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category :日記(32)

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2015の終わり

今年は世界でこんなことがありました。
そういう話がぼくはできません。
今年もぼくはぼくの手綱を握るのにいそがしく
NEWSなどに時間をさかなかったからです。

2015のはじまりは薄灰色のくもりぞらでした。
仕事で伸び悩み、明確な目標を失い
人間関係にわずらわされ、病気もかなり暴れていました。

四月にひざを壊し、それをきっかけに退職、しばらくの休養。
六月には新天地で仕事をはじめましたが
その二か月間は、まるで土砂降りの嵐の夜でした。

新しい職場でも、当然、いろいろなことがありました。
一度は退職もしかけましたが、なんとかこらえることができ、
その時に成長を感じもしました。

今年は詩をはじめて投稿してみました。
そして入選しました。
入選程度では寸評もいただけないようなので
もうすこし上に食い込んでみたいものです。
来年も投稿すると思います。

このブログの読者のみなさま
ブロ友のみなさま
いつも本当にありがとうございます。
雑誌や賞に投稿する、などということを迷わずに行えたのは
みなさまのお声のおかげだったと思っています。

ここに書いて、読んでもらって
拍手やコメントをいただくことで
ぼくはほんとうに「生きていける」と思うのです。
たとえ仕事が暗礁にのりあげても
たとえ病魔に苛まれていても
詩が、生きてさえいれば
ここで息をできてさえいれば
ぼくも生きていけることができるのです。
ほんとうにありがとうございます。

今年ももう六時間ほどです。
すこし早いかもしれませんが、もうビールをのんでいます。
今年はぎりぎりまで、仕事をつめこんで、忙しくしていたので
今日になってから、庭の大掃除やら洗車やらと
バタバタ動き回っていたので、もう結構酔っぱらっています。
朝から水泳にも行ったので、体もほどよく疲れているし。

なので、ここまで書いた文章も読み返すことなくいこうと思います。
おかしいぞ、と思っても、いまのこの頭では直せないので。

それではみなさま
本年も大変おせわになりました
たくさんお声かけいただき、ほんたうにうれしかったです。
また来年も、よろしくお願いいたします。

よいお年をお迎えください。




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ほとばしる
なにかだった、それは。
言葉知る
ほどになにかが変わった。
外は冬。
わたしは見知らぬ詩の
横顔を見つけた。
詩はもう
たぎって吹き出すなにかではなく
静かに刻む
深く刻む
命そのものになったやうだ。






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日記11-20 「Freestyle」

ずっと書きたかったんだけど
なかなか時間がつくれなかった。

まずは
退職してからのこと。
一週間くらいして、頭がさめて
暴言を吐いたことだけ謝ろうと思い、社長に連絡。
話し合ったすえ、もう一度お世話になることになった。
ぼくはもうやめたつもりで、次の職場を探していたけど
やっぱり家族のことや、自分の病気のことなんかを考えて
戻ることに決めた。仲間は喜んで迎えてくれた。

仕事をとおして
失敗や成功をなんどもこえて
ぼくは成長してきた。
今回得た教訓のいちばんは
「ひかえめに」という魔法の言葉だった。
頑張る、か、頑張らない
いわば白か黒か、という姿勢になりがちな自分を
やさしく戒める魔法の言葉。
頑張る、ひかえめに。
一所懸命やる、ひかえめに。
貢献する、ひかえめに。
こうやって「ひかえめに」という言葉を毎日、毎時間、繰り返しとなえている。
それだけのことで、仕事のストレスは激減した。


それから
タイトルにも書いたFreestyle
ぼくはレゲエ音楽が好きで、毎日聴いているし
職場までの往復80分のバイク通勤の時間には、ずっと歌っている。
もともと、17歳くらいの一時期、HIPHOPにはまったので、ラップは大好きだった。
それから十数年、音楽をたのしむことすらない日々が続いていたのだけど
ここ最近、また火が点いたのだ。

「MCバトル」または「フリースタイルバトル」という
いわば口喧嘩をとおして
ラッパー同士がその腕を競い合う、というスタイルがある。
これは昔、ストリートギャングたちが縄張り争いなどを
無血で解決するためにうみだしたスタイルだ。
より「ヤバい」ほうが勝つ、という単純なルール。
ダンスでも、同じようなスタイルがある。
そんなMCバトルが、面白くてしょうがなくなり
この数か月、どっぷりはまった。

そもそもフリースタイルというのは
ビートにあわせて即興でラップしていくもので
即興ならではのとんでもないフレーズが出てくるので
それがたまらなく面白い。
これは自分でやるようになって、より強く感じたことだ。
ぼくはバトルにもサイファーにも参加する気はないし
この先もひとりで楽しむだけだが
ひとりで通勤の間やってるだけでもこんなに面白いのだから
もうそれだけで生きていける、という人がいても不思議はない。

即興で、次から次へと言葉をつなぐことは
なかなかむずかしい。
でもそれを強いてあそんでいるうちに
思いもよらないフレーズがポンと飛びだしてきたり
そのむずかしい中にだけ、うまれてくる言葉があるし
そうやって言葉の新しい一面に気づくこともあるのだ。
言葉というのは、もとよりそれ自体に「音楽が含まれている」と思う。
それがいわゆるライム(押韻)であって
ふるい漢詩ではあたりまえに駆使されていたものだ。

とかなんとか、いろいろと
このごろは言葉に対する自分の視点が
すこしずつ、なんというか、変容しつつ
変りつつも、なぜかあるべきところへ還っていっているような
居心地のよさを感じている。
近いうちに、ぼくの詩のスタイルができあがるのかもしれない。



Freestyleの例。バトルではない。

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日記10-31退職

怒りは
おもい泥のように
心に沈んでいく
ためこむほどに
おおきな
おおきな反発をうみ
爆発するだけだ

それが病気のせいかどうかは
ともかくとして
ぼくはそうして
感情を爆発させて生きてきた
怒りは破壊に直結することを
ぼくはもう知っている
それが
汗をかきかき築きあげてきた地位や信頼を
山谷こえてはぐくんできた友情も人間関係も
ときに家族の絆でさえ
すべてをこなごなに粉砕し
白紙にもどしてしまうことを
ぼくはもう知っている
それまでの努力も
つみあげてきた成果も
なにもかもを壊し
ただやるせない倦怠と
怒りのものうい残り香のみをのこして
霧散していってしまうことを
ぼくはもう知っている

何度も何度もくりかえしてきた
そのたびに深く反省し傷つきもし
今度こそはと誓った
それでもだめなのだな

人より感情の量が極端におおく
抑制のきかない男
我慢や忍耐を美徳とする教育の中で
たたかれるように育ってきたから
なんでもため込んで
爆発をくりかえしては、白紙からやり直す男
救えない男

かわいそうな妻






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日記10-27

感情の起伏がゆたかになっているこの頃。
でもそれは病気の症状ではない。
きもちよいほど、すっかり、病気のことを忘れている。
いま、こうして書いていて思い出すほどに。

ただ、単純に日々の生活が
濃密になっているということだと思う。
刹那に全身全霊をかたむけながら
同時にすべてをいつでも棄てされるような
そんな気分でいることが最近きもちよい。

今月から、休日になると区内のプールにかよい
朝の二時間たっぷり泳いでいる。
泳ぐのは中学生以来なので
まずは思い出すことからだった。
水中に入ったときの、あの全身を包む圧。
そのなかで動く、歩く、泳ぐ。
最初はそれだけだった。
小学生のころ大会にも出たのだけど
やはり子供のころに覚えたものは忘れないのだな、と思った。
そこに32歳の人生経験が加わり
「泳ぐこと」に運動以上の意味がつけたされた。
「水に逆らわないこと」
それは全身から、精神面まで、
すべての余計な力をぬいて
豆腐に包丁をいれるように、水の中をかいくぐっていくこと。
これは禅定に近い。
というより動く禅、なのだと思う。

それが生活にも、仕事にも大きな影響を与え始めている。
「脱力」
力をぬいてみて、はじめてわかるものが多いことに驚いている。

思えばいつでも体中に力をいれて
眠っているときにも眉間にしわをよせ
野良猫のような目をして生きてきたのだった。

その力を、ぬいてみた。
なにかが、変りはじめている。
その胎動のおとが、いま、心地よい。





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日記9-24

忙しくしていて、遠ざかってしまっていた。

昨日、生活改善の第一歩 (いや、大げさだな。要は大掃除)
がやっと終わって
いま、極限までスマートにした書斎にいる。
余分なもののない環境というのは、一見さみしくも見えるけれど
心がものに迷わされることがなくなるって、やっぱりいいなあ。

