものにもなりえない。
簡単なことなんだよね。
自分を認めて
その生活を愛して
それにみずから充足すれば
どんな人生だって幸いさ。

足りない足りないと泣く前に
いまあるもののなかに幸いを探すのだ。
不幸なのはおおむね自分のせいだ。
ぼくの場合はね。


公平とか、平等とか、
理想としては素晴らしいのかもしれないけど
それを求めるほどひとの世は
清くない。
それだけのことなんだってば。

強いものはいつだって弱いものをたたく。
弱いものはさらに弱いものを探す。
なければでっち上げの強制だ。
そういう社会に生きてるからって
笑えるならいいいじゃない。

先日、世界的な大企業の日本本社の
社内の植栽管理をしてたとき
その会社の正面エントランスの前に
わらわらと拡声器をもったひとたちがあらわれ
おや、労組かな?とおもっていたら
そのとおりで、声を大にしてその会社の
非常な人事システムを批難していた。
よそから見れば、その会社に勤めてるといえば
一流のビジネスマンであり
いわゆる勝ち組と呼ばれるのだろうに
社内には当然のことながら膿がたまってて
あんなに大きな怒声をあげさせるほどに
人心を蹂躙している。
ぼくは大きな楠によじのぼりながら笑っていた。
ぼくはそういう争いがいやだから
好きな植木屋の仕事に集中して
好きな人とだけ仕事する人生を歩んでいる。


平等を求めれば社会からはじかれる。
自分の手の届く範囲、自分の責任の負える範囲で
なるべく平等な付き合いをしよう。
それが本当だと思う。
責任を社会に押しつけても
なにも返ってきはしない。

社会だなんて、ただの幻想。
生活のように体温がない。
ぼくは社会のせいにしない。
なんもかんも、全部自分のせいだと思う。
そのほうが、楽だし、生きやすいよ。


社会をよくしようと声高に叫んでる人も
ぼくは否定なんてしないけど
その前に自分の手の届く範囲の人たちを
笑顔にできないようじゃダメだな。


あ、もうお薬できたみたい。
おしゃべりおしまい。



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やりたいことだけ

いろいろ、考えながら生きてきた。
自分に必要なものはなにか、とか
自分を必要としてくれる場所はどこか、とか
あれこれ、考えなくてもいいようなことも
考えながら生きてきた。

必要だったんだろう。
その過程が。
そうして過ぎたもの、いや、この言い方はよそうよ
過ぎたのではないから。
そうして蓄積されたこれまでの上にぼくは立ち
睥睨している。
目に見えるもの、すべてを。
ぼくの、この、今ある場所は
それらの「余計な」、「雑多な」過去の思案、錯誤から成り立っている。

目に見えるものを、見えるままに見、
目に見えぬものを、わがままに描き、
そうしてなんの責任もとらず
(そもそも想像力に対する責任など負えるわけもないのだが)
ただ奔放に、暮らしている。

いろいろ、考えながら生きてきた。
あれこれ、悩んだ夜を、
幾千万、費やした文言を、
吐き出した嗚咽も、こぼした涙も、
はげしい後悔や自責も、
人生に意味を見いだせず懊悩した日々も、

すべて今日の日のためにあった。

それでいいと、思う。
そういう毎日を過ごしていければ、いいと思う。
生き急いでやしないか?という自問も浮かんだが
なに、どうってことない。
「いのちみじかし、恋せよおとめ」だ。
生き急いだって、いいんだ。
可憐な、人生という名の花を咲かせるのに、
ためらうことはない。
この一生涯を、花のように彩ろう。

今日生まれ、今日死んでいく、
名前もない虫たちの、ささやかな命も
このぼくの生涯と、質量は同じだと思うから。

やりたいことだけ。

やりたいことだけで、生きていこう。
悩むのは終わり。
否定するのは終わり。
笑って生きよう。
やりたいことだけで、この人生をうめつくそう。


不可能なことかな?




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書くよ

かつて
生きるために
書いた

脳みその
胃袋は
いつも
空っぽで
飢えていた

いまは
生きるために
生きている
命をかけて
日々
生きている

生きているから
書くのだろう

もすこし待ってて友

もすこし待ってて友

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お久しぶりです。

やっとネットにつながりました。

週に四日ほどの手伝いのなかで

なかなか時間がとれず、ひと月ちかくあけてしまった。

なにから書こうかしら…。


先週、腰を痛めて、歩くのもつらい状態になったこと。

レントゲンとりに整形外科行ったら近所のじいちゃんばあちゃんの

サロンみたいになっていておかしかったこと。

叔母さんの余命宣告、「夏を超えられない」こと。

先日現場で、仲間が道具を使ってるときに誤って

指を一本落としてしまって、大騒ぎになったこと。

手伝い行くようになってからかなり痩せてきたのに

昨日今日の連休で暴食してしまって軽い自己嫌悪なこと。

音楽で感動することはもうないと思っていたけど

「たま」という最高のバンドに出会えたこと。

10日で31歳になったので祝いにたまのアルバムを三枚

買ってもらったこと。

そのたまのサイトが「officeK」だと知って大笑いしたこと。


などなど…。

いっぺんには書ききれないので

今日からまたのんきに書いていきます。

よろしくお願いしますー。

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てんとう虫のリング




横浜のとある現場で。


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つなげない…

わけあって、ネットにつなげなくなりました。

見にきてくださってるみなさま

すいませんが、コメ返&更新しばらくお待ちくださいm(__)m

6月になれば、また再開できると思います。

最近は草刈り応援で忙しく

スマホで更新する時間がとれません(涙)

PC直ったら、またよろしくお願いしますね!


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冷血

ホーマー(夫)が死んだとき、
あたしは自分の中にある恐れっていうものを
みんな使い果たしてしまったのよ。
それに、悲しみもね。
もし、あたしの喉を掻っ切りたいってやつが
ここらをうろついているとしたら、
うまくやんなさいっていうだけね。
それでなんの違いがあるっていうの?
永遠の中では同じことじゃない。
おぼえておいて。
一羽の鳥が砂を一粒一粒、
大海原を越えて運ぶとするでしょ。
砂を全部、向こう岸に運び終わったところで、
やっと永遠が始まるのよ。
まあ、それはそれとして、鼻をかんだら。
トルーマン・カポーティ「冷血」より

