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category :日記(33)

  • 2016.01.06(水)
  • 2016

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1/20通院

自分の年齢を聞かれて、即答できない。
それどころか、いまじっくり考えてみても
答えには自信がない。
妻に聞けば正答が得られるのだが
いまはひとり、病院の白い待ち合い室にいて
周りはわたしのことを
まったく知らない人ばかりで
そういうところにいると
自分というものの不確かさが
気味悪く感じられもする。

年齢を忘れるほど長く生きてもいまいが、
年齢を気にするほどの若さもない。
若者を蔑むこともしないし、擁護もしない。
好きにやればいい。
年寄りを邪魔に想うこともないし
別に敬わなくてはとも思わない。
好きに生きればいい。
どこの国の大統領選にも興味はないし
自分が社長にどう思われてるかも、どうでもよい。
人によく見られたいとも思わないし
よりよい人間になろうとも思わない。
一生治らない病気ならそれでもいいし
治るなら治ればいい。
明日雨が降ろうと雷が落ちようと
どちらでもいいし
今日の雪にも興味はない。

ただわたしはわたしでありたいし
わたしはわたしでしかない。

わたしという人間は
詩を読むより書くことをこのみ
わたしという人間は
社会的な栄光より自己満足をこのみ
わたしという人間は
明日も昨日もわすれて今にのみ生き
わたしという人間は
そのままそっと死んでゆくのだ。

昨日、詩賞入選の賞状がきた。
嬉しかったが、それだけのことで。
今日は寒い雪ちらつくなか
狂人の証明に通院しているが
やはりそれもそれだけのことだ。
明日には職にあぶれるかもしれない。
事故でなにかを失うかもしれない。
急に病を発して死ぬかもしれない。
それもやはり、それだけのこと。

冬が春のまえにあり、
また春のあとにあるように、
ぼくという人間も
芽吹き、育み、衰え、塵になる。

人よ。
これがわたしの声だ。
ふだん、社会で発することない
ほんとうのわたしの声だ。
聞きたければ聞くといい。
聞きたくなければ聞かぬがいい。
人よ。
わたしはいつでも
あなたがたに話すのではない。
宇宙に、季節に、己を刻みつけるために
わたしは空に話すのだ。
檻からわたしを放つのだ。



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2016文芸思潮 現代詩賞

今年も入選しました。
昨年も入選でした。
欲がでてまいりました。

入選したのは
この記事の前の三篇です。

鬼火
風のなかを歩く
です。


試験勉強もとりあえず今年のは終わったので
(受かってれば来年はその上が待ってますが…)
また詩集をこそこそ作りはじめやうと思います。

とりあえずご報告でございました。



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日記10-25

朝、いつもとたいして変わらぬ朝
ぼくは死を忘れていた
自分がいつか死ぬことも
自分の大事な人がいつか死ぬことも
そして
それを忘れていることが幸せであることも
忘れていた

朝、いつもの顔ぶれがそろう
笑顔やねぼけまなこが並んでそろう
挨拶をかわし、車に乗り込む
退屈な赤信号、仕事前の軽口
これもまた、いつものこと

先日からの引き続きの現場にはいる
一人の男性が小走りにかけよってくるまでは
「日常」のなかにぼくらは包まれていた

男性は言った
「どうも人が死んでいるようだ」
男性は取り乱していたので、わらにもすがる思いで
ぼくらに声をかけたのだろう
それもそうだ
曇りですこし寒いだけの、なんてことない朝だったのに

松の林の中に彼はいた
いや、彼の遺体が「あった」
男性はぼくをつれて、あれ、あれ、と指をさす
太く黒い松の幹はすなおに空へ伸び
そのたくましい幹に、堅固に何重にも巻かれたロープの
その痛いほどの白が目に刺さった

新しく買ったロープで、首をくくった
人知れず、公園の、松の林のかげで
理由もわからない
誰かも知らない
けれど彼は大きな声で
ぼくに死を語っていた
それはあまりにも大きな、透明な声だった