「今日はいそがしくて疲れたから、これは明日かたづけよう」
そういった先送りの堆積にうもれているうちに
明日もなにも見えなくなってしまって
そうこうしているうちにポックリ死んでしまうのだ。

それだけはごめんだ。

4連休が終わる最後の日に、ふと思った。
連休中はずっと大掃除をしながら「はやく仕事したいなあ」
なんてぼやいていたのに
いざ最終日に、「え?!もう終わり??」と小さく叫んだ。
人生もこれとまったく同じじゃないのか。
目の前の一度きりの生を、なんとなくだらだら生きて、
まあ明日にしようよ、とか
ああそのうちやるよ、なんて言ってるうちに
ひょっこり死がやってきて、え、もう終わり??
それが人生なんだと、思った。

理想は、いつ死がやってきても笑って逝けることだけど
そう簡単なものでもなさそうだ、と考える。
どうすればそうなれるか、考える。
生きること以外に、答えが見つからないのだ。
生きて、生き抜くこと。
太陽のように、自分の熱で、自分を燃やし続けること。
死ぬまで。
それはつまり
死の準備をすること。
それは決してネガティブではない。
笑って逝くための準備なのだから。
笑えれば、それはやはりポジティブなんだろう。
だから、今日を笑う。
仲間と、家族と、友と。


世界に、なんにも、厭なことなどなかったんだ。
それはすべて、生に怠惰なぼくをうつす鏡だったのだ。


ぼくには人より少しだけ時間がない。
いまのぼくは「寛解期」という状態だけど
そのうちきっと「鬱」がくるだろう。
もっと厄介な「躁」がくるかもしれない。
そうするとぼくの時間は、ひとつかみ
ぐいっと、空白の向こうに放り投げ棄てられてしまうから。
だから、人より少しだけ、「今」が大事なんだ、と思う。

病気が教えてくれたこと。




ここにある今。
それだけに集中して、
ともに行く人と
手を取り合って。



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日記8-29

秋がもうすぐそこまで来てる。
カラフルで厳しく楽しい季節に
お別れを告げなくてはいけない。
さよなら。夏。
今年もぼくにたくさんの恵みをくれた。
そのはげしい太陽で
そのはげしい風雨で
ぼくは成長できたかしら。

秋は嫌いではない。
誰かがいうように「過ごしやすい」し
一仕事しても汗などかかない。
それに物足りなさを感じたとしても。
次々と葉を落とし、休眠の準備をする樹々。
乾いた風に舞う、落葉のうず。
嫌いではない。
街から緑がじょじょに減ってゆくその季節を
決して嫌いではないのだけど。

秋は、冬をすぐに連想させる。
夏から冬へのバトンが秋だ。
夏の戦いは、色鮮やかで楽しい。
冬の戦いは、モノクロで厳しい。
暑さと戦いながら、一枚一枚、服を脱いでいくのが好き。
まるで羽化へと脱皮をくりかえすみたいだから。
寒さと戦いながら、一枚一枚、服を着こんでいくのが嫌い。
夏に得たものを、失っていく気がするから。

秋、冬を
好きになれないのは
そのあとに春が待っているからだ。
ああ、春!
この地獄の一季。
夏が好きなのは、春が終わったと感じるからだ。
秋が好きになれないのは
春への下り坂に入ったと感じるからだ。

ぼくは今年の夏に、はたして
来年の春をのりきるだけの充電ができただろうか。
そんなことはわからない。

秋が終わって、冬が終わって
春がくるまで、わからない。
今年こそは、と思いながら
毎年、春におおきく転ぶ。
それでもやっぱり思う。
今年こそはって。

ぼくの脳髄のそのサイクルが
ぼくの人生にいったいどれだけの影響を
及ぼしてきたか
そしてこれからさき、及ぼしてくるのか。
そんなことはわからない。

とにかくいまは、残りの夏を全身で吸い込み
秋から始まる長い戦いに
身も心も準備しはじめているのだ。






そういえば
また蜂に刺された。アシナガバチ。
この時期の蜂は凶暴です。
六月に刺されたときより数倍腫れあがって
一日休まざるを得ませんでした。
みなさん、茂みの近くを行くときはお気をつけて。





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日記8-3

毎日、暑すぎるほど、暑いです。
暑い、というより、熱い日々です。

毎朝五時に起きて
弁当つくって
コーヒー飲んで
レゲエを聞いて
テンションあげて
仕事にでかけて
頭の先からつま先まで
水につかったように
汗にまみれて
帰ってきてばたんと寝て
起きたら、朝

そんな日々の繰り返しのなかでも
ふとひとり
詩を
書いています

青空のノートに
あるいは草むらのノートに
透明のペンで
書いています

ここにも書きたいけど
明日も熱くなりそうなので
とりあえず
こんな感じで生きています

ご報告でした。





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日記6-24

温めているのものがいくつかあるのだけど

帰ってきて
入浴、夕食、片づけ、雑務・・・
すっかりおわってPCをいじくろうと思うと
食後に飲んだ眠剤がもう効いてきている。
生活のリズムをくずしたくないので
22時には眠りたい。
そうなると
こうしてPCに向き合う時間がとれても
なかなか詩をまとめることができない。

今日ももう、睡魔がものすごい力で押してくる・・・。

金曜の通院後か
日曜の休みにはなんとか書きだしたいなあ。


そんな感じ。
毎日がんばって暮らしています。



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日記6-14

ながい一週間だった。
長かったのか、いや、長いと感じただけなんだけど。

復帰2週目。
10日で32歳になった。
誕生日には、毎年ではないけれど
なにかいやなことが起こることが多いので
その日もすこし身構えていた。
仕事もはかどり、事故もミスもなく終わって
やれやれ杞憂かと、事務所に戻ってみると
前の社長がそこで仁王立ちにぼくを待ち構えていた。
まあ、いろいろと、言いたい放題言ってくれた。
いちいちここに書かないし、日記にも書かない。
心のなかにも残さない。
帰って妻ちゃんに話して終わり。

別に、誰にどう思われてもいい。
ぼくはそんな狭い世界に生きるのはいやだ。
言いたい人は言えばいいし
蔑みたければ蔑めばいい。
そんなもの、ぼくの人生にとってなんの価値ももたない。
怒りは、その人を小さくする。
それを呑みこんだぶんだけ、人を大きくすると思う。



昨日は妻の叔母の1周忌。
礼服じゃ暑い。
適度に刈られた芝生の上にぞろりと並ぶ墓石の列。
つやつやと日光を跳ね返す黒い石、鼠色の石。
刻まれた数々の墓名碑。
それらは生きた証などという言葉とは程遠く
言うならば死んだ証でしかないと思った。

正確なピッチで等間隔にならべられた墓石の下には
土工の汗とともに、石でできた四角い箱が埋められていて
そこに骨が放り込まれているに過ぎない。
墓地の工事をやった経験のせいでそう見えるのか、それとも・・・?

墓石の背中に刻まれた戒名は「釋」から始まるものが多かった。
うちの父もそうだ。夫妻そろって同じ宗派という偶然はありそうでなさそうだ。
聞きなれた般若心経。ぼくは暗唱できる。

子供のころ、あれは父が30代後半か、40代にはいったか
というくらいの頃、父は仕事から帰ってくると一人ひきこもった。
部屋に、ではなく、居間の隅で結跏趺坐を組み、自分のなかへひきこもった。
そして般若心経を唱えていた。何度も。
別に熱心な仏教徒ではない。父もぼくも。
だからそんなエピソードはすぐに忘れた。

それを思い出したのは、ぼくが自らの10代の終わりごろ
生きていく理由を尋ねまわり、「禅」にであったときだった。
深夜の部屋でひとり半跏趺坐、般若心経を唱えながら、思い出した。
あのときの父の重たい背中を、そこに再び見た。
いまでは禅のぜの字も思わない。すべて棄てたからだ。

そんなことを思い出しながら、昨日も
びかびか輝く陽光のしたで、坊主の読経にあわせて
ぼくも口のなかで静かにもごもご唱えていた。

若くして逝ってしまった叔母を思った。
短い付き合いだったが、最後に入院した病院が
我が家からも近かったので、妻に連れられしょっちゅうお見舞いにいった。
淑女というにふさわしい立派な女性で、気高いひとだった。
立派に生き、そのまま亡くなられた。
その生きざまを思った。

読経も、焼香も、坊主に払う金も、墓石も、
それらはすべて無駄な装飾でしかないとぼくは思うけれど
亡き人を思い、自分の生と死を思うための
舞台装置としての意味があるのだろう、などと思った。
礼服の下に、熱い汗がいくすじもこぼれた。
9月に三回忌をむかえる父のことを
思わずにはいれらなかった。