面白いセリフだなあと思って。

翻訳も見事だ、リズム感があっていいな。



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宗教の話をしよう。

宗教の話は、タブーである。

職場でも、学校でも、おそらくブログでも。

日本人は独特の宗教観を持っていると思う。

イザヤベンダサンがいうところの「日本教」だ。

乳児は神社で祝い、新郎新婦はチャーチで祝い

死ねば念仏でおくられる。

天国と極楽を同時に受け入れながら

神道を含むすべての宗教に寛容なふりをしつつ

じつはそのどれも尊敬していない。


ぼくは小学校のころ、ヨハネの黙示録にはまった。

「何か」を感じた文章をぬきとり、ノートにまとめていた。

なにかのおりに、担任の先生にそのノートを見られた。

先生はぼくの文才を高く評価した。

ぼくは落胆した。

教育者が、黙示録を知らない事に落胆したんだ。


ぼくは14から「非行生徒」になり「虞犯少年」になった。

暴力とドラッグとセックスと酒に溺れた。

荒んでいく日々。退廃的な思考。

友を傷つけ、信頼を蹂躙し、破壊を否、破滅を求めた。

暴走族にはいり、暴力団とも接触した。

どうでもよかった、人生のすべてが。

リアルはそこになかった。

ぼくの先輩がぼくの後輩を殺したときも

大雨のなか、アンパンマンのように腫れ上がった顔をぶらさげ

裸足で家に帰っているときも

ぼくは神仏を呪い、人間を呪い、

それとまったく同時に、救いを求めていた。

あちこちに悪魔がいた。

暴力という、ドラッグという、悪魔がいた。

おれを殺せ、と何度もどなった。

勝手に産みやがって、と両親をせめた。

一日、生きれば生きただけ、常に何かを失い続けた。

その腐った日々のなかに、マリアを求めた。

慈愛を、加護を、導きを、求めた。

彼女はどこまでも、ぼくを愛した。

その彼女をも、悪魔は奪い去っていった。


東京の実家に逃げ込んだのは16のときだった。

毎晩、禁断症状と妄想と闘った。

いつしかぼくは、救いではなく、赦しを求めるようになった。

カトリックの教会を訪れて、懺悔し、

これからは行いを正すと誓った。

だれもいない、物音ひとつない礼拝堂で

ぼくは何度も何度も神に祈り、涙を流した。

それまでのぼくの、すべての罪を

消したかった。


神父について、聖書を学んだ。

ぼくは修道院に行くと決めた。

神父からのお墨付きをもらった。

洗礼の式の数日前、ぼくは明け方の街へ飛び出した。

なんの変哲もない、ギアもない自転車にのって。

確か、ランボーの詩集と、社会科の教科書だけを持っていった。

まっすぐ北を目指し、日本海を見よう。

そしたらそこから東にいけば、父の住んでいる金沢につく、と。

夕方に春日部までついた。

カトリックの教会を見つけだし、こう言った。

ぼくはいま、父の家をめざして自転車で旅行中です。

お金も持っていません。金沢までは教会つまり「父の家」をあてにして

進んでいく予定です。と。

神父さんは飲み物とりんごをくれた。

口渇と飢えは癒された。

寝泊りをお願いしたら、その場にいあわせた中年女性に拒否された。

ぼくは回れ右をして、家路につき

翌日、洗礼をキャンセルするむね、電話で伝えた。

神父もほかのみんなも考え直すようにすすめたけれど

ぼくはもう、信仰を棄てた、とだけ伝えた。

教義が素晴らしくとも、教会とそこに巣食うものたちの

信仰は、ぼくの信仰とはまったくちがった。

ぼくは、完璧を求め、人にもそれを求めた。


聖書はまだてもとにある。おりにふれて読む。

クリスチャンにも、ムスリムにも、禅宗にも、神主にも

ぼくはもう、なんの感情ももっていない。


ただ、思うのだ。

神がいるならば、ぼくの生まれた意味を知っているだろうか。

それを教えてはくれないのか。


神はなぜ、苦難を強いるのか。

何度問いかけても返事はない。

ぼくはジャンヌダルクではない。



ぼくはもう、宗教を必要としていない。

晩年、芥川の枕頭には聖書があったらしい。

自殺する人間がなぜ聖書を読んだのか。

ダンテでも読めばよかったのじゃないか。

地獄篇でも読めばよかったのだ。




人の罪は、神によって赦されるのではない。

自らによって、そして友によって、赦されるのだ。



友よ、ぼくの一切の過去を赦し給え。

友よ、あわれなこのぼくを赦し、祝福し給え。

これを読む友と、これを読まぬ友へ。





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おしゃべりをしよう。

これからジョギングに行く。

そのまえに友よ、ぼくのおしゃべりを聞いてくれ。

体重はまた減りはじめたよ。

大好きなお米を我慢することでね。

この一ヶ月でやっと5kg落ちたんだ。

誕生日までにあと10kg落としたいと思ってる。


おっと、そんなことが言いたいのではなかった。

一番言いたかったことを忘れたよ。

しゃべってるうちに思い出すかな。


毎日決められた時間に

ちゃんとくすりを飲んでる。

先日妻ちゃんがくすりを整理してくれたんだけど

そのときに改めてこう思ったらしい。

「とってもたくさん、飲んでいるのね」

錠剤が入った小さな袋が、朝昼晩、就寝前のよっつ。

それが3週間分だから袋も相当の数になる。

そのなかに色々なくすりが入っている。

彼女は知らないが、ぼくはそのひとつひとつの

くすりの名前と、効果と副作用と、大体の薬価を知っている。

なかでも、副作用は体で覚えたから、もっとも確かだ。

副作用と闘うために、毎日オーバーワークだ。

朝起きるときには全身がバキバキきしむ。

でも今日もジョギングに行くよ。

だからそのまえにおしゃべりをしよう。


なんでこんなに厳しい日課をこなすのだろう。

自分でもわからない。

一体、何のために…。

答えらしきものといえば、あるにはある。

おそらく、食うためだ。

死ぬまで食うに困りたくないからだ。

屋根も壁もある、この中古の家を守るためだ。

そのためには、労働しなくてはいけない。

そのためには、できうる限り健康でなければいけない。

だから走り、鍛え、半日の飢餓に耐えるのだろう。

そのために今日もこれから走りに行くのだけど、

その前に、友よ、ぼくのおしゃべりを聞いてくれ。


ねえ、本当かしら。

本当にぼくは、食うために生まれてきたのかしら?

そして子孫を残すために?

船橋に、ぼくの娘がいる。

もう何年もあってないが、彼女にはぼくの遺伝子が

受け継がれている。

毎月、欠かさず養育費を振り込んでいる。

ねえ、どう思う?

ぼくはもう使命を果たした。

種の保存という役割を。

たったひとつのセリフしかもらえなかった役者のように

AとかBとか記号で表される役名を全うし

そしてあとは、舞台のすみで立っているだけなのかしら?

それに、なんの意味が?

なあ、友よ、友達よ!

ぼくを大きくもし、小さくもする友よ!

ぼくはいま、台所にあぐらをかき

安くて臭いたばこをふかし

だらだらとおしゃべりをしているんだ。

君に向けて!!


一行あけるたびに、ぼくを頭を抱えこむ。

これは病気の苦しみではない。

健康で、生きている故の苦しみだ。

贅沢だろう?

怠慢にも見えるだろう。

でもぼくは、この苦しみに頭を抱えこむのだ。

なんて、退屈な人生だろう!!

十代のころの夢は忘れられ

二十代のころの夢は打ち砕かれ

三十になったいまのぼくには

もはやなんの夢も野望もない。

ただ穏やかに流れてゆく

時のしじまに目を細め

時に嘆息をもらし

時に頭をかきむしる。


夢を追っている時はあっというまに一日が終わる。

ぼくはいま、日々を投げ捨てるように暮らしている。

食べ物と運動に気を使い

ここに吐き出すこともままならず

ひたすら、がむしゃら

ただ、生きている。


ああ、友よ。

なんて退屈な人生だろうね。

ぼくはぼくを生きるために

闘わなくてはいけないのに。

過去のぼくの骸から

あの純白の旗を拾い上げて

高々とかかげ、前進しなければいけないのに

頭のすみでこう呟くのだ。

「こんなはずじゃなかった」と!


こんな自分にうんざりだ。

こんな人生に、もう、うんざりだよ。


さて、ジョギングに行くよ。

話を聞いてくれてありがとう。

続きはまた…






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どうでもいいことなのよ、ムスタッファ

詩人の死!

そう呟いている。

詩人は死んだ!死んじゃった!

