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category :日記(34)

  • 2017.06.12(月)
  • 6/12
  • 2017.02.17(金)
  • 2/17

邂逅

ぼくは長い時間をかけて
ぼく自身の言葉をうしなっていった。

最初のきっかけは親に言われた言葉だった。
「どうして普通の子になれないの」
親以外の大人たちにも、それはたびたび言われたことだった。

ぼくは普通になる努力をした。
まず、だれが普通なのかを見定めることからはじめた。
そしてその人のどこが普通なのかを探した。
それを繰り返し、大体の普通というものをつかんだ。
あとはそれを模倣するだけだった。

けれど、どんなに普通的な人でも
(普通的、という言葉はないかもしれないが
ぼくには実際、普通的、というしか方法がないように思える)
普通ではない一面をもっていることに気づいた。
ゆがんだ性癖をもっていたり、変なところにこだわったり、
そういったものをじっと観察しているうちに、
普通などというものはどこにも存在しないということに気づいた。

ぼくは言葉の使い方が、人とはすこしちがった。
それが普通ではない。
言葉はちいさな檻にいれて飼えるものではないと思っていた。
言葉は辞書のなかより自由だと信じていた。
同じ言語を使わないなら、それは異邦人と同じだった。
ぼくはそれを矯正しなくてはいけなかった。

ぼくには吃音があった。
最初の一言が、口からすらすらすべり出ることはほとんどなかった。
人はそれを面倒くさがった。
普通的な人々は、それを変だと馬鹿にした。
ぼくは赤面症だった。
ぼくは内向的で、プレッシャーに対して脆弱で、しばしば逃げた。
人々の前に立つことがいやでいやで
発表会などは消えてなくなれと願っていた。
ぼくは吃音をなおすために、まず沈黙をおぼえた。
家で、ひとり、家族など誰もいないときに朗読をした。
シェイクスピアが特によかった。
(もちろん翻訳だが)
言葉をテンポよく配置したリズミカルな文章。
軽くて、たいして中身のつまっていない言葉。
漫画のセリフを暗記し、朗読したりした。
そうやってぼくは、他人の「声」を盗んでいった。

セリフならば、たいして詰まらずに言えた。
その言葉に、責任を負う必要もあまりなかった。
だって、それは、ぼくの声じゃなかったから。
そうしてぼくは、長い時間をかけて
普通的な外見を得るにいたった。

三島由紀夫が言っていた。
流行は(流行の服は)自らの思想を隠すための
最高の隠れ蓑である・・・というような意味の言葉。
その言葉の真意はともかく、隠れ蓑であるというところが
いつまでもぼくの頭にはぶら下がって消えなかった。

今は、ちがう。
今は、ぼくオリジナルだ。
そうは言えない。
いまでもぼくは、そういった忌まわしい普通の呪縛に
生活の何割かはおかされている。
しかし、それでもいいと、なかば諦めに似た気持ちでいる。
なぜかというと、ぼくの内面の言葉は自由だからだ。
詩を書くようになって、
いや、書くものを詩と呼ぶようになって
呼ばれるようになって、
いままで拘束されていた言葉らが
そこへ集まって、じわじわと、力強く堰を押しはじめた。
ちょろちょろと、流れはじめて、やがて堰は破れた。
ぼくの言葉は、その面でのみ、解放された。
そしてぼくにはそれでほとんど十分だった。

好きだけれど、普通的でないものには蓋をし続けてきた。
それでも、本当に好きなものを忘れることはなかった。
嫌いな振りもしなかった。ただ、蓋をし続けてきた。
たとえば、寺山修二の「田園に死す」の白塗りの演技が好きだ、と
告白する相手など、そもそもいなかった。
土方巽も、丸尾末広も、つげ義春も。
ぼくの周りには普通的な仮面をかぶった人間しかいなかった。
だから秋葉原などにいる、自分の好きなものを追いかけて
憚ることもない連中に嫉妬し、羨望し、そして見ないふりをした。
心の中では強烈なほどの称賛をおくっていた。

そうした生活に嫌気がさし、
しかしなおも執拗にそうした普通的な生活を送り続け
それを守ることまですすんでするようになった。
それがいまのぼくだ。
それでもなお、普通的であることへの嫌悪は
幼いころのままに燃えている。