ぼくが死んだら。




ぼくが死んだら
お墓になんて入れないで
写真は燃やして
できれば戸籍もすててしまって
なにもなかったことにして
生まれて死んだ
それだけでじゅうぶんなのだから
ぼくという
ひとつの
孤独の
魂が
あちらからきて
あちらへいっただけなのだから
ぜんぶ
なにもなかったことにして
そのまま
青い
空に還して
星をつかみに
でかけてゆくから






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日記6-7

仕事復帰、1週間が終わった。
昨夜は復活祝いにひさしぶりのビールを飲んだ。
格別の味がした。

青空のした
やけつく陽の針
雨のふきつけるなか
なつかしい仕事にもどった。
なまった体も元にもどってきた。
社長もぼくが会社にもどったことを
喜んでくれている。
まあ、なんとか楽しくやっている。

昼休みには芝生や草むらのうえに寝転んで
空をみたり、煙草をくゆらせたり
あらゆる音階を駆使する鳥のさえずりに
ああ音楽の源流ってこんなところか、とかなんとか思ったり
20羽ほどの鳩にかこまれてうたた寝したり
詩を書いたりして過ごしてる。
汗と煤煙と陽光のなかに光る宝物のような時間がこれ。

病気のほうもいまは静かにしてくれている。
顔色も良くなったと思う。

以前は、こうなったらこれを一生キープしようと考えた。
今はそれを無理なことだと思っている。
あきらめたわけじゃない。
仕方がないことだと観念しただけだ。
また鬱はくる。必ずといってもいいとおもう。
大きな躁がくるよりはよっぽどいいが
ぼくのいまの薬は躁をうまくふせげているが
鬱はふせぎようがない。
ならば、そうなったときの備えをどこまでできるか
というのが肝心なんだ。

明日死んでもいいように遺言を書いておこう。
そう思いながらもう数か月・・・
この数か月がダメなんだ。
生きているからいいけれど、その数か月が問題なんだ。
明日、突然おおきな鬱がくるかもしれない。
備えはできているか?
それを日々の生活の中で問い続けることが
ぼくの闘病のひとつの側面なのだと思う。

普通じゃない人生はきつい。
わかってもらえないことだらけだ。
でもそんなのにはもうなれたし
ぼくには表現するという手段があるから、なんてことない。
万人に理解されなくてもそのうちのひとりが
わかるよ、といってくれれば十分だからだ。
普通じゃない人生は、おもしろくもある。
いまは、そう思える。
ながいトンネルをやっとぬけた。
次のトンネルにいつ入るかはわからないけれど
そんな心配ばかりするのではなく
いまはこの明るさを精一杯楽しみたい。





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日記6-1

両腕がヒリヒリしている。
エアコンをつけてみても体温はさがらない。
一日、陽にさらしながら、草刈りをしていた。
両腕と首が、ゆでたタコのような赤。

去年は別の会社で、この現場にきた。
ちょうど今くらいの時期だったと思う。
低木(サツキなど)の刈込につかう機械で
同僚が薬指を切りおとしてしまったのだ。
今日はちがう会社で、ちがうメンツで、ここにいる。
ぼくも去年のぼくとはあらゆる面でちがうようだ。
青空と、水平線は、かわらずにそこにあった。
ありつづけていたのか。
ぼくが戸惑ったり、うめいていたようなときも。

全身から吹きだす汗に、ぼくは言葉で答えた。
「ああ、生きてるよなあ」

凶暴な太陽の光と熱に抱きくるまれながら
道路の向こうに逃げてゆく水を追いかけてみたりもした。

昼はおおきなヤシの根元にすわりこんで
うなじをくすぐるさわやかな風にうすく目を閉じた。
心臓の鼓動が、聴こえた。





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日記5-31

明日から仕事。

結局このシンプルな6文字におさまったけど
この一行を書くのに、多くの言葉を空振りさせた。
社会復帰、というのも違うし
リベンジ、なんて感じでもない。
書いては消しをくりかえしながら、その結果
単純に、仕事をはじめる、それだけのことなのだとわかった。

夜型によりはじめていた生活を
明日から5時起床に戻せるのかが心配。
忘れてしまった生活のリズム。
でもこれはきっと、心身に刻み込まれているに違いないので
スイッチさえ入ってしまえば
なんとかやっていけるのではないかと思っている。
こういう時に楽天的でゐることはいいことだろう。

道具や作業服の準備(といってもしまったものを出すだけ)
むしろ心の準備にあわただしく、あっという間に二日が過ぎた。
不安と緊張が同じくらいの配合でここにある。

さあて。
どうなることやら。





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日記5-30

今日と明日で、今回の静養がおわる。
朔日から、仕事がはじまる。


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仕事さがし

仕事があるでしょうか
こんなわたしにつとまるものが

仕事があることがさいわいであるということは
仕事がないときにわかるものです

黒い企業とか
貧困労働者とか
ずいぶん
のんきにさえ思えます
わたしはもとより貧しいのですから

わたしのてにすっぽりとおさまってくれる
よい仕事があるでしょうか
こんなわたしを
だれか使ってくれるでしょうか

仕事がないときは
そのことばかりが頭にあって
ぶらん ぶらん と
揺れています

こんな状態がいやなので
仕事をさがすのです






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日記5-21

びっしり
かきなぐってあった予定を
ここふつかで
すべて終わらせてしまったので
一瞬
こころにほらあなができた。

でも、それ
一瞬間だけのこと。
すぐに新しい予定が書きなぐられる。
生きてるって思う。

おとといは
はじめて
詩を投稿してきたし
きのうは
面接をしてきた。
そろそろ働かないといけない。
職安のかたのすすめどおり
病気のことを話さないつもりでいたけど
社長が誠実そうな人だったから
話してしまった。
おかげで気が楽になった。


かつての夢をおもう。
自分で会社をおこすこと
社会に貢献すること
いっぱいお金を稼いで
必要としているところへまわすこと
家族をしあわせにすること
気の合う仲間とだけ仕事をすること

ああ、なんて
ぜいたくな
無謀な夢だったろう

自分の弱みをみないように
それを克服できるように
つねに向上心をもてるように
みずから鞭をうってきたのだ

ああ、それはなんて
ぜいたくな
幸福な夢だったろう

いい夢をみてきたのだ。


ぼくはいま
家族をしあわせにすることもできない

本気で思ってる。
みな
それぞれが
かってにしあわせになってくれれば
と思う。

ただ、ぼくは
幼少のころからの衝動にすなおに
書きつづけることに決めたのだ。

へたくそでいい。
そんなことは問題じゃない。
何かのためじゃない。
これはぼくの最大の欲だ。

書きたい。

それだけなのだ。

詩では食えない。
だから働く。
仕事の時間は短いほうがよい。
だから起業を棄てた。
簡単なことじゃない。
ずっと夢見て
準備してきたことだ。
それでもその夢を棄てて
救われたのは
軍資金として蓄えてきたぶんを
生活にまわすことで
妻の肩の荷をすこし軽くできたことだ。

そしてぼく自身も。








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面接

わたしは 障害者です
とはいっても
服薬と規則ただしい生活をおくることで
だいぶコントロールできますし
業務には支障ありませんから
御社に迷惑はかけません
それに助成金もでるそうですよ

仕事には
いたってまじめにとりくむし
覚えもいいほうだと言われてきました
いかがですか
31歳、まだわかいですよ

中学でて すぐに鳶をやって
働きながら高卒認定をとって
八重洲でみっちりサラリーマンをして
そのあと造園でがっちり体もできてます
いかがですか

でもリスキーですか
わたしが障害者手帳をもっているからですか
これは黙っておきましょうか
いやいや
どうせいつかバレるのなら
最初に言ってしまいましょう
取り扱い説明書みたいに
最初のページに大きく書きましょう

でも
障害者であること以外に
御社に不利な点はありませんよ
いいえ
まだありました
もう一つだけ

詩を書いています。






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日記5-14

散歩は世界とのふれあい
精神病院へ通うのは病とのふれあい
友との語らいは友情とのふれあい
きょう
ひさしぶりに社会とまじわる
なくてもいいような
自動車免許
これの更新をしなくちゃいけない
億劫だけどしかたない
ひげも剃って
そこそこきれいな恰好をして
社会とまじわる
仕事では行き慣れた東陽町
働く人のまち
あまり好きじゃないところ
でもしかたない
社会とまじわる
しっかり妥協してくる
おりあいをつけてくる
いつまでいがみあっててもしかたない