30年のこしかた、そしてゆくすえ。

長くない人生のなかで

恋をし、辛酸をなめ、苦渋を味わい、

酒やドラッグに溺れ、

また恋をし、

そうしてそのたびに

ぼくは詩を書いてきたのだが

かつてぼくは詩人であったこともなく

これからもそうはならないだろう

なのに、

むなしさに風がふきぬけるこの心臓をみつめ

つぶやくのだ、このまぬけたディレッタント。

そう、詩人は死んだのだ!と。

生まれる前に、死んでしまった。



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かわいそうなおぼかたさん

ひとつ、思い出したことがある。

マスコミは下劣だということ。


ぼくは中学までしかいってないから

論文を書いたことがない。せいぜい、作文。

だからその論文を書く人の苦労やなにかはわからない。

でも、バカじゃないから、論文の意味はわかる。

その価値も、なんとなくわかる。

STAP細胞の価値もなんとなくわかる。

それに関係してあぶりだされる利害関係者の多さも

なんとなくだが、わかる。

あの発表が「捏造」だとしたら、彼女が悪い。

気持ちはわかるけど、ズルはよくない。

でも、まだ今の時点ではわからないのに

マスコミはもう黒と決めて、放送している。

ばかじゃなかろうか。

そして精神的に彼女を追いつめてる。

下衆のきわみ。

おっと、これは「コピペ」だ。

ハマカーンという芸人のモチネタだ。

ちゃんと出典をあきらかにしておかないと

彼女のように「コピペ」といわれ、血祭りにあげられる。

すぐれた研究者が、すぐれた発表をした。

すぐれた研究者が、みな一様に

かならずしもすぐれた論文をかけるわけじゃない。

彼女は自分の未熟さを反省しているという。論文についての。

けどさ、世の中に出回ってる本はみんは

どこかからコピペしているんじゃないの?

ぼくにはそう見えるよ。

そして、高度な文章家になると、引用先なんてわざわざ書かない。

知ってて当然、といわんばかりに話を進める。

16のとき、パソコンも持たぬぼくはWikipediaもしらなくて

辞書や辞典とにらめっこしながら坂口安吾を読んだのだ。

そういうものじゃないの?

そこに、どうして、あそこまで執着するのだろう。

第一、じゃあ、なんでそんなお粗末な論文が

世界一流の科学雑誌に載ったんだ?

編集者が無能なのか?


虫歯を根治したら、歯科医は失職する。

犯罪が消えたら、最高裁判事はプーになる。

STAP細胞ができて喜ぶ人と損する人、双方が必ずある。

これが陰謀じゃない証拠はあるのか。

ガリレオの言葉を引用しようか?

いや、あえていうまい。

いわなくてもわかるだろう。


ああ、そうそう。

引用といえば、ぼくがよく使う「ふう、やれやれ」

これはスヌーピーの親友であるチャーリーブラウン氏の

発言をコピペしたものである。

さらにいえば、ぼくのプロフィール画像は

大好きな漫画家の冨樫義博氏の作品「ハンターハンター」中の

登場人物「クロロ・ルシルフル」でもある。

さらにその冨樫義博氏の漫画には

明らかに伊藤潤二氏の作品からの「コピペ」も存在するが

冨樫氏はそれを作中ではあきらかにしていない。

けれどぼくは伊藤潤二氏もだいすきでよく読んできたためわかる。

わかるひとにはわかる冗談なのだ。

悪意のあるコピペなどなく、そこには敬意が散見される。

だから伊藤潤二氏がそれを見ても、なにも文句などいうまい。



「真偽」などというたいそうな脅し文句をちらつかせて

おぼかたさんを脅して視聴率をとろうと躍起か。

まったく、下劣きわまりない。

いつからマスコミには、人を裁く権利が与えられたんだ?

ぼくは承知していないぞ。


捏造でもなく、勘違いでもなく、失敗だったら?

研究に失敗はつきものだ。誰が責められる?

大発明のまえには100倍の大失敗がある。

エジソンの引用を?不要だろう。

みんなわかってることだ。

過去の偉人にならっているから。

彼女が捏造したなら研究に対する歪んだ愛だ。関係者は迷惑だ。

でもほとんどの視聴者にはなんの迷惑もかけてない。

会見なんて開く必要ない。

お騒がせしてすみません、と謝罪すればいい。

見抜けなかった雑誌も謝れ、マスコミは祝杯をあげろ。

でも、ガリレオも「異端」だったのだよね。

第一、その「失敗をゆるさない」という姿勢が

いまの社会の病理のひとつじゃないのか?

ぼくからいえば、「たかが就職」に過度の期待と

過度のプレッシャーを与えられ、いまの若い人たちは窮屈

しているようにぼくには見える。

企業の寿命なんて人間の寿命より短いのに

会社選びが人生選びのように大きな重いもので

そして、「失敗はゆるされない」

ぼくはとっくに「負け組」で、「落伍者」で

おまけに精神障害者だ。

六本木ヒルズで芝刈の仕事をしているときに

汗にまみれた作業服すがたのぼくを

物珍しそうにみていた、あのこぎれいな

キラキラ輝くグラサンをかけ、みたこともないような

奇態な犬を連れて悠々とあるいていた彼らが

いわゆる勝ち組らしいのだが

鼻もぼくとおなじようにひとつしかなかったし

グラサンのしたの目もどうやらぼくと同じふたつだったと思う。

ぼくだって近所から拾ってきたねこと暮らしているし

お気に入りの散歩コースだってある。

なにもちがわない。

ただ彼らの方が、家賃や服や食べ物に

より多くの金を使っていることいがいにはね。

年金だってはらってるし、消費税だって「同じ額」はらってる。

それだけのことじゃないか。



脱線ついでにいえば、隠された裏の取引が

どんな種類の世界にも存在しうるのではないの?

研究者に圧力かけるのなんて簡単。

「わたしに逆らっていまこの発表をとりさげないなら

きみは二度とだいすきな研究をできなくなるんだがねえ」

と、エライヒトがポンと肩をたたけばいい。




なにが正義かなんて、わかるものか。




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ポスト ホック エルゴ プロプター ホック

post hoc ergo propter hoc

これはラテン語らしい。日本語にすると?

「これのあと、したがってこれゆれに」か?