警察を呼んでから、仕事に戻る
2、3の聴取はすぐに終わった
かたがついて
警官も、発見者の男性も、同僚もみな笑っていた
笑って、日常を出迎えていた
そのこころの隅に、暗いしみを残して

仕事に戻ったぼくは
考えるでもなく、土や草にまみれて働きながら
歌っていた
口の中で、何度も、何度も、何度も、
繰り返し歌った

「Knock knock knockin' on heaven's door」

死を選ばざるを得なかった者の
かつて生き、意欲したその体をそのままに
天国へのドアは開いたんだ
そこへ彼は旅立っていったんだ
重たい、肉の体を残して

どうか、もうなにも心配のない世界であるように
苦しみ、一人で死んでいった男の魂が
どこかで安らかに眠れるように
ぼくは弱い自分自身をそこにかさね見て
そうして歌っていた

「Knock knock knockin' on heaven's door」

天国があるなら
どうかいいところであるように
ないならば
その眠りが安らかであるように

ぼくは明日も生きる
天国のドアが
あちらからノックされたとしても
自らそれを開けることはしない
そして歌う
生きているよろこびと
死んでいくかなしみを





R.I.P




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日記10-17

有朋自遠方来。不亦樂乎。
(朋、遠方より来る有り。また楽しからずや。)

日曜の上野はきらきらしていた。
晴れた午後は、長袖もすこしわずらわしい。
京成の改札を抜けて、JRの駅前へ。
圧倒されるほどの人間の数がそこにはあった。
何人の人が、どれだけの用事があって
いま同じ駅前で立ちどまり、赤信号を見つめているのか。
ぼーっとしている人、慌てている人、苛立っている人…。
拡声器からは軍歌がながれ、演説が叫ぶ。
足早に流れてゆく、着飾った人たちがならす、歩道のパーカッション。
公園の大樹の群れ、その下にはいつもどおりのルンペン。
それはぼくの知るいつも通りの上野。
大嫌いな、大量雑踏廃棄都市。
ぼくは旧友と再会するためにその信号を待っていた。
おそらく、あの交差点で交差した人々のなかで
もっともたのしい目的をもっていたのはぼくだっただろう。

数年ぶりにあうその友人は
10年前に出会ったころとかわらず
雑踏のなかでもすぐに見つけることができた。
たかだか一年、同じ場所で仕事をしただけの縁で
ぼくの「ふつう」ではそれはあまりにも弱い縁で
「ふつう」ならばとっくに過去の彩になっているはずだ。
そのころ同じように周りにいた連中が
今どうしているのかはまったく知らないし
つながりもとうに途絶えた。
それだけぼくもその友人も
怒涛の数年のなかに一度ならず埋もれたのだった。

それではぼくらを結んだ縁とはなんだったろうか?
ロックだろうか、文学だろうか?
それを定義してみることにはなんの意味もないし、
実際、興味もないので、すぐにやめた。
よい土に木はよく育つように、よい縁は深まる。
それだけのことなんだろう。

とまあ、いささかセンチメンタルになっているかもしれない
自分にうっすら気づいてみたりもするのだが
ほっておいて先にすすもう。
この年でまだセンチメンタルを欠片といえども
感じることができるのは、やはり旧友の持つ何かのおかげだろう。

彼はいま新潟で米農家をやっている。
そこに至るまでの紆余曲折のすべてを知るわけではないが
いかに戦い、いかに育んできたか
いまの彼の表情や背中や腕から察せられるようだった。
簡単に言えば「いろいろあったねえ」ということになる。
そんな彼が作ったお米を二合分、いただいた。