きのう
妻と散歩をしていたとき
あんまり天気がよかったので
噴水のはたにねころんで
青一色の空へ脚をなげだして
空を歩いて遊んでいたら
のどの奥から「あっ」と大きな声がでた
来月でぼくは32歳になるのだった
忘れていた
心底おどろいた
32歳になることに、じゃなくて
知らぬ間に
ひとつ年をくっていたことに

呆然としながら
公園の植え込みに咲いた
ちいさな白い花をみていた
たぶん車輪梅だろう
梅によく似ている
清楚でちいさいのに
どこかおかしな大胆さがある
匂いをかごうと鼻におしあてた
風邪っぴきのために
その香りはわからなかった
ただほこりだけをすいこんだ






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日記5-7

明日は病院。
通院はひと月に一回。
二か月間、仕事を休んで(というか植木屋をやめてから)
その間にあったいろいろな症状の変化を
細大漏らさずにまとめあげておいて
短い診察時間に、肝心なことだけを抽出して
話してこなければいけない。

考えなくてはいけないことが多い。
鬱症状はよくならない。
でもそろそろ動き出さなくてはいけない。
明日じっくり相談してこよう。



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日記5-4

今日はほぼ一日寝ていました。
体調かんばしくなかったのと、この頃寝不足だったので
休もうと決めて、ずっと寝ていました。
仕事といえば、家の中の掃除と
植木鉢たちの水やりくらいです。
明るい外へ出たのはほんのすこしで
あとはただ、寝呆けていました。

運動不足です。
体重も増えました。
「こうしなくては」と思う生活が、一応あります。
あるにはあるのですが
まったく、何も手につかないのです。

日々がつらいです。
何もせずに終わってしまう毎日がつらいです。
これは休養だ。積極的な休養だ。
次へのステップだ。
そう、頭では理解しているのですが
やはり仕事がないというのは、人に不幸なものですね。

仕事をしたい、と最近いつも思っています。





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日記4-29

病気が何かを与えてくれてるという発想は
嫌いじゃないです。
でも、何かを奪っていってること、これは
間違いない事実なんです。
時間もそうだし
人間関係もそうだろうし
お金もそうだし
人生設計もそうだろうし。
感謝はできない。
いつかできるのか、そもそもしたいと思うのだろうか。
病気はやはり病気でしかないのじゃないか。

病気とはそもそもなんなのか。
正常じゃないということだろう。
体温が平常より高いとか
関節が平常より曲がらないとか
遺伝子レベルで平常じゃないとか。
ぼくの精神疾患の場合
脳内伝達物質が、平常じゃないのであって
それは「あたまがおかしい」という意味ではないし
「あたまがわるい」という意味でもないし
「きちがい」ってことでもないのだと思う。
単に、平常じゃない。
平常じゃない、というのは、言い換えると異常ということ。
異常というのは、多くの人や場合と違う、ということ。
やや違うのか、大きく違うのか。

平常な人は、脳内伝達物質の異常のせいで襲ってくる
メランコリーをしらないのか。
それはなんとも、爽快な気分でいられるのだろうな。
でも平常な人にもイヤなことはあるし
イライラしたり焦ったりもするだろう。

先日も居酒屋で聞かれたのだが
返答が長くなりそうなので答えなかったのだけど
つまりこういうことでしょう。

イライラも、焦燥も、暴力的怒りも
メランコリーも、希死念慮も、
すべての人に起こりうる「状態」だけども
平常な人はそれに必ず原因があるのでしょう。
会社が倒産した、とか
妻子が出てった、とか
恋人が死んでしまった、とか。
平常でないぼくらは
それがなんのきっかけも前触れもなく
いかなる脈絡も無視して強引に
ある時、突然やってくる、ということでしょう。
友人と酒酌み交わして冗談いって高笑いしてる最中にも
メランコリーに襲われて死の夢をみるのです。

それがぼくらの病気だ。
そうして、それが、それだけのことなんでしょうね。


久しぶりの友人たちとの酒席のあと
なんとなく、そんなことを考えていました。




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4-18

物憂い。
億劫。
倦怠。
何も手につかない。

昨日は元気だったなあ。
近所にあるじいちゃん(と先祖たち)の墓にいって
敷地内のネズミモチという木の剪定したり、
お客さんをつかむためのチラシ作りをしたり、
大粒の雨の中、自転車を猛烈にこいで帰宅したり、
疲れたのかな。
そんな程度のことで疲れてしまうほど
体が弱ってるのだろうか。

今日は朝からものすごい好天だったのに
結局夕方、妻ちゃんが帰ってくるまで
外出もできなかった。

はあ、とため息ばかりこぼれる。
もう、病気なんていやだ。
病気のない世界にいきたい。
言ってもしようがないことだけど
言ったっていいじゃない。

もう、病気なんていやだよ。




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脱力をしよう

東京はもうずいぶん、雨が続いている。
膝も治さなければいけないし、憂鬱も消さなけりゃいけないし
人生の次のコースを設定しなきゃいけない、
いまのぼくにとっては好都合なのかもしれない。

雨がやめば、近くの公園まで歩いて行って
長い階段を、息きらしてのぼり
木々の呼吸にあわせて、ミストのような雨を浴び
うーんと背伸びする。
はあっと吐き出すのは、酸素と二酸化炭素以外の何かだ。

新緑や、散りかけてる花びらをみながら
ぼんやり、頭をからっぽにしたり
妻ちゃんにあーだこーだ話しかけてみたり。
雨足がつよくなってくればぷらぷら帰る。


主治医の先生は、とにかくしばらく休養しなさい、と言った。
何も考えるな、と言った。
だからもうしばらくは、何も考えまい。
日々カレンダーについていく×印の数も
なかなかの脅威ではあるけれど、
それにしたって、まずは一度、自分をからにすることからだ。

なかなか難しいけれど、やってみよう。
スポーツをやってたとき、ぼくは脱力状態を好んだ。
野球のバッターでも
サッカーのキーパーでも
水泳のクロールでも
剣道の試合でも
力が抜けていれば抜けているだけ、勝率が高かったと思う。
自分で驚くくらい脱力し、
ここだ、という時に必要な筋肉を緊急動員させる。
たしか、そうやってたはずだった。

こころでも、それができるはずなのだ。
いわゆるリラックス、というやつだ。
びっくりするほど、脱力してしまおう。
ここだ、という瞬間が必ずくるから。
それまでは、ダラダラーと。

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何か書く

仕事をやめて、静養にはいったとき
ある友人が
「暇があるなら小説でも書いたら
書いて見せ合いしようじゃないか」と言ってきた。
どうせ何もできないのだし
もてあますくらいならその時間をつかって
なにか書いてみようかという気になってきた。

なに書こうかな。
結局自分のことしか書けやしないのだけどね。

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復帰とけが

先週木曜日に、仕事復帰。
思ったより動けたけど、ひざに違和感があった。
三週間の静養のあいだ、ずっと寝ていたし
運動もほとんどできなかったし
体重の増減も激しくあったから
ひざにしたら相当きつかったのだろう。

で、金曜。
仕事終わりにフットサルの練習。
じんわり汗かくまでウォーミングアップ、ストレッチ
コートで軽くジョギングして、さあ練習開始!の瞬間に
左ひざがポキッと音をたててズレるような感じになった。
動いてみると、激痛。
これが練習途中や終わり際ならベンチにさがったのだろうけど
開始直後だったから、我慢してやり切った。
でも、怪我の功名か、失点3で抑えた。(ぼくはゴールキーパー)
もう一人のGKは20失点くらいだったから
セーブ率はよかったことになる。
痛みに追い込まれていいプレーができたのかな。

土曜日は仕事を休んで、会社の花見。
起きてすぐ接骨院に行き、ひざを調整してもらう。
ボキっというすごい音と痛み。
でもそれですっかり軽くなった。
一日安静にしててください、と言われたが
断り切れなくて、花見だけでも・・・と参加。
風強く、上着を着ないと寒いくらいだったが。そこそこ楽しめた。

二次会はボーリング。
ぼくは右利きなので、左ひざが軸足になるわけで・・・
その左ひざをかばいながら投げるので
普段の半分も得点できなかった。
思い切り投げてるみんなをみて、かなり欲求不満。

三次会は居酒屋に移動。
一人合流、一人脱落。
わいわいやっていたけど、メンツがいつもと少し
ちがうせいか、あまり盛り上がらなかった気がする。
ぼくも疲れだけを引きずって
酒でさらに傷んだひざをひきずって帰宅。
帰ってトイレでげえげえ吐くとき
いつも思う、酒なんて二度と呑まないぞ!
でも、すぐにそれを忘れる・・・w