Aが発生したので、Bが起きた

ゆえにBの原因はAである

か…

すると、Bという悪条件を発生させないために

Aを防ごうとする。

「前後即因果の誤謬」というらしい。

ああ、つまりそういうことか。

ぼくの進歩を妨げているのは、そういうことなのだ。

これまでの失敗や失態のうえを

平気な顔して歩けるようにならないと

いつまでたっても

ぼくはぼくの目指すところへは行けない。

発病はたしかに結果だが、原因を何かに限定するのは愚かだ。



…発音するときの感じが心地いい。

しばらくこの言葉を、お守りにしようか。





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いい涙。

ぼくは昔から涙もろい。

とくに人情に弱い。

いじめられても泣かないし

怒られてもそれほど泣かなかったと思う。

でも、感動の涙腺は、ひっじょうにもろい。

周りはそれを知る由もない。

ぼくはひとりじゃないと泣けないから。



いやな涙と、いい涙があるなあ、ってふと思う。

ウクライナを思って流す涙は、いやな涙だ。

ぼくの病気が治らないと、流す妻の涙は、いやな涙だ。

症状に苦しめられて、布団の中で歯ぎしりしながら

流す涙は、いやな涙だ。



いま、昼食のあとに、久しぶりに『フォレストガンプ』を観た。

フォレストのジェニーに対する

真摯で一途な、誠実な愛情をみて、涙する。

ババとの友情と、約束を果たす姿に、涙する。

ダン中尉との、男のやりとりに、涙する。

フォレストのお母さんの、美しい言葉の贈り物に、涙する。

ジェニーの早すぎる死を悼むフォレストをみて、涙する。

つまり、ずっと泣いてるんだ。蛇口全開だ。

もう何度も観てるのに。

なんでだろう。

泣いたあと、すっきりしてる。

自分のことで泣くことがなかなかできないから

人の姿に重ねて自分を映し

安心して泣くのかな。

無責任で、安楽な、仮想の涙なのに

どうしてこれが、「いい涙」に類する気がしているのだろう。


自分でもよくわかっていない

けど確かに自分のなかで区切りのある

涙の、よしあし、でした。



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くえないひと

人は「食われない」生きものだ。

食うばかりで、決して「食われない」

死んで、骨になっても居場所を求める。

今日も何万匹のミミズが死んだことだろう。

食われて。

今日も何万匹の魚が死んだことだろう。

食われて。

死んだやつらの魂はどこへいった。

食ったやつらのなかにある。

血肉になってる。

糞尿になって、自然に還る。

そこからあたらしく命が始まる。

人間は「食われない」

架空の物語のなかでバリバリ食われているが

それを笑って読めるのは

本当は「食われない」と知っているから。

「食われない」人間は、死んでも

誰の血肉にもならない。

なんの役にも立たない。

磨かれた綺麗な石の下に埋めても

なんの役にも立たない。


ぼくは死んだら、風葬にしてほしいけど

国内でやったら死体遺棄になるのかな。


「食われない」人間は、死に意味を欲する。

死に意味がないから、役に立たないから

生の意味がわからないのじゃないかしら。


無駄な死。

人間の死はすべて無駄。

死に意味が欲しい。

生に意味が欲しい。

明日天敵に食われるかもしれないリスは

そんなこと考える暇もない。

ただ今日を生き延びるに必死。

食わないのに殺すのは、人間だけ。


散歩してるときにふと思ったことを書き留めた。

なにかの役に立つかもしれないと思って。

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ぐちです。

日暮里の駅で、いやなことを見てしまった。

それから、帰ってきて、横になるまで

その不快感は持続した。ので、吐き出す。


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治療とトウビョウ

昨夜書いた日記を今朝読み返してみたら

一部、誤解をうみかねない気がしたので追記。


病気を宿命として受け入れることは、治療の放棄と同義ではない。

治療は、病の波に流されまいと「投錨」することだ。

だから、おおむね、治療だけで良くなる人はいない。

投錨し、流されまいとする努力、

これを治療といい、通院、服薬、断酒、禁煙、など

涙ぐましい日々のこまやかな努力を要する。


そのうえで、そんな自分を受容してやり

前へ進もうという強い意思を、具現化すること、

これを「闘病」といい、その手段は百人いれば百種の方法がある。

ぼくにはぼくの闘病がある。みんながそうだ。


治療は必須。

そのうえで、自分を受け入れることが肝要。

これは言うにはたやすいけど、なかなか難しい。



それだけ、追記しておこうと思った。


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もぐる

街を行く腐乱死体。

腐れた内臓、無邪気にみせびらかして、得意顔。

目の毒、気の毒、ルンペンはみんなまとめて下水に流そう。

それならぼくも下水に棲もう。

地上は腐乱死体に占領された。

地下に潜り込むように逃げ込んだのは

ルンペンと一握りの狂人だけだ。

一握りの狂人だけだ。

汚濁にまみれた狂人たちの宴。

ぼくはそこに参加しよう。

地上に未練はひとつもない。

しゃれたBAR、いかしたファッション、腐れた内臓。

ぼかあ、もう、人間やめよう。

ドロの塊が偉そうに、

肩そびやかしてご満悦。

だれも寄りつかなくなるまで、汚水にまみれてしまえばいい。

ぼくは地下にこそ棲むことにしようよ。

ひっそり地下で、死ぬまで怒髪をキメていようよ。

どうせみんないつかは地下に

埋め棄てられる身なのだから。

地上を闊歩する腐乱死体と

目を合わすことすら疎ましい。

いけ、潜れ。

底の底の底まで潜れ。



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書くということ

幼い頃、父に、小説家になるにはどうすればいいか?

と問うたことがあった。

父は、なにを書きたいかと問い返した。

三種類あるといわれた。

現代をえがくか、

過去の史料をもとに歴史をえがくか、

想像力をつかって未来をえがくか、

どれを描きたいのか、と。

ぼくの答えは、その三つの

どこにも、あてはまらなかった。

ぼくは、ひとが涙を止められない夜に

震える手でそっと開くような本が書きたかった。

まっくらな世界を、じわりと照らす灯明のような

心を励まし、涙をとめ、笑ってもらえるような本だ。

それを父に伝えられなかったから、ただ

「わからない」と返し、その話はそこで終わった。


その時のぼくは少なくとも

現代か過去を書くだろうと思っていた。

未来だけは、ないだろうと思っていた。

SFは好きじゃなかった。


でも、今日、ふとおもいだしてクスっと笑った。

ぼくが描きたいのは、ある意味で「未来」

であったのかもしれない、と。

読んでくれるひとのこころに灯明を

点けることができたなら、そのひとの

明日が描ける。

読者のない作家は作家ではない。

逆に芥川賞はとれなくても、

たった一人でも読んでくれるひとがいれば、

そして彼にその意思があれば、作家である。

詩や、文というものは、読まれて完成するものだとぼくは思う。

読者の多寡は、この際なんの関係もない。


書くほうと、読むほうの、

魂の共鳴、あるいは衝突、あるいは融合。

書かなければ、見えてこないものがぼくにはある。

それを見たいと思う。

だから、書くのだろう。


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おしゃべり

言葉にできないこのおもいを

どうしてあなたに伝えよう。

ぼくは絵がかけないから

ぼくは文がかけないから。



この不安定な船にのって

ぼくはどこへ向かうのだろう。

いくてには氷河が、火の海が

新しい島がみつかるだろうか。


言葉にできないこのこころを

どうしてあなたに伝えよう。

深山の奥に花ぞさく

誰知らずとも、花ぞさく。


つばさがほしい。

言葉よりもはやく、とびこえていく

思考をすてて、はばたきにまかせて。

このおもいを、届けにいく。


定義はいらない、解説も不要。

ただあるがゆえにある。

ただあるがためにある。

脳髄の悲鳴が、ぼくには聞こえる。


弱った胃をかかえて

ぼくの船はどこまで漕げるか。

薬づけの脳髄を

どこまで解放できるのか。


手を見つめる。

なにもない。

目をつむる。

すべてがある。


このこころ

言葉にできない

このこころ

あなたにどうして伝えよう。








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報道の暴力

TVはキャベツ

視聴者はそれにつく虫

キャベツが、世界だと思っている。


かれを批判するのはたやすい。

多数派が勝つのはわかってる。

でも、かれを批判するひとたちの何人が

かれとよりそい、語らってきたのか。

かれのことをつぶさに知っているのか。


批判すべきは、人間そのものであって

決して個人ではない。


失敗したひとを、集団で囲んで罵倒するのは

いじめ以上の犯罪だ。

子供たちに、NEWSは見せたくない。

すくなくとも、ぼくは加担しない。


わるいこと、失敗、それをしたことのない人間なんて

一人もいない。

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シラーのことば

ひとりの富者がなんと多くの貧者を養うことか!
王が建築を始めれば、馬車曳きに仕事が生まれる
フリードリヒ・フォン・シラー
   


資本主義、民主主義、自由経済…

ぼくには細かいことわからないけれど

人間が長い年月かけて

やっと現実にした、理想のひとつなんだろう

なのになんで、多くの人が幸福でないのだろう

なんでこれほど多くの人が泣く社会なんだろう

ひと昔まえからくらべたって、現代社会のすごさは歴然

世界史をほじくるまでもなく、現代社会に喝采

なのに時代は、あまりにも多くの人を置き去りにして行く

時代よ


歴史という審判の身勝手な累積に

まどわされてはいけない

未来なんてあやふやなもののために

うつつをぬかしてはいけない

とおりすぎる今の早さに

困惑していては失いつづけるばかりだ



いまをとらえて、叫ぶしかない

ここにいると!

ここにおまえを睨みつけるひとつの魂があると!

時代よ!