彼の今回の上京は(帰京といいたいところだが)
彼のいる市が行っている移住者向けのセミナーで
講師をするという仕事が目的だった。
そこで参加者におみやげとして
彼がつくったお米をプレゼントしていたそうで
そこからひとつ持ってきてくれたのだ。
ロック青年だったころから知っている彼が
泥汗にまみれて丹精、つくりあげたお米は、
とても重く感じられた。


ぼくらには過去がある。
もう一度見れるものではないし、
もう一度体験できるものではない。
おぼろげな、雲のように姿をかえる
思い出というものを、なんとなく背負っているに過ぎない。
過去が自分を作る、という言い方は
もっともな言い方だが、おもしろくない。
ぼくらには過去だけではない、今も、この先もあるからだ。
未来に目を向けることをやめれば、
いま目の前にある戦いから目を背ければ、
いまのぼくらは霧消するに違いないからだ。

会っても思い出話しかできない関係なら
こんなにも楽しむことはできなかったろう。
思い出話だけでおわる会合は好きじゃないから。
彼と会うと、ぼくはぼくの言語に近い言葉で話せる。
植木屋仲間はみんな気のいい奴らだが
奴らとあわせると言語がほとんど出てこない。
ぼくは口下手な無口な男として映る。
それがやはり彼とであれば、饒舌というほどに言葉がでる。
しかし普段口にしていない分、うまく舌が回らなかったが。


さて、ぼくらは
ここからどこへ向かって歩いていくのかな。
転がり続けて、さらに丸くなっていくのかな。
坂道はどこまで、続いているのかな。
どこまでも。
どこまでも。
転がり続ける石のように。





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日記9-5

時間がたりません。
まったくたりません。

朝早く起きて
暑さと闘いながらはたらき
昼飯をたべながら勉強し
帰って風呂に入り
日課のトレーニングをこなし
勉強をし
夕食をとり
また勉強をし
倒れるように眠る日々です。

造園の国家試験が11月にあるのです。
三年前から受けようと思いつつ
機をのがしていた試験です。
今年こそは受け、必ず受かりたい。
ああ、こんなことを書いてしまった以上
絶対に受からないといけません…。

この時期の暑さは
外ではたらく人々には脅威です。
油断すれば倒れます。
特にここ数日は
毎日、誰かが危なくなっています。
今日はぼくの番でした。
十五時の休憩のとき、見上げた蒼穹のなかに
魂がゆらゆら飛び出そうになりました。

なんとか持ちこたえましたが
今夜はにんにくをたっぷり食べておきました。
栄養学的効果は知りませんが
心理的には効果があるようです。
にんにく信仰ですね。ぼくは熱烈な信者のひとりです。

と、まあ、そういった具合で
日々時間をきりつめていたので
ブログをなかなか更新できませんでした。

でも詩の種はずっと蒔きつづけています。
いまは実りを祈りながら
懸命に土に鋤鍬をいれています。
ぎらぎら、狂暴な太陽の下で。
さて、どんな詩が実るのかしら。


・・・そういえば
その国家試験の申込締切と
昨年「入選」した現代詩賞の締切が重なっていて
しかも両方うっかり忘れていて
大急ぎでふたつとも書類をそろえました・・・。
試験の受験票はまだ来ませんが
たぶん大丈夫なのでしょう。
現代詩賞のほうは、昨年とおなじく
三次審査を通過し、本選の土俵にのぼりました。

一方は、これからの努力の積み上げが結果を生み
もう一方は、結果としての詩がどう評価されるか・・・
このふたつの期待感と緊張が
日々に張りを与えてくれています。
それは恵みでもあるし、やはり試練でもあります。
ですが、ほぼ毎日、おかげさまで
笑って過ごせています。

ぼくの環境がどういうふうに変わったのかを
また今度、書きたいと思います。


今日も、これから勉強です。
時間がないので、走り書きのような体ですみません。
こんなぼくのブログにご訪問くださる友人のみなさまに
とりいそぎ、生存報告、申し上げました。