日曜はゆっくり休んだので
昨日月曜はすこしはましになった。
普段とあまり変わらない速度であるけるようになっただけ
ストレスはかなり減った。
まだまだ腫れもひかないので
脚は曲がりきらないし、伸びきらない。
日曜にはフットサルの試合があるから
はやく直さなければいけない。

今朝早くに電話があって
今日は雨のために作業ができないので
急きょ休みになった。
いいところへラッキーが転がってきたので
しっかり休もうと思う。


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つぶやき3-31

朝五時に起きて、作業服に着がえてコーヒーをわかす。
といっても、復帰するわけじゃなく
そのリハーサルといった感じ。
そうそう、いつもこんな感じだったよな、と
ひとつひとつ確認するようにパタパタ動く。
今日は弁当は作らないので
その時間で皿洗いなんかをして
いつも家を出る時間まで待ってでかけた。
春のよそおいで出かけたのだけど
やっぱり早朝のバイクだとまだまだ寒い。
適当なところまで行って、引き返してくる。
なんだそりゃ、なんて思いますか。
でもこれ、大事なことなんですよ、ぼくにとって。
これで、感触を実際につかむことができた。
復帰できる、という自信をうんだ。

あとは親方に電話して
謝って、お礼して、明日からいけます!と言えばいい。
それだけのことなんだけど、この一歩が大変だ。
さあ、連絡するぞ、となるとガタガタ震えだすほど
緊張?不安?はたまた・・・

厭世感は消えた。
希死念慮も消えた。
より多くの陽光を欲している。
激しい運動ととびちる汗を欲している。
その反面
できれば誰にも会いたくない、という気持ちが
根強くのこっている。
仕事はすぐにでもしたい。
でも人に会うのがいやなのだ。

人間関係、ぼくは多くを求めているのかもしれない。
なにも期待しなければ、疲れることなどないのに。
へらへら笑って、「適当」に付き合っていけばいいのに。
来月四日は、花見にも誘われている。
冗談じゃない。
とても、そんな気分にはなれない。
いまから、断る理由を探している。

でも、そんなんじゃダメだ、なんて思わないようにしてる。
結局、年季のはいった「人間ぎらい」であるぼくが
本当に、芯から、人間を好きになるのは無理なのかもしれないから。
いままで何度も挑戦してきたけど
そのたびに今回みたいにつまずいて
転げまわって、損ばかりする。
得るものは果たしてあるのか、わからない。

ぼくの心の玄関には
赤いペンキで激しい筆跡で
「土足厳禁」とおおきく書かれてある。
そしてその玄関はあまりにも狭く
あまりにも重い。
内側から開けるのも
多くの手続きをこなす必要があり
簡単ではない。
誰彼と、容易にはいれる場所ではないのだ。

社交的な人たちからはそれを批難されてきたし
恋人とケンカ別れするのもたいていそれが理由だった。
だから「なおそう」と思った。
持って生まれたものなのに、「なおそう」と思った。
そうして自分の周りの社会にあわせて
自分を矯正してゆくことが
大人になる、成熟する、ということだと信じて。
で、実際
大人になってみて、
ああ、大人ってやつはなんてつまらないんだろう、と思う。
自分を殺して、自分を演じて
ピエロのようにふざけている。
そのうち、心の中に強盗が入ってくる。
それでおしまい。

ぼくは心の玄関に
再びがしゃんと戸をおろし
守りを強化しようと、思いはじめている。

いままで守ってきたのには
それなりの理由があったのだろうから。
守るべきものが、そこにあったのだろうから。
それは小さな天使のような
脆弱な、危険な、美麗な、なにかだ。
それがためにぼくは生まれ
そしてそれがために生きてきたのに
大人になるという下らない理由のために
自分の心臓を裏切ってはいけない。

この方寸に従っていきる。
そういう生き方を、改めて、望み始めている。



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きっとあるはずさ

昨日、うつの波がひいていくような気がした。
油断せず、今日も一日様子をみていた。
あ。復帰は結局できなかった。
前日の晩になってパニックに陥り
情けない話だが妻ちゃんに電話してもらって
ドタキャン欠席となった。
それでも怒られない。やさしい社長に出会えた。
電話で説明した内容をあとで教えてくれた。
まったく、ぼくとぼくの病気にとても深い理解を
もってくれている、よい妻に巡り合えた。

感謝。


そうして今日。
元気だったころの日課だった筋トレを
おそるおそるやってみた。
運動もせず、それでも食事だけはいっちょまえにとっていたので
とても心配だったが、思ったほどきつくもなかった。
有酸素運動はきついだろうけど、
それもこの週末にできたら、月曜には復帰できる気がする。

このブログ上でも、多くの人から励ましてもらいました。
みなさん、ありがとう。

といいつつ
明日にはまたぶり返して
さらに深刻なうつになる可能性があります。
あるいは一気に躁転して
とんでもない失態を演じてしまうかもしれません。
でもそれらのリスクは
ぼくがこの病気とともに生きていくうえで
終生、道をともにしなくてはいけないものであり
そんな中でも
希望を見出すことができた今を
信じて
前をしっかり向いて生きたほうがいいだろうと思うのです。



明日はどうなるのでしょう。
それはいつも、わかりません。

「心に咲いた花に とまどいながら
明日へと続く道を さがしているのか・・・」


オクノ修さんの歌が
胸で何度もリフレインするのです。




ウクレレを奏でながら歌っているのが
ぼくの大好きなミュージシャン知久寿焼さん。
むかし「たま」というバンドにいて一世風靡しました。
ぼくがウクレレをやっているのも
この人の曲を弾き語りで、どっかそのへんの
にぎやかなところで、歌ってみたいからです。(ギターは挫折w)

曲はオクノ修さん。
これまた大好きな歌手である高田渡さんの
「お弟子さん」のようなポジションにおられる方で
本業はコーヒー店のマスターなんです。

一緒に演奏するのは真黒毛ぼっくすのみなさん。
彼らや笹口騒音さんなどのすてきな音楽も、みんな
この知久さんとのからみをきっかけに、ぼくは出会いました。


今日もこれを聴いて寝ます。

おやすみなさい。



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復帰することに・・・

そろそろ仕事に復帰しなければ、と思っているところへ
社長から連絡あり、明日から復帰することになった。
まだ全然、本調子ではないので、逡巡したのだけど
こういうきっかけでもなければ
また長いこと働けなくなるかもしれないと思い、出ることにした。

明日を思うだけで憂鬱だ。
でもこれは遅かれ早かれ
いつかは味あわなければいけないことだし、仕方ないか。

どう生きるにしろ、試練のおおいこと。
食うためにやらなければならないことの、なんと多いこと。

働けば、詩作はとまる。
鬱がくれば、詩作がはじまり、仕事がとまる。

「人には炎の時と灰の時がある」

いま、ぼくは灰のままに
炎の時へとうながされている。

燃えろと言われても
灰のこの身のどこを燃やせばいいのか。
結局、魂を削りながら、それを薪のかわりにくべて
燃やしていくしかないのだろうか。

明日から、いつまで続くかわからないけど、仕事に戻る。
吹き出す汗と、春の陽光とが
明るいほうへ導いてくれればいいが。
それ以上に、人間関係への不信と不安が多い。
仕事は大好きなのだけどなあ。

本当はまだまだ休養したい。
しかし必要とされているうちに働いてみて
向こうがダメだといえば、そこからまた休めばいいだろう。

さて、どうなることやら。


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死んだはずの日

四年前の今日
ぼくは自殺をしました。

なにかしら
朝からどうもけだるく
これまでにまして
もの憂い気がしたのは
そのせいなのかもしれません。

時間が止まったみたいです。
猫は昼寝を
町内も静まり返って
起きてから一度も外に出てない
ぼくの目は
目ヤニが凝り固まって
まるで野良猫みたいです。

顔を洗って
お手洗いに行って
すこし遅い昼ごはんを食べて
机に向かう。

昔、ぼくに小説を書くようすすめた
友を思い出し、ひとり苦笑し
たばこをくゆらせながら想像しました。
ああ、いや、やはりぼくにはかけません。
とてもぼくの手には負えません。
せいぜい散文を書き散らかすていどのもので
とてもじゃないけど
起承転結なんて、いや、お恥ずかしい
と、ひとりで小芝居するのでした。

もしぼくが小説を書くとしたら
それは私小説であり
書き終わったと同時に封印し
誰の目にもさらさず
死んだとき棺桶にそっといれてもらいます。
だから、書かないのと同じです。