おまえの恩恵に預かりながら

おまえを否定する呪詛を吐くものの

どれだけおおく、愚かなことか

おまえのはばたきにかき消されるそれらの声

おまえは委に介すことなくとびさる

詩人の署名のあるその翼で


時代よ


ぼくは新しいおまえの横顔をのぞんでいる


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一転、緊張

友との楽しかった時間をだきつつ

まどろみはじめたところへ

親方から電話、明日は、出動。

現役のときより10kgも肥えた

運動不足のこの体で

どこまで貢献できるかわからない

でも、ダメモト、と自分に言えない悪いくせは健在。

めちゃくちゃ、緊張しはじめる。

こういう、神経質なところが病魔のつけいる隙を生むのだが

わかっているけど…というのが、性格だよなあ。

やるからにはやはり、現役のときなみに貢献したい。

できなくて自己否定にはしる姿が目に浮かぶ。

親方だって、病み上がりで動けねーの承知のうえなんだから

こんなに緊張しなくてもよさそうなものだが…。


気楽に構えていいんじゃないのと、自分に言い聞かせてる。

まったく、性格というのは、めんどうくさいものだ。



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ぼくのてんのう

今の時点での、ぼくの天皇制に対する思い。

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ゆめ

まどろみ、仮想、幻覚、架空

直線的な夢を見たものだから

そのはしをちょいとつまんで

ひとつのループを私はつくった


白いトラがループをくぐり

裸婦めがけておそいくる

これはダリの習作にすぎない

はしとはしがくっついてループ

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日記のつもりが猫の話

今日もいちおう、5時起床。

つらくない。若干、眠い。

朝からお腹の調子がよくない。

でも便秘よりはいいや。

バナナをわしわしほおばりながら

みんなのblogみてまわる。



黒猫のはなしを。

何日かまえ、夜の0時に電話で起こされた。

着信みると、なんと妻ちゃん。

!?なにこれ??

訝りつつでてみると、黒猫がついてくる!って。

えー??夢みてんのかなあ。

隣の布団みると、妻ちゃん確かにいない。

義姉がきて、鬱に関する本を数冊、妻ちゃんにかして

その姉を途中まで送っての帰り道に

黒猫とであったらしいのだ。


まだちいさいの

捨てられたみたい

にゃあにゃあ言ってついてくるの

どうしよう?


ぼくの頭の妻語翻訳機が

どうしよう?を、保護したいんだけどいい?

に変換。

とりあえず、ついてくるならうちまで来させて

ごはんだけわけてあげようよ。

と言って電話を切る。

うちの子や、妹に託した里子を保護したときの

お手製のケージや、ノミ取りシャンプー、ミルクの準備など

まどろみながらふらふらと用意して

待つと間もなく、玄関の向こうから子猫の声。

扉をあけてさそう。ごはんはよくたべる。

そしてよく鳴く。

ぼくと一緒に寝ていたちゃちゃは、起き出してきて

ふすまの向こうから、いちいちそれに、にゃあ、とか返事してるw

一度家の中にはいってきたので、お、いいなと

思ったが、全然ダメ。警戒心がつよく、

嵐のように家中を走り回ったあげく

また玄関から外へすっ飛んで行った。

妻とふたりでぽかん。

おかか(里子)のときは、強引に保護したけれど

(結膜炎だったのと、里親が保護前に決まっていたから)

この黒猫くんのばあいは…悩むところですなあ。


おかかよりも、大きい。生後二ヶ月くらいかなあ。

とにかくそれ以降、黒猫くんが気になってしかたない。

駅に向かう通り道に彼はいる。

毎日そこでごはんをあげてる。近所のミケがあたしもー。

といって遠くで呼んでる。そいつは黒猫くんの倍もあるし

よそでごはん貰ってるの知ってるから、こっちも愛想笑いw

ごはんあげてると、近所のおじさんおばさん集まってきて

このこどっからきんだ?という話になる。

そうなんだよ、あきらかに突然あらわれたんだよ。

町内の猫は、町内の猫ずきによって、ちゃんと見守られている。

すこし前までは金持ちの猫好きがスポンサーになって(えらい!)

手術もうけさせていた。けど、その人はもういない。

葛飾区は、野良猫に対して比較的関心がひくい。

(お隣の区はかなりちゃんとやってる。)

だから野良猫も多い。まとめて殺処分?させねー。

いくら殺したってなー、捨てる人間がいるんだよ!

書いてて、だんだん頭にきた。区長に手紙を書こう。決定。

仔猫生まれて困るなら、手術を!

手術をしないなら、飼うな!あるいは仔猫も面倒みろ!

ペットショップなんて、あるからいけないんだ!
(これは飛躍しすぎたか
でも命を商品のように思わせてはいけない)

命を棄てるな!!…けしからん。



まあ、とにかく、であってしまったものは、仕方ない。

縁だからね。

とことんやろう。

お金ないけど…。

いまは毎日ごはんをあげて、(あげたあとはきれに掃除してます)

慣れさせている。

じきに保護して、先住猫さんのお許しでるまで隔離。

で、大きくなったらワクチン、手術、里親さがし、かー。


貧乏人にはつらいけど、あいつかわいいからなー。

冬なのに、あんな体じゃ越せないだろうなあ。

ご近所さんともはなしたけど、たぶん捨てられたみたいだし。


で、そのこの画像をアップしようと小一時間格闘したのだけど

できない…。容量不足…?




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私の頭のなかの寅さん

風呂にぽちゃんとはいったとき

ぬくもりのなかで

頭のなかにいる寅さんが、話しかけてきた。

「おまえさん、せっっかく生きてんのに

それじゃあ、もったいねえなあ。

命なんてなァ、はかないものってきまってらあ。

それでも一度っきりの晴れ舞台、おまえさん

もったいないよ、それじゃあよ」


せっかく生きてるなら、ぼくも

寅ちゃんのように

ディランのあの歌のように

ランボーのあの詩のように…



せっかくの命、それじゃあもったいねえ


寅ちゃん、あんがとよ

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車輪の下

内気な娘のように、
だれか自分より強い勇気のある人が自分を連れにきて
ひっぱっていき、いやおうなしに幸福にしてくれたらと
彼はじっとすわって待っていた。

「車輪の下」へルマン・ヘッセ

思春期の自分をこの一文にみいだすことができるのは

ぼくだけではあるまい。

ヘッセの筆は、軽く精緻なかんじがする。

ぼくにはどうしたって真似できない文体だ。


彼はもはや、
ありとあらゆるものを詰め込まれる容器でも、
いろいろな種をまかれる畑でもなかった。



ハンスはいまでいう「うつ病」に罹患したんだろう。

当時ではまだ「狂人」にちかい。

いまの日本でのうつ病の生涯有病率は6.7%

ここまでくると、もう「狂人」とはよばれないのか。

それは「病人」であり、いたわりの対象であり

糖尿病や、半身不随などと同様に

日本の弱者にやさしい社会では、丁重にあつかわれる。

いままでは狂人として隔離されたり白眼視されたケースもあったろうに。

医学のシンポか。病名がつけばそれは狂気ではないのか。

じきに、国民のすべてが、なんらかの精神疾患の患者になる日がくる。

国家はおおきな病院になる。

医師すら、医師であるがために、病気である。

あくせく働いているビジネスマンもみんな病気である。

創造にたずさわるクリエイター芸術家も病気である。

専業主婦や、働かない青年も病気である。

だれも彼も病気である。

病名のまだないものだけが、「狂人」の烙印を押し付けられる。



書評はしない。ぼくには評する才がない。

ただ純粋に「読書感想文」を書くのみ、だね。


車輪の下 (新潮文庫)車輪の下 (新潮文庫)
(1951/12/04)
ヘルマン ヘッセ

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便秘解放

五日ぶりの便通。

薬の副作用らしいのだけど

30年いきてきてはじめて便秘の苦しみを知った。

そしてそこからの解放のよろこびも(笑)



なんだか、人生に似ていると思う。

というか、人生そのものなんだろうけど。

便秘の時期ってあるね。

解放される時期もある。


ぼくはいま、便秘の時期。

からだは今日解放のよろこびを知ったけれど

こころはまだ便秘のままだ。

それでいい。

運動して、繊維のもの食べて、いれば

いつか、出るから。

焦らなくていいね。


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星の王子様

けれどぼくは、残念ながら、
木箱のなかのヒツジをみることはできない。
たぶん、ぼくはもう、大人たちと多少同じなのだろう。
いつのまにかぼくも、年をとってしまったにちがいない。