暑さ、まだまだ爪牙鋭利です。
みなさま、くれぐれもお体を御大切になさいますよう
そのうえで、2016の夏を楽しんでください。



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日記7-27

かなしみにつぶれた
むかしのぼくを
わしづかみ人質にして
いま人生に要求する
簡単だからかなえてよ

「毎日わらってくらしたい」

むつかしいけどかなえるよ
どんなときも
どこにいたって
笑えればそれでいいんだ

逆をいえば
箔のついた履歴書も
誰もが欲しがる学歴も
生まれもった脚長も
笑えないなら意味がない
そんなものはいらない

要求はいたってシンプル
毎日わらってくらしたい

だから書くよ働くよ汗かいて
涙もながすよまじめにさ
やりたいことやって
やめたいことやめて
自分を騙したりはもうしないからさ

毎日わらってくらしたい
それだけをこころのまんなかに置こう



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日記7-8

今日は月に一度の通院。
だいたい、朝9時に出て15時ごろ家に帰りつく。
他の患者のみなさんにまぎれて
ぼくも自分を患者と再定義する。
そこからは逃れられない。

どれだけ服薬になれても
どれだけ慎重に暮らしても
そこからは逃れ切れない。

また病気が原因で仕事をやめた。
昨日電話で社長に伝えた。
明日は給料と残りの道具を取りに行く。
一年とちょっと。
すこしボケつつあるワンマン会長のもとで
さまざまな理不尽に耐えて、一年。
今日からは、あっさりと無職。
無職になることに慣れたのは
果たしていいことなのかはわからない。
でもやはり、すこし慣れてしまっている。

これから何度、こういうことが続くのだらう。
平凡に呑気に暮らしたい。
毎日同じ自分で。
毎日同じ気分で。
毎年同じ職場で。

それだけのことがこうも難しい。
ぼくと彼らが
「病気」と口にするときの
言葉のウェイトの違いは
きっとそのためだらう。

ただひとと同じように生きるだけのことが
なかなかできない。
それをぼくは病気と呼んでいるのだから。




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日記6-12

やっと正気にもどった。
なぜ、生きるのだろう。

ぼくはいつからか
なりたい自分を探すことをしなくなった

どうすれば自分になれるか。
そういうことを、ときたま考えたりする。

それすら莫迦げたことだとすれば
ぼくは世の消費財となんらかわりない。

擦り切れるまで働いて
切れれば交換されるゴムベルトか
他と同調できぬゆがみを理由に
うち棄てられる歯車と
いったいどこがどう違う。

そう思って生きるのもありさ。
いつでも今日の食い物の心配をし
家族のため、と責任転嫁し
世を恨んで生きてゆくのも。

そして、そうしないのも、自由だ。

短い人生。
一度きりの人生。
やりたいことをやる。
やりたくないことをやめる。
簡単ぢゃない。






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日記5-12

夏が近づいてます。
両腕は早くもまっくろに焼けました。

初秋におこなわれる造園の試験勉強、
これまでをまとめる詩集づくり、
社員がぼくひとりになってしまった職場、
毎日のトレーニングと休日の水泳、
個人でおこなっているあちこちの現場、
あちこちのケガ、

と、すこしめまぐるしいほど、多忙です。

多忙な中にも死をおもう時間があり
激流のやうに流れてゆく時間に
ぼく自身が流されることは少なくなっているやうな、
変りがないやうな。

「躁」ではない、充実した、活力のある日々。
やっぱりぼくは夏の子なんだな、などと思う。

戦いがやってくるのではなく、
戦いに赴く。
似てるようでまったくちがう。




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日記4-5

昔むかし
若いころには
自分には無限の可能性があって
自分が職業を選び、
自分が家族を選び、
自分が生活水準を選び、
自分がなんと呼ばれるかを選び、
自分が歩んでゆく道を選ぶのだと思っていた。
自分自身で、選んでゆくのだと思っていた。