ぼくはひとつの小説の中をいきています。
筆者はきっとぼくではないでしょう。

泣いたり、笑ったりするかたわら
こっそりと文を紡ぎ
こっそりとそれを晒し
その上から他愛もない日記を
どんどんかぶせていき
埋没させる
ぼくは幽霊文章家。

ああ、また
陽光の下で
草や土のにおいを噛みながら
大きく腕を動かしたり
大粒の汗をこぼしたりしたい。

でも、もう
しばらくは
人に会いたくない
ぼくは幽霊文章家。

死ぬはずだったぼくは
今もこうして生きながら
一年に一回ほどくる
この大きなうつの波のなかで
なぜ生きてると問うばかりで
生きているとは言えません。
この波がされば
ああ、そのときにはよほどのおおくの
宝物が
その引いていく波に奪われるのですが
この波がされば
またぼくは陽のあたる場所へもどり
何事もなかったかのように
歌ったり踊ったりするのでしょう。

それが、つらい。

この振幅が、ほんとに、きつい。

もういっそ、このままでいいとさえ
思う時がまれにあります。
また元気になったところで
この波はまた必ず来るのですから。
あれだけ警戒して
こつこつと防波堤を築きあげ
慎重に、綿密に防御策をねりあげたのに
いともたやすくそれをとびこえ
侵入してきたこの大波に
手足をすっかりからめとられ
涙もながせぬ失望のそこへ
どすんと突きおとされたのですから。

こんなことを
あと何回繰り返すのでしょうか。
それを思うと
回復への気力も萎え
凋落する希望を拾う気さえ起きません。

いまの自分には
なにもないのです。

おそろしいほど無気力な今日。
これが未来になげた一粒の種であれば。
やがて花咲く種であったなら。


ああ、こ、こ、こ、こ、この
この、脳髄の、重さよ。
いったい誰が分かってくれる。
この脳みその重さを。




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「いつかする」 はしないと同義 by石川浩司

今週もなんとか無事に終わった。
東京千葉は雨が多くて
仕事では泥だらけになるし
メンタルのバランス維持も一苦労したけれど
いまこうしてゆっくり振り返れば
いいほうだ、と思える。
苦労を買ってでもしろとは、いい言葉だと思う。
つらい時期を思えば、多少のでこぼこ道はなんでもない。
むしろそのささいな凸凹にいとおしさを感じないでもない。

今週のでこぼこは、「人間関係」だった。

ぼくらの仕事は
ガテン系と呼ばれる現場仕事は
ぼくが思うにチームワークで成り立っている。
一人ではできないことがあまりにも多いからだ。
十数メートルある木を植えるとき
何十メートルも続く舗装をこさえるとき
何十キロもあるものをかつぎあげるとき
レインボーブリッジも、スカイツリーも
そうした人と人の手で作り上げられているんだ。
ぼくらの目にするほとんどのものが
そうしたチームワークの中で生み出されたものなんだ。

よく、「人づきあいが苦手で」といって
この業界に入ってくる人がいる。
おおきな誤算だと思う。
一人親方という言葉もあるし、職人はひとりコツコツと
というようなイメージもあるんだろうから
勘違いしやすいのかもしれない。

そうした人と、一緒に仕事をする中で
(今週がとくにそうだったのだけど)
本当に難しいなあ・・・と思った。
怒りを、露わにしないことって。
自分勝手に動いて、そのせいで現場全体の
士気をさげたり、工程を遅らせたり
そうしてそれを会社や環境のせいにする
そういう人たちと、笑顔で接するのって。
昔のぼくなら、即ケンカだった。
自分を「正しい」と思って、正義と称して。
でもいまのぼくにはそれがもうできない。

だって、ぼくはできれば、どんな相手であれ、
ひとしく、へらへらしていたいからだ。
「何十憶といる人類のなかで、この一人くらい」
と、鼻歌まじりで許容できるような
でかい男になりたいのだ。
「あの人の悪いところはこういうところだ」と
他人を評価したり、
「あいつのせいで工期がおくれた」と
他人にだけ責任を求めたり、
そういう男になりたくないのだ。

一週間、考えた末の
ぼくの今日の行動は、まったく
ぼくを失望させ、落胆させた。
相手が正しいとか誤ってるとか
ぼくが決めることじゃないんだから。
チームワークって、ファシズムのことじゃなくて
本当にがっちりと手を握り合うことなんだから。

ぼくは怒鳴ったんだ。
いつもへらへらしてるぼくに怒鳴られた同僚は
さぞ驚いたと思う。
彼は今日、あまりにも周囲を無視したスタンドプレーを続けていて
現場の足並みはぐちゃぐちゃになっていた。
職長は「もういやだ」と言わんばかりになっているし
その同僚は「ひとりで仕事している」気になっているように見えた。
ぼくはその間にいて、なんとかバランスを保とうと
終日、神経を使い続けていた。
その時に、その同僚からあまりにもマトのはずれたツッコミを受けた。
彼は焦っていたんだ。
受け止めてやればよかったんだ。
でもぼくは怒鳴った。
「物には順序だよ、ひとりで慌てて、お前が忙しくしちゃってるんだよ」
そういう思いを、大きな声で言った。
同僚は、そのとき、はっと動きを止め
聡い頭で何かをキャッチしたらしく
それからは声をかけあって、協力して
なんとか今日の分の仕事を終わらせることができた。
職長は喜んでいた。

帰りの車中でも、ぼくらはすっかりいつも通りだった。
笑顔で話し、今日の振り返りもした。
誰もぼくの怒声にはふれなかった。

ぼくは、誰が正しいとかなんて、考えたくもない。
ただ、自分に過ちがあることを、認めた。

皆が帰り、その同僚と二人になった時に
誠意を込めて、謝った。
「今日はごめん、一度、がなっちゃって」
同僚は驚き、それから泣きだしそうな顔で
「おれのほうこそ、なんだかテンパっちゃって・・・」
と弱々しく謝った。
ぼくが手を差し出して、同僚がそこへばちっと手をあてた。
絆っていうのは、ほころぶものだとしても
そのたびにこうして繕えば、きっとつよくなれるし
そこにチームワークの本当の意味が
あるんじゃないかって、感じた。


人間にある、喜怒哀楽。
喜びを配るような人になりたい。
怒りは風に吹かせて飛ばしたい。
悲哀は心の隅にそっとしまって
みんなで楽しく暮らしたい。
当たり前のような
とても難しいような
そんな生き方をしたい。

いつか・・・


って、
ちがう、ちがう。
違うんだよ。

いつかやる、って
そのうち、たぶんって
それは明日の自分に責任転嫁してるんだよ。
明日の自分は、明日になったらいまの自分なんだよ。
だから
「いつかやる」は、「いまやらない」ってことで
いまやらない」ってことは、やらないってことだよ。

なんで、今日できないことが明日ならできるって思うの。
明日にはできるようになっていたいのなら
明日はじめちゃ遅すぎるでしょう。
この人生でそうありたいなら
いまはじめなきゃ間に合わないんだ。


この一週間、別の仕事仲間の
無責任な仕事ぶりに振り回されてきて
心身ともに疲れてしまって
もう人づきあいなんて!と思いかけていたけれど
今日の帰りにがっちり交わした握手は
自分への誓いにするには十分だ。


反省の上に、成長がある。
ほめられて伸びるのはハナだけだ。
今日の反省を、今日ここから活かしていこう。
明日に、笑顔で暮らせるように
いま、ここから、はじめよう。


できれば死ぬまで
だれにも怒りをあらわにしない
そんな生き方がしたいので
(笑われようと、無謀と馬鹿にされようと)
そうあるようにいまを生きます。



これでいいのだ(∩´∀`)∩



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グランギニョルのフィジカル炒め、三島添え

日記として、毎日書いていたブログ。
日々の病状や、人生そのものを
記録するためのものだった。

最近、その変化に気づいた。
ぼくは10年日記という分厚いダイアリーを持っていて
それを欠かさないようにつけている。
そして、仕事の日誌も書いている。
その日の現場の施工内容や問題点
疑問に思ったことや新しい発見など。

いま、病状を記録することは、ひと月に一度
あるかないか、という安定した状態になった。
そこで、このブログの意味が変わってきた。
ここで知り合ったみなさんとは、
ここでしかお話できない。
それをもっと大事にしたい、と思うようになってきた。

心のバランスが崩れれば
コミュニケーションがつらくなるし
細かい文字や、PCの画面を見るのもつらくなる。
また、仕事が忙しければなかなか更新もできないし
みなさんの記事を読んでも、休憩中だったりで
コメントもできないときがある。