サン=テグジュペリ「星の王子様」



なんてかなしい言葉なんだろう。

大人になって汚れていくのはいやだ。

見えていたものが見えなくなっていくのはいやだ。

そういうと、楽観的なひとがいう

「大人になってはじめて見えるものもあるじゃないか」

そうじゃあないんだ。


そうじゃないんだ。



星の王子さま (新潮文庫)星の王子さま (新潮文庫)
(2006/03)
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やや不安定

先をみてばかりではいけない

不安になるから

後をみすぎてもいけない

後悔するから


今を丁寧にいきていれば

それで足りる

他になにもいらぬ



もう、なにも、いらない



いま生きるので命がけだ

心臓を燃やして動いてるんだ

生きることいじょうの

やるべきことなんて

なにもないはず

今を生きること、ここで



人生に成功も失敗もない

勝ちも負けもない

言いたいひとが言ってればよし

我ひとり、関せず


ねこのように

庭のかえでのように



いきてるついでになにかしようと焦るから

いけない

足りない頭でどうしようってんだ

かか、笑え

いまを笑えたら

それが幸いだ

どんな状況であってもさ



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孤独

ぼくは多くのひとに囲まれると

孤独を感じる

ひとりでは、孤独を、感じることむつかしい

孤独は、状況ではなく

心象だとおもうのだ

だから啄木の歌をよんだとき

賢司の詩をよんだとき

ああ、孤独なんだなって気付ける


ひとりぽっちの、さみしさと

孤独の苦渋、似ててちがう

友に伝えたかったが

ダメだった


いま処方箋薬局、客おおく

隣には妻もいるのに


ぼくは孤独だ



そう感じる



友の身を案じている



ひとり、外界とはなれて


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光りあるうち光の中を歩め


光あるうち光の中を歩め (新潮文庫)光あるうち光の中を歩め (新潮文庫)
(2005/05)
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入院にもって行って、細切れに細切れに読んだ。

おもしろかった。

キリスト教の洗礼を受けようか迷っていたあのころに

これを読んでいたなら…。

作中最高の一行は

「光りあるうち光の中を歩め」

だと思う。


「おまえはここ数年の間、幸福だったか
あるいは不幸だったかと訊ねたとしたら
彼は答えに窮したにちがいない、
要するに彼は、非常に多忙だったのだ!」 にほんブログ村 ポエムブログ 散文詩へ
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遅くなっちゃった

今日は早起き。

妻ちゃんの朝ご飯つくって、おくりだして。

着替えておとなりさんの庭へ。

高木の軽い剪定、刈り込み。

正月が近づくと、庭師はけっこう忙しくなる。

ぼくは、リハビリがてらやらせてもらってるだけだけど

手は抜いてない。



昼飯をたべて、ヴァイオリンの新たな練習場を探しに

サイクリング。

眠くなったので帰って猫とすこし寝る。

猫のような生活だ。


妻ちゃん帰ってから、母のバースディパーティ。

寝るのがおそくなっちゃった。


寝るまえの薬はよっつ。

明日はもっとよくなれと、祈りながら飲んだ。



寝つつ読む本の重さに
つかれたる
手を休めては、物を思へり。


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おお、ともだちよ!!!

賢治と啄木はぼくの親友

高村光太郎と智恵子さんは、ぼくの鏡

入院してたって、そばにいてくれる。

貴方たちと同じですね。




……おお朋だちよいっしょに正しい力を併せ

われらのすべての田園とわれらのすべての生活を

一つの巨きな第四次元の芸術に創りあげようでないか……



まづもろともにかがやく宇 宙の微塵となりて

無方の空にちらばらう

しかもわれらは各々感じ 各別各異に生きてゐる

ここは銀河の空間の太陽日 本陸中国の野原である

青い松並 萱の花 古いみちのくの断片を保て

『つめくさ灯ともす宵のひ ろば たがひのラルゴをうたひかわし

雲をもどよもし夜風にわすれて

とりいれまぢかに歳よ熟れぬ』

詞は詩であり 動作は舞踊 音は天楽 四方はかがやく風景画

われらに理解ある観衆があり われらにひとりの恋人がある

巨きな人生劇場は時間の軸を移動して

不滅の四次の芸術をなす

おお朋だちよ君は行くべく

やがてはすべて行くであらう
宮沢賢治
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庭にいます

画像がアップできなくなった。容量がどうとか。

ちぇっ。


今日も早起き成功。

妻ちゃんを見送って、ねこたちと遊んでから

葛西の実家へ。

とにかく、外に出ないと、ダメだ。

カビがはえてしまう。

ということで、金もかからず、時間もそこそこかかる実家へ。

でも、ゆっくりはできない。

なぜなら、ねこに会いたくなるから。

あはは、ダメ人間だね。

母ときゃっきゃっ話して、里子のおかかと遊んで、帰宅。

またねこと遊んで、今度はお隣の庭の手入れ。

お隣さんはうちとちがって、たいそうお金持ち。

でも、お代はもらってない。いまはぼくも素人になったからね。

お金をもらってないけど、チョコとかビールとかくれるから

ありがたくいただく。

そしてなにより、好きな時に行って好きに庭をいじれる。

これが最高のお代ですね。

今日は樹木の消毒。

それと除草。

どちらもプロでやってた時から

あまり好きじゃない仕事。

虫を殺すのも草を殺すのもほんとはいや。

でも、庭というのはほんとうに色々な制約のある世界だから

やらなくちゃいけない。

でも、野草だって愛好家はいて

これもうまくつかえば庭に風情をよびこめる。

花壇のきれいなお花には出せない味がだせるのだ。

社会における人間だって、同じことだと思う。

プラクティカルなのは、花や果実なんだ、どうしたって。

樹木は姿がいい方がいいし、コブや奇形もないほうがいい。

でも、野草には野草の味がある。

薔薇にも、菖蒲にも、チューリップにも

それは出せない味なんだよ。

なんどでもいうけど、これ、社会における人間に似てないかい。

言いたいことわかる?



人よ、名もしらぬ草とあなどるなかれ。



「おれにはおれの役割といのちがある。」


アスファルトの割れ目からのぞく

こんにちは

ひとくくりに雑草とよばれてる

あなたの名前はカタバミ

人がこのむクローバーは三つ葉

あなたは乙女が憧れる四ツ葉だし

クローバーによく似てる

花はとても可憐だし

葉っぱはよく見りゃハート型

アスファルトの裂け目から

こんにちは

ぼくの名前はカタバミ

そうなの、ぼくだって似たようなものさ

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ふう、やれやれ。

さて、なにから書こうかな。

今日は少し遅く起きた。

で、妻ちゃん休みだから、ふたりでゆっくりブランチ。

体調は中の下、くらいかな。


東京は急にふゆがきたような寒さで

古い戸建の我が家ではねこが凍えてしまうので

ねこのための「かまくら」を買いにいった。

なんせ、奴らにとっては初めてのふゆだ。

輪廻があるなら、別だけどね。すくなくとも今生では。


わが町、東京葛飾は、下町といわれてる。

ダウンタウンだね。

田舎ではない。でも都会じゃない。

住んでるひともそう。

古いひとは江戸っ子カタギが多いし

新しいひとは…まあ、細かいことはいいや。

葛飾で有名なのは柴又、帝釈天、とらさん。

亀有、こちかめ、両さん。

くらいのもので。

共通するのは人情だね。

これはほんとに映画や漫画のとおりで

その人情の中で幼少を過ごしたぼくには

やっぱりとても心地よい。

新しいひとたちは、そういうのを邪魔臭がるひとがたまにいるけど。


きょうはそんな葛飾のなかで

鶏と居酒屋とパチンコ屋に特化したの?な「立石」ってとこに行った。

まあ、近所です。


女性の買い物は慎重だ。

ぼくは優柔不断を自覚してるから、

買い物はできる限り時間をかけないようにしてる。

みればみるほど迷うからだ。

かまくら選びに時間を食って、すこし疲れた。

でもそのかいあって、ねこは気にいってくれたから、いいか。


で、つぎはぼくの用事。

先日行った工事中の図書館は「お花茶屋」というところ。
(いい名前だ!)
立石にも図書館はあるけど、行ったことなかったので

ふらっとたちよってみると、なんてこった。

いつも行くお花茶屋の2,3倍の充実っぷり。

もう興奮して、バッグに入りきらないほど持ってきちゃった。

これも読みたいこれも読みたいこれも読みたい。

で、持ち帰れる量にゲンセンして、5冊。

妻ちゃんがねこの本を2冊。

ぼくはフランスの詩を年代ごとに網羅した、たっかい本と

ランボーの全集と、ダリの画集。

気づいたら、普段なら買えないような高い本ばかり選んでた。

貧乏人には、まさに図書館さまさま、だね。


妻ちゃんが夕食におでんをつくってるあいだに

テーブル引っ込めて、こたつを登場させる。

食後はこたつでぬくぬくみかんを食べながら

ねこの本と、ランボーの詩集。

かみ合わない楽しい会話。

ああ、これで、病気じゃなかったらなあ!