選ぶという作業を億劫がって
めんどくさい、メンドクサイと言って
先延ばしにしていた。
選択肢が無限のように
あるかのように見えたからだ。
手元にある何百、いや、何億ほどのひも
そのどれをひっぱると
とおい「未来」と呼ばれるもののなかの
どれにあたるのか。
そんなことはわかりっこないことだと思っていた。

そのうちにやればいいと、先送りにしながら
ずるずると生きてきて
ふとしたときに、手元にあるひもの数が激減していることに気がついた。
それでもまだ放っておいた。
いつでも選べる、と思っていたからだ。

そのひもを、いよいよたぐりよせようと
ひさしぶりに手元を見たとき
手元にひもはひとつもなくなっていた。
吃驚して、まわりをみわたした。
ずいぶんながいあいだ、真空のような時間が過ぎた。
そうしていま自分がどこにいるのかを理解した。

そこは精神病院の閉鎖病棟だった。

そこで気づいたのだろう。
自分が選ぶのではなく
自分が選ばれているのだということ。

選択肢がなくなって、かえってぼくはすっきりとした。
もう何者にもなろうとしない。
ぼくはぼくだけを目指しつづける。
運命はすべて甘受する。
よいもわるいも、わらって泣いて。
そうして「先」のない宙ぶらりんのひも
今日もひっさげて生きている。





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2016

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。


今年は寝正月にはしない、と
昨年の正月に誓ったのだけど
プールに行きはじめたり、詩集を作りはじめたり
資格の勉強をはじめたり、個人の仕事を増やしたり、と
昨年のうちに伏線をたくさん用意していたので
この誓いは、ばっちり守れた。

今日は六日。
妻との休み。人生で一番たのしい時間。
明日はひとりのやすみ。
八日から仕事がはじまる。

例年、この正月明けに、軽い鬱がむくむくと起きてきて
これが春先まで徐々におおきく育ってゆくのだが…。
今年はその到来を予感させる兆しのひとつもないことを
今のところ喜びながら、日々警戒を強めている。
来るとしたら、一瞬の勝負になる。
バチバチっと火花を散らすような
瞬間の交錯に反応し、戦えるか。
これが大事だと思う。


今年の目標は
第一に家内安全。

それから、造園の国家資格。
いままで二度、それを受けようと思い、勉強をはじめたけど
二度とも、大きな鬱に飲み込まれて消えた。
それでもやはり、今年の目標にいれていく。

それから、詩集の完成。
昨年の秋ごろに発想して、書きはじめた。
このブログに書き散らかしてきたものを
見つめなおして、時に加筆したりして
とにかく「ひとつのまとまり」にしてみようという試み。
詩の順番を考えるだけで気が狂いそうになるが
コツコツやって、今年中には完成させたい。
魂魄こめて、自分をそこに詰め込んでいかう。

それから、運動の習慣。
ぼくの飲んでいる薬は、巷で「すごい太る」と言われている。
実際にそう。これを飲み始めて体重ははねあがった。
でもなんとかそれをおさえつけ、六月からダイエットをはじめて
年末で最大7kg減量できた。
目標はもう5kgの減。ここからは執拗な闘いになるだろう。
体のあちこち、隙間に入り込んだ脂肪をそぎ落としていくのだから。


まあ、こんな感じか。
家、詩、体。三つもあれば大忙しだけど
たぶんどれもつながっていて、根が一緒だ。
要するに、古い自分を棄てて
新しい自分をてにいれる、ということで
これは毎年、おもうこと。
そして日常が始まれば、すぐさま忘れてしまうこと。
だから毎日、くりかえし唱える。
メメント・モリ、生きているのは今だけだぞ、と。





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自己紹介

偕誠

Author:偕誠
a.k.a.破裂
1983年生まれ。
東京都在住。
双極性障害と苦闘しながら
詩作に励んでおります。


※拙文ではありますが著作権は当方にあります。
無断転載等はご遠慮くださいませ。

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