でも、そうしたゆっくりペースではあっても
十分にたのしめるものだ、と最近思うのだ。


やりたいことがたくさんある。
「ありすぎて何も手につかない」と
今までは時間のせいにしたりしてたけど
30歳を過ぎて、いよいよ残りの人生の短さを思い
やりたいことをひとつずつ、やっていくように
日々を生きることが人生の目標になった。
「なりたい自分」を描き、そこへ向かって走っていく時代が終わり
あるがままの自分で、やりたいことだけをやって生きていけるよう
自分を解放する時代にはいった、と思ってる。

飾らず、焦らず。
比べず、ためらわず。
ごまかさず、逃げず。


てなわけで、ブログの更新は「毎週土曜」と決めた。
月・水曜はウクレレの練習。(バンド組むかも)
火・日曜は造園の勉強。
木曜は接骨院と道具の手入れ。(メンテナンス)
金曜はフットサル。
土曜がブログ更新と、一週間のまとめ。
日曜はなーんにもしない日。(しちゃうけどね…できるだけしない)

自然とそういう風になったので
それを習慣にまでできたら、結構バランスいいかも、と。
またただでさえ楽しみな土曜がいっそう、楽しみになるような気もする。
もちろん、時間があれば土曜以外にも書くでしょうけど。


この一週間の、新しい出会い。
ライチ☆光クラブライチ☆光クラブ
(2013/10/16)
古屋 兎丸

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フルヤ ウサマルさんの漫画です。
一巻完結だけど300ページくらいで、読み応え十分。
グランギニョルというのは前世紀にフランスにあった劇場。
その劇場を由来として、いまは「残酷劇」とか「こけおどしみたいな」とか
そういった意味合いでつかわれているらしい。
原作である東京グランギニョルさんの演劇はみたことないけど興味ある。
その劇での中心人物だったのが、劇中で「ジャイボ」という美少年を演じた
飴屋法水さん(まさに絶世の美少年!)と、
漫画家・イラストレーターの丸尾末広さん(鬼才!文句なしの天才!)など
ぼくの好きな人ばかりで、それがツボだったのと
そもそも古屋兎丸先生の絵のタッチが好きで
ずーーーーっと前から気にしていた作品だったわけです。
やっと読めた。
感想は書きません。ネタバレになるといけないから。
丸尾先生の漫画は完全なエログロ表現のものが多い。
その流れを受けてる古屋先生の漫画・・・。
ちょっとググってみたら「グロい」という感想もチラホラ。
なのですこしためらっていたけど、読んでみれば全然、グロくもない。
14歳の少年たちの美しさ、残酷さ、脆弱さ、
ひとりよがりな愛情にみずから溺れ、沈んでいく様子がただキレイだ。
来月の給料で、別の古屋作品を買うぞ。
ひとつずつ読んでいこうっと。
ああ、楽しみだ。



それから
長友佑都体幹トレーニング20長友佑都体幹トレーニング20
(2014/03/21)
長友 佑都

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うってかわって、スポーティ!(・∀・)
仕事を終えて、帰宅後、お風呂に入る前に
毎日必ず筋トレをしている。
仕事でよく使う箇所の強化が基本だけど
裏テーマとして・・・
夏までに亀甲のごとき腹筋をw
という目標があるのだ。
おととしの入院以来、おなかが中々へっこまなくて
3年前の写真を見ると、うなだれてしまうほど。
もう一度引きしまった健康な体を手に入れるのが
今年の数ある目標のひとつ。
で、最近はまってきたフットサルにも役立つと思って
世界の長友佑都の教えをいただこうと。

実際やってみると、ほんっとにキツイ。
長友はもちろん、やはり一流の人というのは
自分に負けない「強さ」をもっているのだなあ、と痛感。
ひとつずつマスターしていこう。


30歳になって、健康を意識するようになったのか、おれ?
それもあるけど、もうひとつ、思い出さない、おれ?
え、なになに、おれ?
昔、ドキュンと心打たれた、三島由紀夫のあの言葉。

ぼくは詩人の顔と闘牛士の体をもちたい

うん。美しい表現だね。
ぼくの場合、庭師の体、のほうがいいけども、ね。






PS. KATSUMAさん
拍手コメありがとう!
最近あんまり更新されてなかったので心配してました。
サイソクじゃないけど、更新待ってます(^^♪
KATSUMAさんのペースでね。

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ふっかつ!

うつの波から抜け出しました。
金曜日に、もう現場出れます!といったのだけど
無理せず「絶好調」になるまで休め、と社長の温情。
ありがたくいただき、仕事は月曜からになった。

おかげで、思う存分眠り、運動し、ウクレレを鳴らし、
好き勝手に2,3日過ごしてみたら
意外とはやく復活できた。
もちろん、その間、うつとの闘いは続いていた。

けれど、今までのように、
突撃と退却を繰り返す、単純な戦法ではなく
すかしたり、なだめたり、逃げるとみせかけたり・・・
経験から有効と思われる様々な戦術を展開した。
苦しんできたぶん、強く、巧くなったと思う。

怖いのは、復活だ!と思ったらそれが「躁転」だった
というパターン。これが最悪なのだ。
それは自分で客観視し、慎重に見極めることと、
妻ちゃんに監視してもらい、つど、確認してもらうことが大事。
「躁っぽくないかな?」と
しつこいくらい、何度もたずねる。


で、いま、寛解状態に戻れたと思う。
昨日はバイクも乗ったし、用事もすべて段取り通りにこなしたし
家族ともふつうに談笑したし、
ひとりで公園で壁を相手にパス練習して汗を流したし、
(金曜はフットサルの練習日。参加できなかったので自主練として。
ところが連中の練習開始前になって仲間から電話があり
え、こないの?って言われたw
いや、仕事休んでるのに参加できないっしょ。というと
社長も呼んでるよ、だってw
それは社会人として・・・どうなの?と思い
電話でお互い爆笑しながら不参加。)
夕食後には妻ちゃんとカラオケに行って数時間歌ったし。
今日はこれからボウリングに行くしw
休みの最初は、苦しかったけど
後半はもうふつうに休暇ですなw
でも、休暇は大事だと、心底思った。


昨日のカラオケでは
友川かずきという歌い手さんの
「トドを殺すな」という歌を、つごう三回、熱唱した。
いや、絶叫した。
シメに歌ったら、そのあと妻ちゃんが
あたしも歌う!といって、二連続トドを殺すな・・・
歌うんじゃない、叫ぶんだ!とぼくが言うと
妻ちゃん、聞いたことないような声で叫ぶ。

こんな曲です。




ラジオのANNで99の岡村さんがゴリ押しして火がついたらしく、
いまひそかなブームとか、なんとか。

ブームといえば、ぼくは日本エレキテル連合のファン。
昨年は朱美ちゃんが売れすぎてて
すっごくいやだった。
彼女たちの借金がそれで完済できたことはうれしいが
TV局の連中は、芸人の活かし方を知らなすぎる。
三好とか、テレ不穏ショッピングとか、
パラレル妖怪図鑑とか、せみTubeとか知らない人たちが
「エレキテルつまらん」とか、よく言えるな(激怒)ってw
ブームの前からのファンはみんな
これからも応援してるからね!
そうちゃん、こきーゆ頑張ってね(∩´∀`)∩にほんブログ村 ポエムブログ 散文詩へ
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2-19

三日間、仕事を休んだ。
月曜の昼前からめまいがした。
一日働いて帰ったら熱が。
大事をとって火曜に休んだら
そこから「うつ」に転んだ。
水、木、と休んで、今朝はすこし
気分も軽くなってきた。
重くなる前に、仕事に復帰したほうがいい、
と考え、明日は出勤。

風邪や、インフルにも気を付けながら
ぼくらは持病にも気を使わないといけない。
油断してたわけでもない、と思う。
けど、いつそれが訪れてもいいような
覚悟がすこしなくなっていたのかな。
万事が順調にいっていたから驚いた。

空が灰色になって重くのしかかり
周囲の人すべてに、嫌悪を感じた昼、
快晴の月曜の昼だった。
同僚はフットサルの練習をみんなでしていて、
風はやさしく、日差しは暖かだった。
ぼくは「みんな死ねばいい」と心でつぶやいていた。
表面では取り繕った決死の笑顔を貼りつけて、
芝生の上に寝ころびながら
はねたり、ころがったりするボールを見ていた。