明々後日、病院にいくときのために

感情の動きや思考の流れを、簡単にまとめているのだが、

きょうはなかなか、振幅がおおきい。

それにきづくと、いつもそうだけど、胸がざわざわ

不安な感じになって、なんというか、ふわふわする。

これが、なんとも、かなしくて、やりきれないのだ。


布団に入って、ねこの寝息を聞いてると

安心するこころと

消えてなくなりたいさみしいこころと

ふたつながら握りしめている自分にきづいた。

幸福ってなんだろう、と呟くけど、これは一種のポーズ。

ぼくは十分、幸福なのだ。

幸福だから、おそれるのだ。

そうにちがいない。


それを書きたくなくて、無駄に長く書いてみたが

結局は書いてしまうのだからね。

「ふう、やれやれ。」

これはチャーリー・ブラウンのまね。

チャーリー「どうしてだろう、日が沈むのをみていると

いつもきまって、かなしくなるんだよ」

スヌーピー「クッキーの、最後のひとつを食べたみたいだね」


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光があると影がさす

 社会では,ある人たちが民主主義や自由を享受するためには,別の人たちには一種の「奴隷」になることが強いられるのかもしれません。 少なくとも,古い時代の生産や技術の水準では,そうならざるを得ませんでした。 「民主主義」で有名な古代ギリシア(今から2400~2500年前)にも,奴隷がいました。 それは,一説には全人口の2~3割程度で,多数派ではなかったようです(「半分程度」ともいわれるが,いずれにせよ「奴隷のほ...
現代の民主主義における「奴隷」




そういちさんのブログ面白いですね。 ( 団地の書斎から )

とても聡明な方です。文章もとても綺麗だし。

トラバ了承いただけたので

追記にぼくの考えたことをのせました。

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トーマス・マン

どうしてぼくはこんなに風変わりで

みんなとそりがあわないのだろう。

先生とは喧嘩腰だし、

他の子達からは仲間はずれなんだもの

あいつらをみるがいい

あの善良な生徒たち

手堅く平凡な生徒たちを。

あの連中は先生を滑稽だとも思わなければ

詩も作らないし

誰でも考えるような

大きな声で口に出せるようなことばかり

考えている。

トーマス・マン
『トニオクレーゲル
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一進一退の日

今日も早起き。

昨夜なかなか寝つけずにいたけど、起きれた。

先日お隣さんに声かけてもらってたので

お庭の手入れにうかがう。

芙蓉の花が終わってきたのでやってくれと。

本当は落葉をまってあげて、かつ落ち葉もはかずにおくのが

樹木にはベストなんだけど

狭い住宅街ではそうもいかないんだね。





でた。作業前の写真をとり忘れた。

これ現場でやったら親方にふっとばされますね。

いいんだー。今日のは趣味だからー。

さるすべりや芙蓉のような木は、こうして丸坊主になることが多い。

これは翌年おおきな花をつけるためなんだ。

光合成できなくて死んじゃうんじゃ?って聞かれるけど

樹木は人間の数十倍つよいんだ。

蓄えたエネルギーで春まで休眠する。

維持コストの高い葉っぱは冬に落として

根からその栄養を吸い上げるのだ。

冬の乾燥から根を守る役目もある。

樹木は「ゴミ」をひとつもださない。

見習いたい、といつも思うんだ。





発生材は、ぼくからみたら宝の山。

あらゆる使い道があるのだけど、都会ではコストをかけて廃棄する。

燃やせば火力だし、樹種によってはいい炭にもなるし

腐葉土作るには必須だし、単にマルチングにも使えるし

アートの素材にも使えるしね。

うちのネコ砂は松のチップだけど、

これはたぶんそういうリサイクルの流れでできる商品だね。




戦利品は、すこししなびた芙蓉の花と

帝○ホテルのチョコレート。

お代はいらねぇぜってな。


仕事に行くまでの間ネコと昼寝。

久しぶりに出勤するも、めまいひどく早退。

悔し涙がでちまった。ちくしょう。

でも、いまはこういう無理はしたくない。

ぐっとこらえて帰宅。


1mmでも、前に進めてれば、いいのだけど。


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感情かえってきたかな

今日は忙しく、充実していた。

ああ、これをいまわのきわにも言えたらいいな。


早起きして、休日の妻ちゃんがゆっくりできるように

家中を掃除して、庭先も掃いて

ふたりでゆっくり朝ごはんを。

濃いめのみそ汁に納豆、いわしの…梅味のやつに。

ごはんが湯気をたてるのは、部屋が寒いから。

ねこに遊んでもらってから、おでかけ。

区役所いって、用事を済まし

妻ちゃんのお母さんの誕生日プレゼントかって

お隣さんのお庭の手入れでつかう道具をかって

とんかつ茶漬けを食って

ああ、一日歩き通したけど脚も元気だ。

明日は仕事に戻れそうだ。



人混みはやっぱり疲れるね。

いろんな声や音が入り乱れてるし

いろんな人が歩いているし

いろんな商品がどれも主張して目にうるさいね。

たまにはいいね、と言うけれど

ぼくは毎日山を眺めて育ったから

どうもね。

人が多くていいとおもうのは、

雑踏ではなく、そのなかで個人的なふれあいがあった時だね。



帰ってきてNeroさんのブログ読んで、こころ踊った。
人生という一冊の本

で、わくわくしながらいろんな人のブログにお邪魔して

ピピネラさんのブログでまたも、こころがはしゃぎだした。
小人さんとワルツを

とくに、そこでのそういちさんとの相乗効果をまのあたりにして

わくわくが、極まったな。

なんだか、今日は幸福を感じることができた。

久しぶりに、感情が躍動した。



むかし、知恵っていえば

塔のような、あるいは獅子や犀のような

あるいは伝言ゲームのような

そんなものじゃなかったかしら。

いまは、時間も空間も飛び越えて

知が知を刺激し合うことができる。

これって、すごく贅沢なことだね。

衣食住備わって、いろいろな恐怖から解放されてることも

それもぜいたくなことだけど、それ以上だと思うのだ。


誰がいったか忘れたけど

光よりはやいのは人の思念だって。

そりゃそうだね。たしかにそうだ。

思うと同時にアンドロメダにも手が届く。

でも、それって、ひとりごとなんだ。

ところがいまは、光の速度で人とつながり

場所のくさりをほどいて

さまざまに知を交歓しあうことができる。

これはやはり、すごいことなんだよね。

この波に、ぼくもおおいにうたをのせたい。

インターネットは表現者におおきな自由をもたらしたんだね。


いや、面白いことに気づかせていただきました。

ありがとう。
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けっこう歩いたね

孤独の痛さに堪へ切った人間同志の
黙つてさし出す丈夫な手と手のつながりだ
孤独の鉄(かな)しきに堪へ切れない泣虫同志の
がやがや集まる烏合の勢に縁はない
孤独が何で珍しい
寂しい信頼に千里をつなぐ人間ものの
見通しのきいた眼と眼の力
そこから来るのが尽きない何かの熱風だ





今日はリハビリに費やした一日。

朝起きて、ネコのお世話をして

役所に書類をとりに歩いていって

あまりに陽光がきもちよかったので

調子にのって図書館まで遠出。

図書館、工事しててはいれなかった。

トボトボ帰っていく。

家についた頃にはフラフラ。

体力の低下っぷりが、まだ信じられない。

すこしずつ、戻していこう。


フラつくこと以外は、文句なしに、新しい薬はよくきいてる。

地獄の一週間、まとわりついた自殺への衝動が

ゆるやかに氷解していくのがわかる。

まあ、どうにかなる、そう思えてきている。


妻ちゃん帰ってきてから、また少し散歩。

雑踏への恐怖も、だいぶ薄らいだようだ。

外出、今日は楽しめた。

とはいえ、無理はまだきかない。

わずかな外出で、スネのあたりが筋肉痛だ。

食欲だけは旺盛で、よく食べる。

薬の副作用?