曳舟のル・プチ・パリジャンという
特異な空間では、ぼくを普通的な枷からいっとき解放してくれる
何かがある。
エネルギーとか、そういうものではない気がする。
空気、とでもいおうか。なんとも言い難い、何かがある。

そこで、ブロ友のotosimonoさんと初対面をはたし、
生の肉声で生きた言葉を、浴びるように聞かせていただいて
何かが溶けた。
何かが、ほぐれていった。

普通的であろうとするぼくは、ぼくを偽っているか?
いや、ぼくはただ、
両親の最初の要望にこたえるために努力しただけだ。
「普通の、健康な子であれば、何も望みません」
その質素で、けなげな親の願いが、
子にとって、実はとてつもなく難解でおおきな障壁であることを
疑いもしなかった愛すべき両親のために。
ぼくは生きてきただけだ。

いまさら、普通だの、自分らしさだのを論じるつもりはないし
そうすることにまったく意味も見いだせない。
ぼくはぼくであればよいのだし、
そもそもぼく以外のなにものでもないのだ。

父は死んだ。
母は健康だが、すこし離れたところにいるし
ぼくがすっかり普通になったと安心しているだろう。
ぼくはそろそろ、この重たい漬物石のような「普通」を
自力で押し上げてみたい気になっているのだ。

それが、土曜の雨の夜に
曳舟で思ったことのひとつだった。



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曳舟に小さな灯台がある

ブロ友の(というと恐れおおいのですが)otosimonoさんという方の
すてきなブログで紹介されていたお店に行ってきました。
東京曳舟 にある『ル・プチ・パリジャン』というお店です。
行きたい、と思ってから数か月も経って、やっと行けました。
お店のことをぼくなりに紹介しようとおもったのですが
otosimonoさんの記事の前ではまったく無意味なので
以下にトラックバックさせていただきました。


おしゃべりのあとさき 「ル・プチ・パリジャン」のこと



店主の石川さんは、想像していたより若く、ぼくと同世代でした。
けれど読んできた書籍の量は天と地ほど離れているだろうこと
お話してすぐにわかりました。
店主の本への愛情はとてつもなく、
いつもotosimonoさんのブログで感じる熱量と
同様のものが感じられ、うれしいきもちになりました。
ぼくはそこまで本や、装丁、蔵書票というものを知りません。
ただ昔から、本が友達だったし、師であったし、慰めであったし
どこへ行くにも一緒でした。
内容はもちろん、
その美しい表紙を眺めたり
その刺繍に指先でふれたり
古い紙とインクのにおいをきいたり
ときには恋をしてしまったり・・・。
そういうふうに、本と付き合ってきました。

だから『ル・プチ・パリジャン』の扉を開けた瞬間、
一冊、一冊のもつ本の圧倒的なちからを感じながらも
何かにくるまれるような、やさしい心持になれたのだと思います。
そこにならんだ本たちは、みな石川さんの蔵書ですが
それ以前は、いったい誰が持っていたのでしょう。
ぼくのように、その本を友のように感じたりしていたのでしょうか。

ぼくはその「オープンな書斎」の椅子にこしかけ
コーヒーを注文し、店主の話をうかがいました。
店主はぼくと同世代でした。
本当にいろいろなことをしっかり考えておられる方でした。
勉強になることばかりでした。

ぼくがへたくそな詩を書いているという話になったとき
お店のカウンターのほうから
「ぼくも書いています」と、別のお客さんから声をかけてもらい、
その方の詩を拝読させてもらいました。
またその日は、ある作家さんの絵の展示の初日でもあったようで
その作家さんとも話ができました。
(ちなみにぼくは躁うつ病なのですが、
このお二方もとある病気を治療中とのことで、
数年間、ずっと病院に通いながら闘病の仲間がほしいと
飢えていたぼくにとっては本当に驚いたし、うれしったです)
初めて行った日に、詩をかく人、絵をかく人に出会えたのです。
でも、なにかそこに「必然」というものも感じました。

ああ、まさにサロンぢゃないか。

十代のころ、熱烈に夢見ていた場所。
同志が集まって、本について語り合う。
時に文学や詩について、時に絵画について、
また、人生について。

造園業という現場仕事を生業に選んでからのこの数年間、
気立てはいいけれど乱暴で粗野な連中(愛をこめて言っていますよ)のなかで
本の話などする相手もなく、
そもそも自分がそれまで使っていた言語は通じず
自分を改造してゆく必要がありました。
ぼくは毎日、どんどんちいさくなっていったのです。
でも、あの「書斎」では、ぼくはぼくのサイズでいられる。
彼が知っていて私が知らないことを恥じる必要もないし
言葉の調子を、語彙を、合わせる必要もない。
話題や、話し方も。
そう思うと、泣きたくなるほど、うれしくなりました。