鬱はいやだ。
躁もいやだ。

でも、これはぼくの宿命なのだから
しっかり抱きしめていかなくてはいけない。
突然、ふいに、訪れたものだから
驚いたのだ。

そう、ぼくと、彼らには、これほど大きな違いがある。
この大きな溝があるんだ。

それを再認識した。
油断大敵。。。



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土のにおい

家に帰り、風呂に入っても消えぬ
指先にしみつく土のにおい。

土は、生のあとの姿。
生きたあとの姿の堆積。
そこから新しい生命がはぐくまれ、
その生命もやがて土に還ってゆく。
還ってゆくのやら。
還されてゆくのやら。

死のうえに生をはぐくみ
その生がまた果て、次につながるこの
おもしろい宇宙。
ぼくの生も死も、やがて土に還ってゆく。
そこから美しい花が、あるいは
雄々しい巨木が、生えるとうれしい。

このごろは
とある大きな霊園の植栽工事で忙しくしてます。


大きな銀杏が、半分近く枯れてしまったので
それをクレーン車やユンボで撤去し、あたらしくヤシの木を植えました。
撤去後に掘った植穴の写真です。

直径 1700mm
深さ 950mm
スコップで掘るのにどれくらいかかると思いますか。
ぼくは30分で掘りました。
数年前まで、この程度の穴をほれば
もう疲弊してたのに。
この頃では疲れないようにできています。
一所懸命、がむしゃらに仕事をしている人を見るのは大好きですが
いい職人というのは疲れないやり方を知っている人のことなので
(そしてそのやり方が結局早く、丁寧なので)
また一歩、前進したということにしておきましょう。



どんな道具にも、仕事にも
コツというものがありますね。
道具を大切にし、体の一部のように操れるように
体に動きを染み込ませるのです。




ヤシです。
これまた大木でしたので、クレーン車で高く吊り上げて
さっきの穴に植えました。

枯れた銀杏がクレーンで吊り上げられたとき
その背景がまっさおな快晴の空だけになったので
ぼくはその数十年生きてきたであろう銀杏の
最後の雄姿にぶるっと身震いしました。
そして「おやすみ」と声をかけました。

ぼく、樹齢、31年。
ようやく根っこが、広く、深く、張ってきました。
高くのびる木は、その根っこを深くもち
ワイドに広がる木は、その根もやはり幅広くのびています。
ぼくも、さまざまな苦しみや悲しみの中で
深い深い場所まで根をのばし、
この場所や職場や友人たちとつながることで
その幅を少しづつ広げていると思います。



今週はこういった工事や剪定の仕事がメイン。
ウクレレはたまの「さよなら人類」弾き語りをマスター。
今年に入ってから続けている肉体改造も順調。
目標体重までは、とりあえずあと4kg。
筋肉量もどんどん増えてて、いい感じ。
仕事仲間でつくったフットサルチームも
メンバーが増えてきて練習もかなりハードになってきた。

明日はゆっくり。
さて、来週はどうなるかな。



おやすみなさい。



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1-17

いやあ。
風の強いこと、つよいこと。

今日は勝どきのビル街にて、クスという高木の剪定。
マンションでいうと4~5階くらいの高さ、かな。
幹にかじりついてはさみを振るうのだけれど
突風のたびに突き落とされそうになって
ドーパミン大放出!

いつも強いビル風にさらされている樹木は
うえに行くにしたがって細く、頼りない幹になり
一所懸命だしている枝も、よこに広がることができずに苦しげ。
なるべく枝葉を残してあげながらも
立派なビルにふさわしいだけの容姿に整えなくてはいけない。

切った枝葉は強風にみるみる転がされていって
あっちのマンション、こっちの駐車場、
拾い集めるのにも一苦労。

明日も同じ現場。
この現場は従業員のいない土日にしか作業ができないので
今日から休みなし。
うへえ。がんばろ。


フランス、イスラム関連の記事を見たり、話を聞いたりするたびに
友川かずきの「一切合財世も末だ」という曲を歌う。
やってらんねえよ、という気持ちで歌う。
こんな歌詞がある。

「悪だの正義だのない
どっちを己が怖いかだ」


ぼくは正義も怖いし、悪も怖い。
世の正義も、世の悪も怖い。
どっちが正しいなんて、思わない。
みんなおびえるように憎み
かなしむように闘い
おどけるようにさげすんでいる。

きらいです。
きらいですよ、そんなことって。


今日も、世界は平和だった。
ぼくはぼくの仕事を、精一杯こなしたし
家庭にかえってもよき夫である努力をした。
猫は今日も楽しげに暮らしているし
家賃もしっかり払えている。
今日も、世界は平和だった。
ぼくの手の届く範囲で。

明日はどうかな。


ぼくは頑張って生きるしかない。
死ぬまで、生きるしかない。


ぼくはぼくの手の届く範囲で。




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三馬鹿、伊豆・伊東を行く。

昨日の早朝から家を出て、東名にのって伊豆のほうへ
男三人で旅をしてきました!
一人は大体同期くらいで、2こくらい年上のYくん。
もう一人は後輩で、10こくらい年上のZくん。
あ、ぼくが一番年下だったのか。
いま気づいた。
三人とも同じ植木屋仲間なんです。




山だらけだね。
甲府に住んでた時に富士山は見飽きるほど
見てきたけど、静岡からの富士山も
かなりの魅力をもってる。
白い雪の冠も、よく似合ってる。

ずっとお酒を片手にぷらぷら気ままな旅をしてきた。




富士山を望みながら、片手に酒をもち
足湯につかり、馬鹿みたいにゲラゲラ笑う。
周囲の目なんてお構いなし。
三バカの笑い声は山々にこだまし、
駿河湾のほうへ流れていく。




宿の中でも、温泉のはしご中にも
とにかく馬鹿みたいなことを話してはゲラゲラ笑う。

しらす、桜えび、その他海の幸も食べたし
オーシャンビューの露天風呂にも入ったし
ロープウェイに乗ったり、プロレスごっこもしたけど
一番面白かったのは馬鹿笑いだった。

眠い時も、酔っぱらって気持ち悪い時も
何してる時であっても
腹の底から笑えるということ
これ以上の幸せはない。

腹筋と、首筋が痛い。
笑いすぎた。
明日から仕事再開。
ばっちり切り替えていこう。


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1-6

あけましておめでとうございます。
去年出会えた皆様、今年これから出会う皆様、
今年もよろしくお願いいたします!


別に忙しかったわけでもないのですが
更新できずにいました。
なんだか「休みづかれ」してしまいました。

「ガキの使い」の年またぎを見て、
そうすると自動的に「おもしろ荘」も見てしまい、
普段TVをみないものだから、首だの目だのが疲れ
起きるのが遅くなり、
遅く起きると活力にかけ、だらだらと過ごしてしまう・・・という
いやなサイクルにはまってしまったのです。
大みそかと三が日だけ休んで、働いたほうがいいや、と思った。
今年からそうしよう。


一年間とおして使わなかったものを捨てたり
整理したりするのは楽しかった。
ものを捨てれない性分のぼくは
ものを買わないようにしている。
のに、やっぱり一年をとおしてみると
あかのようにたまっているものなんだな。

数えで、32歳。
一年の反省も、新年の抱負も考えず
のんきに過ごした正月休み。
人生を一年というくくりのなかで考えることはない。
目標は明確にするほどいいけれど
なにもみずから窮屈に一年の中におさめることもない。
焦ったって、しかたがないもの。
資格の勉強をしていく、と決めたから
それぞれの資格の申込日とか受験日なんかは、しっかりスケジュールするけど。
自分で自分を追い込むのはやめにした。

急いで、慌てて、猛スピードで仕事をしている同僚がいる。
ぼくはその横で、のんきにやってる。
はたから見れば、ぼくはのろまに見える。
けど、ぼくのほうが仕事が早い。
つい数年前まで、ぼくも前者で、
スピードをあげることばかり考えていた。
まるでカメとうさぎのようだけど
これは結構ほんとうみたい。
着実なカメの歩み。
これが、あたらしいぼく!

そうして生活にも、人生にも
のろまなカメのDNAを、どんどん、どんどん注いでいく。
のろまに、のんきに過ごしていると
笑顔が増える気がする。
許せることが増える気がする。
笑い声がおおきく、なる気がする。

32歳、カメになる。


今年はこのまま順調にいけば
個人事業主になる。

自分の歩みを、堅持して、
どんな風が吹いても、自分の歩みで
のろのろ、楽しく、やっていこう。


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自己紹介

偕誠

Author:偕誠
a.k.a.破裂
1983年生まれ。
東京都在住。
双極性障害と苦闘しながら
詩作に励んでおります。


※拙文ではありますが著作権は当方にあります。
無断転載等はご遠慮くださいませ。

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