それもあるだろうが、生きることは食うこと、だ。


冒頭の詩は高村光太郎。

とくに意味もなく、今日の散歩中にふとおもいだして

口ずさんでいたので、のせてみた。

この人の詩は、男らしさに満ちていて

かっこいい。すき。


「イワンイリッチの死」読み終わった。

面白いし、読みやすかったな。

父の死後のいまだからかな、すうっと入ってきたなあ。

なんの違和感も疑問も浮かばなかった。

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死への恐怖が、つまり「死の苦しみ」の中身なわけで

それは死ぬ瞬間には、ひかりに包まれて消え失せる。

つまり、死ぬ瞬間に、死の苦しみから解放される。

そういう解釈をした。

もっともだ。

人生の苦しみの大半が杞憂なんだろう。

心配性の、いきものの、これはしゅくあだ。






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一歩ずつ

やっと日記がかける程度になった。

今日は早起き、通勤ラッシュのすこしあとの電車を

三本乗り継いで、病院へ。

今日は休みの妻がつきそい。


待合室で、なぜか心臓バクバク。

ぼく、緊張なんてあまりしないのだけど

「生まれて初めての面接」くらいドキドキしてた。


診断は「双極性障害」

やはり、単極性うつではない。

前医の処方にたいする不安も相談した。

薬がまたしてもがらっとかわった。

抗鬱薬から、抗精神病薬へ。

ジプレキサ。

高価な薬なので、自立支援医療制度への

申込の準備をした。

前医の診断は双極性障害かうつか、

微妙なところだったから

今日ハッキリして、それだけでもよかった。

大きな病院はこれまで敬遠してたけど、失敗だったかな。

一生薬を飲み続けなきゃいけない、という。

でも、それでコントロールきくなら、全然ましだ。


帰って早めの夕食をとり、薬を飲む。

コケのように眠る。

風呂のために起きて、日記を書く。

昨日より、だいぶ心が軽くなっている気がする。

標的がひとつに絞られたからだろう。


人生の設計図を、もう一度白紙に戻そう。

うんとサイズダウンさせよう。

それでもきっと、夢はみるだろう。


うつのなみはおそろしく

たまらないものだけど

必ず何かを残していく、気がする。

よくもわるくも。

つまり自分次第なんだろう。

今回の波はとってもおおきくて苦しかったけど

なんとか死なずに済んだから

せっかくだから、自分らしく生きよう。


色々な尺度をすてて

いちど「ぼく」に帰ろう。


肩の力がいい具合に抜けたのかもしれない。

無理してつま先立ちしても

遠くへは行けないよ。

かかとまで、しっかり踏みこんで

一歩ずつ。

そう、一歩ずつでいいんだ。


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memento mori

平穏で無事な毎日がつづくと

自分が死ぬということを忘れてしまう


いつか、かならず、死ぬ


心臓が止まり、血の流れが止まる

つめたく、かたくなって

最後は骨になる

最後?

骨のつづきもあるはずだ



常住坐臥

死と向き合うことができたら

きっと

いや、なんでもない



死がこわい?

自分が死ぬのはこわい?


500年後

いま生きて動いて意欲している人たちの

一人として

もう動いていない

おそらく

景色もすべて

一変している



ああ、この一瞬

この一瞬が

永遠に値する



ぼくはいま、生きている



ぼくはいま、生きている




心臓のうた、きこえる

宇宙の鼓動がきこえる

酸素だって見える

生きている




不思議の国のアリスの

あのうさぎさんのように

首から下げた時計におわれて

ぼくらはせわしく、そこらを走りまわってる





手を見ると

汗ばんでいる





よく生きるというのは

死を忘れないことか

やはり、そこか


それとも

carpe diem か

今日を摘め、か


【しかし、見よ、彼らは喜び祝い

牛を殺し、羊を屠り

肉を食らい、酒を飲んで言った。

「食らえ、飲め、明日は死ぬのだから」】 旧約・イザヤ22-13


これでは、世界は混沌におちる。


明日死ぬからこそ

ぼくはしずかに

愛したい

うたいたい

わらいたい





ああ、この一瞬

この一瞬が

永遠よりおもい




ぼくは、命かけて、生きる


この一瞬に

太陽の温度で

燃えてやる

この生を燃やし尽くしてやる




いまをいきるのだ。



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3年に一度

東京葛飾でうまれた。

小学三年まで葛飾の小菅で育った。

小学四年から卒業まで、埼玉浦和ですごした。

中学一、二年は、千葉市原の山と田んぼのなかで。

中学三年から、山梨甲府へ。

ここで、一度大きく道をはずした。

父母が東京江戸川に家を買ったので、そこへ逃げこむ。

江戸川葛西で、再生をはかる。

その後、家を出て、(といっても葛西から葛西に)

そこで一年から二年。

更新せずに、次は千葉船橋へ。

そこで離婚して、葛飾堀切へ。

自殺未遂をしてまた、江戸川葛西の実家へ。

一念発起して、いままた葛飾堀切に。

甲府時代も、卒業と同時に家を出て

市外で住み込みをしたから

それもいれると

十回かあ。

あ、浦和にいた頃、父母が離婚するっていって

母がものすごい早さで借りてきたアパートに

一週間ほど引っ越したなあ。まあ、あれはノーカウントでいいや。



十回の引越しで、たくさんの宝物を落としてきた。

引越し先であらたに調達できるものは、どうしたって

おいていかざるを得ないからだ。

父母からみれば、ガラクタだったろう。

実際それはガラクタだった。

でも、宝物もたくさんあったなあ。

ワンピースは船橋に全巻落としてきたけど

今年全部そろえた。

三島も太宰も、またすこしずつ本棚に戻ってきている。

でも、取り戻せないものの方が多い。

家にある家具やなんかはたいていもらい物か

ここへきて新調したばかりで、古い記憶はない。

ぼくの身の回りに、ふるい思い出のあるものなんて、ないのだ。



なかでも一番のガラクタは、大量のノートだったろう。

そして一番、惜しいのもそれだ。

ぼくのノート。

16から、書き溜めてきたノート。

あれも、船橋のとき処分した。

トランクひとつの出奔だったからね。

いまおもえば、実に惜しいことをした。

あの青さ、あの熾烈な激情、あの直情、

あの義憤、あの若さゆえの慷慨、

あの無知ゆえの大望、

そしてあの恋の綴り。

それらの感激は、もうこの先、この心には

湧くことないのだろうと思うと

もう一度、読んでみたかったなあ、と

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自己紹介

偕誠

Author:偕誠
a.k.a.破裂
1983年生まれ。
東京都在住。
双極性障害と苦闘しながら
詩作に励んでおります。


※拙文ではありますが著作権は当方にあります。
無断転載等はご遠慮くださいませ。

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