そして、昨日、今日と、仕事をしていて
なんだか「こっちのぼく」まで活力に満ちているような気さえしました。
あの書斎にいた数時間のうちに、予想もしなかったほどの
エネルギーをいただいていたのでしょう。

ああ、とりとめのない話・・・。
もっとちゃんとしたことを書きたかったのですが
もう時間もないので、この辺で終わります。
またあの書斎で新しい何かに出会えると思うので
その時はまたここに記します。

それから、あたらしい詩を。


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生きてます

忙殺されています。
仕事と、仕事に関わる国家資格の勉強と。
毎日は飛ぶように過ぎていきます。
これはぼくの人生の歩度ではない。
何かに歩かされている。
何かに背中をぐんぐん押されている。
そんな気もします。
行きたい場所が、やりたいことが
読みたい本が、書きたいものが
たくさん、たくさんあるのに
それらはすべて
「生活のため」と書かれた札で
頑なに封印されています。
ぼくのような、社会的な落伍者は
そうでもしないと妻一人猫二匹を養うことなど
できないのですから、仕方ないのです。
来週試験があり、合格すれば
年内に二次があります。
それが終わるまで、もうしばらくの我慢。
書きたいことを我慢しながら
今日も生きています。
疲れがじっとり染みこんだ
この右手をぢっと見ながら
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6/12

アシナガバチを見た
目のまえを
新幹線のようなスピードで
擦過していった

それから
夜盗虫やらコガネムシの幼虫を見た
眠っていた花壇を掘り起こしたときに
スコップでちぎれたぶよぶよのからだ

腕が黒くやけはじめ
目は真っ赤に充血して
はたらくアリのようなわたしを見た
トラックの鏡で
店先のおおきな窓で

それらを空から見下ろしてみた
すべて
夏の始まりをうたっていた

蚯蚓が
狂ったように飛びでてきて、立夏

日陰をさがす昼休み
日夏耿之介の詩集を読む
後ろで結った髪の先まで
汗でしっとり濡れている

もうじき蝉たちが躍りでてくれば
わたしの34度目の夏が来る
じーん
じーん
つくつくつくつく
もう耳の奥から聞こえてくる

おや、赤ん坊の泣き声がする
ずっと聞こえる
数分たち
数十分たち
一緒に働いている仲間に
おそるおそる問うてみた
「赤ん坊の泣き声、聞こえる?」
しばらく無駄な問答をしてわかった
それは幻聴だった
あんなに明瞭なものだったのに
あれはわたしにしか聞こえていなかったのだ

それが今日のこと




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2/17

このままの日々が
いつまでも続いていいわけがない
そんなことはわかっている
死に体だ
まったく
生きているとはいえない
何をするでもない
ただひっそり息を
隠すように息をして
時間が過ぎていってくれるのを
待っているだけ
縁側の老猫のようだ
誰にも関わらないように
自分とすら会話もせず
なにも思わず
なにもせず
ただひたすら
今をやり過ごしている
それが病気のせいだとは
頭では理解していながらも
やはりどうしようもない
自己嫌悪と罪悪感がしょうじる
この日々に出口がないように
思えてしまう

時よ過ぎろ
早く過ぎろ
おれにはもう耐えられない
なにもしない一日に
もう耐えることはできない
早く外に出なくては

春一番
こころにはまだ乾いた寒風が
吹いている


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2017-1-1

あけましておめでとうございます。

今年は
徹底的に自分と向き合おうと思います。
仕事も
詩も
人生そのものも
ぼくはまだぼくを知り尽くしてはいないから。

庭を美しく飾り立て、手入れするのも大事だけれど
裏庭のかたく凝り固まった土を
掘り起こしてみるのも有意義なことだろう。
と思うのです。

のろのろ、亀のごとき歩みで参ります。
今年もよろしくお願いします。


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自己紹介

偕誠

Author:偕誠
a.k.a.破裂
1983年生まれ。
東京都在住。
双極性障害と苦闘しながら
詩作に励んでおります。


※拙文ではありますが著作権は当方にあります。
無断転載等はご遠慮くださいませ。

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